2010年1月30日土曜日

少数精鋭、あります。

仕事に追われる日々…僕が望んだ人生はこんなものだったのかなぁ。あぁ、学生時代へかえりたい…学生の皆様は、有意義な時をお過ごしくださいませ。時間は有限です。そして、平等でもあります。でも、どんなに自分の内で精一杯やったとしても必ず悔いは残るでしょう。もっとも、精一杯何かに打ち込んできた人のほうが、悔いが残っちゃうのかもしれませんけど…ちなみに、えびすは「のらりくらりの学生生活」に「悔いたっぷり」という、どうしようもない人間です。

さて、今日紹介する本はこちら。

 商品の詳細

「勝負に出る時には、ためらっていてはダメです。堂々とやってみるべきです。」本書は個人の自立を許さない大企業ではなく、そこから自立した個人が巣立つような、機動力のある小さな組織の経営論について、著者の経験・哲学を織り交ぜながら展開していく。

随所に現れる著者の言葉は含蓄に富み、経営に限らず広く社会・世界情勢を理解するのにも役立つ言葉ばかりである。その幾つかを紹介しよう。

「優秀な人だけを集めても、最良のものは出てこない。凹凸がある環境のほうが思いもがけない底力が出て、新しいモノができるときがある。」
「アイデアの欠片はいったんばらして必要なパーツを拾い出す。余計な要素をフィルターでろ過し、別の形に変えると新しいモノが生まれる。
「集団に溶け込むだけでは足らない、一人で考える時間が必要。そこで学ぶものの大きさは、ものすごい価値がある。」

最初の一文は、今後の世界経済を考えていく上でも、非常に重要な考え方である。一つの失敗も許さない、そんな風潮が築かれつつある現在の資本主義経済を再考・再構築しなければいけないと痛感させられる。次ぎの一文は、ベンヤミンの思想を思わせる。一を多に解体し、己の内で咀嚼し表現に替えていく。世間ではロジカルシンキングなるものが謡われているが、その実体は怪しい。多くの人は論理の裏にある背景を読みきれていないからだ。これならば、ある程度のアウトプットを積み上げていけば、統計的に答えが導かれるシステムを構築することができる。もはや人間の必要性はなくなり、すべてを機械に任せればよいことになろう。…われわれ人間にしかできないことを今一度再考しなければならない、そんな時代に位置している。最後の一文は、個人的に自身の今ある姿と照らし合わせて、大きな共感を覚えた一文である。集団でいるとどうしてもその色に染まらざるを得ない。それは、生きていくためには仕方の無いことであるのかもしれない。しかし、本当の自分は何をしたいのか?自分の理想と現実のギャップを考えるのは結構つらいことだ。不安もよぎるだろうし、葛藤もよぎる。だが、この考えること(苦悩と不安と葛藤etc)を若い内に実践しておくと、後々この経験が大きく役立つ場面が必ず現れるはずだ。毎日少しの時間、ほんの30分でもいいので、孤独にものごとを考え、どこにも転がっていない自分なりの答えを導き出す習慣を身につけておくことを勧める。

※著者の斉須さんはレストランのオーナー兼シェフを勤めております。自分の理想とする「経営スタイル」を築きつつ12年間のパリ生活を経て、機が熟するのを待って己の店を持つに至った経歴は、えびすの人生経験と照らし合わせながら読むとかなり共感するところがありました。将来、少数精鋭の会社を起業したいとお思いの方は是非一読くださいませ。まぁ普通の人生を送りたいなぁとお考えの方にも、少し異なる人生の見方を勉強できる良書であります。

2010年1月25日月曜日

next stage、あります。

国の借金もとうとう1000兆円目前まで来てしまいました。いやはや、長い道のりでした。途中、中途半端な好景気に邪魔されましたが、まぁ想定通り収拾してくれました。次ぎの20年で、勝負に出ますよ!2000兆円も夢じゃない!…とおふざけはここまでにして、円が危機的状況にあるのは間違いありません。一人当たり、750万近い借金を背負っていることになります。でも、この金額を多と取るか少と取るか、結構なやみませんか?「これを機に2年くらい年収の半額を強制徴収する法律でも作って、とっとと返しちゃえばいいのに…」と思ったりします。で
も、実際問題、年収の半分が国に吸い取られるとなると、みな財布の紐を締めて、無駄な消費は抑えるようになってしまうとも考えられます。そうなると、需要と供給のバランスが崩れ、結果として経済循環が悪化し、国の税収が減少しかねません。税収が減った分、国は赤字国債を発行し、支出の補填に当て、国の赤字を増やしてしまうことになります。

国の税収については議員さんも色々提案しています…が、どれもピンとこないので、税収案を自分で考えちゃいました。えびすが考えた案はこれ、指数モデルの増税案です。

「来年の1月に、税金を現在の5%から6%に増やします」「続けて、再来年には6%から7%に増税します。さらに3年後には前年の7%から8%に増税します。最終的に税金が12%に達するまで、この累年課税政策を続けていきます。」
税金を急に上げるよりも、徐々に上げていくほうが、国民の抵抗も小さくなります。そして、翌年に税金が上がるという切迫感から、「今の内に」という感情に沸きたてられて、国民の消費が活性化されます。しかし、政策の最終年に、国の経済が落ち込むのは否めないでしょう。ならば、それを補填するような政策を採ればいい。もちろん、補填の政策効果が大きくなりすぎてもダメです。言葉は悪いですが、うまく国民の心理を操り、国をrebuildしていけるような戦略をたてなければいけません。

時代時代にあった新鮮な政策をとっていけば、国民の「国の存続」に対する意識も高まるはずです。そのためにも、我々は若い人の感性をもっと国会に送り込むべきでしょう。30代の議員さんが3割を占める、それくらいの国会を一度観てみたいものです。総理大臣がこれだけころころ代わり、国の中枢機関が停止しても、経済への影響が微々たる日本であるからこそ、若い人たちの可能性にかけてみるのも一興ではないでしょうか(一興にしていいのかわかりませんが)。

※日本がダメになるとえらいこっちゃです。国内の経済に限らず、海外の企業も大きな痛手を負うのは間違いありません。そして、何よりも畏れるべきは、海外で民族争いにより迫害を受けている人たちや、食糧難の人たちへの支援政策が滞ってしまうことです。
我々日本人は、世界を支える一員としての自覚を、もっと切に感じ、認識すべきなのでは?外見・物質の豊かさを超えて、内面・精神の至高を目指すべきポジションに我々は立っているのですから。

2010年1月23日土曜日

IMF、あります。

一月も残すところあと一週間です。時がたつのは速い…time spent like an arrow! 先人の表現力には感嘆します。えびすも歴史に残る名言・諺を残したいものです。
思えば去年の一月下旬は、世界経済がどん底にあったときです。激しい円高、株価の下落、企業の赤字…世界中が暗いニュースで蔓延していました。9月にはいってから、徐々に明るいニュースが増え初め、今年に入ってからは中国の成長を先導に世界経済が立ち直りつつあるとか。うーん、どうなんでしょう。えびすはかなり懐疑的なんですが…最近はマクロ的な経済のサイクルですらも速くなっており、予想がたてにくいこと限りなしです。

さて、えびすによるテキトーな世界経済の前置きを経て紹介する本はこれ。

IMF - 使命と誤算

IMFはブレトンウッズ体制の下、過去の大恐慌に対する反省から、戦後の世界経済の安定的発展を目指して、世界銀行IBRDと共に設立された。IMFの使命は国際通貨体制の秩序回復を図ることである。基本的に加盟国が出資する基金方式で運営されている。

IMFは至上命題として財政支出の大幅な削減など緊縮政策を実施する。しかし、財政支出の削減は、雇用の消失・消費の低迷を引き起こす。結果として、財政収支が悪化してしまう。以下に代表的なIMFのプログラムを示す。

アルゼンチンのカレンシーボード制;米ドルvsペソを一対一に固定。施行当初は、ハイパーインフレを抑えることに成功したが、その後、通貨固定の解除を行わなかったため、ペソ通貨の実質高による輸出競争力の低下が徐々に産業に現れはじめ、加えて経済自由化のもとおこなわれた財政支出の抑制のため、外貨の流動性が低下、債務危機に陥る。)

アジア通貨危機政策;経常収支の赤字を海外からの短期民間資金で補填していたため、次第に通貨価値が下落、海外の民間資本がいっせいに流出し、下落に歯止めがかからなくなる。IMFの介入により、通貨の安定を図るも、実質的な通貨高のため、輸出より輸入の比率が圧倒的に高く、自国の産業は潤わない結果となった。

資本取引・金融自由化を早い段階で実施すると、途上国では経済変動リスクを高め、安定的な経済成長への足かせとなってしまうのがよくわかる。また、緊縮措置による社会構造の変化、貧富の拡大により社会経済面での損失も被るおそれがある。その後のアジア各国は、IMFが執った財政の緊縮政策ではなく、通過価値を下げかねない金融緩和措置をとり、経済を持ち直すに至った。今後IMFは各国の経済状況の遷移に合わせた政策を行い、実績・信頼を残していかなければ存在意義を失うことになるだろう。

IMFと聞くと、財政状態が悪化した国を立て直すプロの集団のようなイメージを抱いている方が多いのではないでしょうか?でも、実際に彼らのプログラムは、その場しのぎの政策が多く、段階的に政策方針を変えていくようなものではなく、失敗続きらしいです。勿論、IMFのプログラムに全ての非があるわけではないでしょうが…。近年はIMFの強制的な政策を嫌って、地域間で(EU間、アジア間)外貨準備を整備する政策も執られているようです。今、IMFには抜本的な改革が必要なのかもしれません。今後10年の内に何らかの結果を残さないと、IMFの存在意義は消失してしまうような気がします。

※国単位で見る最近の経済危機といえば、ドバイでしょうか。オイルマネーで流入資本がうなぎのぼりに増加していた国ですが、リーマンショックに端を発する不況により、産業の冷え込み、原油価格の下落、オイルマネーの流出が合わさって、瞬く間に債務価格が増加してしまいました。今回の件でIMFIBRDは介入せず、隣国のアブダビが支援を行うとのことです。うーん、IMFの存在意義がますます薄れていっているのは間違いないようです(ちなみにIBRDは成功モデルをたくさん輩出していますので、チェックしてみてください)。

2010年1月20日水曜日

bERGAMO、あります。

今日はアルバイト時代の友人とお食事に行ってまいりました。お店の名前は、「bERGAMO」。東口改札を出て恵比寿ガーデンプレイス方面(歩く歩道)に進み、外にでたら右手に見える橋を渡って、正面に見えてくる信号の手前のお店が「bERGAMO」です。ガラス張りの概観と店内の大人びた雰囲気。二人でゆっくりとお話をするのに適したお店だと思います。

オーダーはシーザーサラダ、桃蕪のポタージュ、長手海老とトマトのパスタ、岩中豚のグリル、そしてチョコレートのソルベ。

桃蕪とは、表面が桃色で、中にいくほど白くなっていく蕪らしいです。普通の蕪に比べ糖度が高いため、ポタージュにしても口当たりがよろしいとのこと。肝心のお味ですが、蕪の渋さをなくし、甘さを落としながらもまろやかさが残っているように思いました。大人のポタージュです。お勧め♪

岩中豚のグリルは盛り付けが凄く綺麗でした。肉の肌色、プチトマトの赤色、ブロッコリー・菜の花ソースの緑色、ベビージャガイモの黄色、たけのこの白色。うむ、素晴らしい配色・配置であります。お味についても、申し分なし。菜の花ベースのソースが、豚肉のうまみを引きたててくれます。



久しぶりの再会ということで、近況・経過いろいろ根掘り葉掘り聞きました。今のお仕事の内容、自分の将来のこと、恋話etc…互いの夢を語り合える数少ない友人であり、また、僕の心情も汲み取ってくれる器の大きな友人でもあります。今回はさらにもう一段成長した彼女に出会うことができ、えびすも大変感銘・感化されてしまいました。

話の中で盛り上がった点を1つ紹介します。それはコーチングについて。
彼女も指導教育する立場に立つようになり、色々苦労されてきたとのこと。笑顔が作れない子、失敗におびえる子をどうすれば笑顔が作れる子、失敗を恐れない子に育てることができるのか。最初は口でモノを言って教育に励んでいたらしいのですが、なかなか上手くいかない。そこで彼女は自分の経験を掘り起こし、自分はどうやって育てられたんだっけ?上司から何を教わり(知識+モチベーション)、何に気づいてよいサービスを提供することができるようになったんだっけ?経験と実践を照らし合わせながら彼女が出した結論は、「笑うことを強制するのではなく、こちらから笑わせてあげる」ということ。心が解放された状態のほうが、吸収力が早く応用力が効く子に育つ。イエス。僕もこれには同意。両方の立場(教わる方と教える方)を経験したことがある方は納得されるんではないでしょうか?不思議なものですが、サービス関係のお仕事では、リラックスした状態で仕事を教わるほうが吸収力が大きいんですよね。これは、最近色々な本で目にする言葉なんですが、「安心できる土台を築くと、人は積極的に物事を吸収し、自分の考えを実行に移すことができる。」教える立場にあっては、教えている子達の「安心の場」である必要があります。わからないことがあったら、聴いてねという空気感を身につけること。これ、結構重要なことです。皆さんも、是非実践してみてください。
※安心の場は、主体的にミスを告白できる場でもあります。人として尊敬されるポジションに立つこと、結局はそこに尽きる話なのかもしれませんね。

2010年1月17日日曜日

平行世界、あります。

情報の世界の進歩には目を見張るものがあります。特にネットの世界が1990年から2010年の間で、まさかこれほどまで私達の日常生活に隣接するようになるとは、1990年の時点ではほとんどの人が想像できなかったのではないでしょうか?とかいう、私も想像できなかった一人であります。
一昔前であったら、「1日遅れ」でしか得られなかった海外の情報も、今は瞬時に得ることができます。手紙でしか連絡の取れなかった海外に滞在している友人とも、メッセンジャー・スカイプを使えば、リアルタイムで意思疎通をはかれます。物の売買もすべてインターネット上で済ますことができます。単体農家の有機野菜ですらも取引の対象となっています。

現在の情報社会は、利便性・瞬時性・拡張性に優れた世界を手にすることを我々に許可しています。あくまで許可しているだけであり、それをどのように用いるかは各人の意志に委ねられます。善良に使う者もいれば、悪事に使う者もいる。お金を沢山稼ごうとして使う者もいれば、自分が創造したアウトプットを周りの人に評価してもらおうとして使う者もいる。
誰が何をどうやって何のためにそれを用いるのか…これを考えて物事を進めていると、私達は必ずどこかで立ち止まるでしょう。そして、立ち止まって初めて見えてくるものがたくさんあり、色々見えてくることで、そこから多くの葛藤が湧き出てくる。さて、この葛藤に対し我々はどのように対処していけばよいのでしょうか。

長ったらしく、疑問系で終わる前置きをおいて、今日はこの本を紹介します。

商品の詳細

我々は生まれたときには一本の道しか見えていない。しかし、成長を重ねていく上で、何十本、何百本もの道が立ち現れてくる。その何百本のうちのたった一つ、それを選ぶことを我々は強いられる。一つの選択が奪い去った他の道の可能性は、そこで絶たれることになる。これは、現在我々が生きている世界でまかり通っている事実であろう。

選択をすること、それは己の可能性が引き起こす葛藤との争いを休戦に持ち込むことだ。しかし、それはあくまでも休戦であり、終戦ではない。いつどんなきっかけでまた争いが勃発するかは予想がつかない。そして事実われわれの多くは、己の人生の選択と争っている。

クォンタム・ファミリーズ。ここに描かれた世界観は、しばしばSF小説などで耳にする世界と似ている。本文中の言葉を借りて説明すると、以下のような世界だ。

「私達の世界のすぐ隣には、無数の平行世界が開け、そしてわたしたちはネットを通じてそれらの世界と繋がっている。」

平行世界、それは俗に言うパラレルワールドのことであろう。しかし、今までのパラレルワールドと異なるのは、パラレルワールドが多数存在し、各々の世界がそれ独自の「セカイ」を築いているところだ。だから、互いの世界は干渉しあわない。スタンドアローンな状態で世界は時を刻んでいく。
どれが本当の世界か?それを問うこと自体が、本書の中では全く無意味なことだ。と言っても、なかなか解釈に苦しむ。肉体と精神を完全に分離した世界。精神が肉体間を自由自在に移動することができる世界。すべては…われわれが真実だと信じているこの世界でさえもシミュレートされた世界なのだろうか。

※本書は近未来の世界を舞台に、我々の意識といったものが、どのような形で平行世界に潜り込んでいくのかを、一家族の「存在の可能性」を軸として小説の形で表したものです。物理学の知識が無いと相当に難解な内容となっているのではないでしょうか。前半100ページ辺りまでの内容をすんなり受け入れられれば、そのあとはすいすいと読むことができるはずです。また、東氏の本を読んだことがある方であれば、主題の平行世界の可能性のほかに、随所に散りばめられた哲学的断片に興奮を覚えるでしょう。


世界の問題、あります。

ハイチで起きた地震でかなりの数の人が亡くなったようです。報道によると、死者は20万人以上にのぼるということ。ご冥福お祈りいたします。

海外で大きな事故や事件が起きると、決まって「この事件に日本人は巻き込まれていない模様です」という報道を耳にします。時々、「日本人の安否は確認された模様です。よかったですね。」と報道すると共に、隣の出演者に一言漏らしてしまうアナウンサーがいます。これ、大問題ですよね。倫理観がおかしいとしか言えません。

私が関わりあってきた人たちを鑑みると、「日本人は日本人のことしか考えられない」という傾向があります。自国さえよければ良い、他の国のことなんて考えている暇は無いし、考える気も起きない…といった考え方を持つ人が多いような気がします。例えば、世界的な問題である「貧困」について取り上げてみます。

日本では年収200万に達しない層を貧困層(ワーキングプアー)と名付けているようです。200万円以下の収入しかない人達には、生活保護が必要だという声も聞こえます。実際問題、国もいろいろと施策は考えているようではありますが、如何せん実行には二の足を踏むのが日本の政治スタイルであります。これは民主党でも自民党でも変わりないスタイルでしょう。

さて、実際200万円しか収入がなかった場合、どのような生活を強いられるのでしょうか?少し想像してみます。まずは一番大きな支出、家賃から。東京で生活していれば6万円は最低ラインとして確保したいところです。これに共益費5000円を算入して、一年間の支払額は78万円ですね。次に水道代、光熱費と回線費。全部合わせて2万円ぐらいでしょうか。一年間の支払は24万円。そして、生命の源である食費。一日1000円として、月に3万円、年間36万円の支出。最後に年金、保険、所得税と住民税。これが月に35千円として年間42万円。総支出は78242442=180万円です。独り身であればなんとかやっていけることがわかります。

では、海外の貧困の実情はどういったものなのか。数字上で貧困を語れば、ハイチはかなりの貧困国であるといえます。一方、ハイチは周囲を海に囲まれており、自給率はそれなりの数字を持っています。互いに協力し合えば、食べるものが全く無いという状況は回避できるとも考えられます。
これに比して、食べるものが全くなく、飢餓でいつ死んでもおかしくない状態にありながらも、旅移動を強いられる人たちもいます。これは、アフリカ諸国にみられます。民族争いなどの内紛で住居・社会を奪われた人々は、何を頼りに生きていけばいいのか途方にくれ、なんとか食べ物を確保できないかと隣国に向けて歩き出します。
民族内紛が起こる理由の一つに、人口増加があります。仲間を養い子孫を残すために、広い土地・多くの食料が必要となり、隣の民族を襲う。襲われ、敗れた民族はすむ場所・食料確保の術を失います。そして、飢餓のため多くの人が命を失う。

争いを避け、共存の道を選ぶ方法もあります。しかし、共存の道を選んだがために、絶対的な人の数と食糧確保の量が釣り合わず、結果としてより多くの飢餓が発生してしまうこともあります。

何より大切なことは、こういった争いの種を蒔いているのが、われわれ資本主義先進国が展開する経済のスタイルにあることです。一例を挙げると、穀物の先物取引でしょうか。小麦・とうもろこしを生産⇒先物市場での不可解な価格上昇⇒生産者の市場への出回り量抑制⇒さらなる価格の高騰という悪循環が発生します。そうすると、これまでは10円で賄うことができた食費が、20円になり、食を細くせざるを得なくなります。日本人のように支出に対する食費のウェイトが低ければ、何とか暮らしていけるでしょう。しかし、世界の貧困レベルでは、支出に対する食費のウェイトが80%以上なんてところが多数存在します。
明日はわが身、今日を何とか生き延びなければならない…そういう状況で今を生きている人がたくさんいます。

世界で問題にされているのは絶対的貧困です。それに対し、日本で議論に上がっているのは相対的貧困といえるのではないでしょうか。前者は、富者に対する貧者の叫び。後者は富者に対する貧者の愚痴。われわれが真摯に向き合わなければならないのはどちらの問題なのでしょうか。

※「一国の人々」ではなく「世界の人々」に焦点をあてる必要性を長々と述べてしまいました。勿論、日本で起こっている問題を解決することも大切なことです。日本が倒れてしまったら、世界各国への余波は凄まじいものでしょう。だけれども、もう少し世界に目を向けてほしい。特に次代の世界を築いていく若者には、主体的に視野を世界レベルまで広げてほしい。そして、それをサポートする大人たちがもっと沢山でてきてほしい。そうしないと、世界は一層苛酷な状況へ進まざるを得ません。
余談ですが、この地震を機にハイチで「環境モデル都市案」を実行してみるのもいいのではないでしょうか。最初は、生活に直結するところから初め(インフラの整備等)、次第に産業にまで手を広めていく。復興の先にある未来を見据えた政策を行えば、世界各国からの支援・賛同が得られるはずです。

2010年1月15日金曜日

シュレ猫、あります。

日本航空の株が結構なことになっていますね。メディアが個別の株価をこれほどまでに大々的に報道するのは、ライブドア以来でしょうか。とはいっても、報道の背景は両者で大きく異なります。JALは国民の問題、ライブドアはメディア・情報倫理の問題が読み取れるように思います。最も、ライブドアの元社長である堀江貴文氏は、さほど悪いことはしていなかったと個人的に思うのですがね。法の抜け目を狙った陰気な情報操作・情報提供などは、日常茶飯事に起こっています。うむ、小汚い世界になってしまったものです。

小汚い世界を小奇麗な世界に変えるにはどうすればよいのでしょうか。お金をたくさん稼いで、多額の寄付をする?他国に工場を建てて、現地の人々に労働を提供し、win-winの関係を築く?色々な術が頭の中に浮かび上がってきますが、どれもいまいちしっくりこない。しっくりこない時はどうするか?えびすはちょっと小難しい哲学の力を借りて、自分の頭をかき混ぜることにしています。というわけで、今日紹介するのはこの本。

シュレディンガーの哲学する猫 (中公文庫)

哲学関連の本は、しっくりこない頭を余計に混乱させてしまうこともあるが、読むに値する作品が多い。本を読んではずれを引いたときの悲しさといったら…読書好きの方々はしばしば経験されていることだろう。本書を読むに当ってはそのような心配は要らない(%ははずれと思うであろうが。)。多くの読者にとって、本書は間違いなく当りの部類に入るのではないだろうか。難解な哲学者の思想を、著者の内で咀嚼し、理解しやすい姿に変えてから、われわれに与えてくれる。

内容は、哲学の本を書こうとしている男と、時空を旅して哲学者に変身してしまう(意識がモノに宿る事無く存在できるのであれば別だが)猫の物語。ヴィトゲンシュタインに始まり、ニーチェ、ハイデガーを経て大森で締めくくる。なんとも感銘を受ける哲学者構成である。ワタシが最も気に入った章は、ハイデガーと小林秀雄の章。

ハイデガーの哲学は難解だ。存在から入って、芸術に至り、無に帰す。一筋縄では理解できないのは当たり前。いや、何回読んでも、疑問に思うところが必ず現れることこそ哲学書のあるべき姿である。ハイデガーの名言を二つ以下に記そう。

「来るべき思索は、もはや哲学的ではない。なぜならそれは、もはや形而上学よりもいっそう根源的に思索するからだ。」
「言葉は存在の家である。言葉による住まいの内に、人間は住む。思索する者たちと、詩作する者たちが、この住まいの番人たちである。」

哲学は芸術と同じように、一つの命題に対し、それを読み・考え、自分なりの答えをだすことができたものの数だけ存在する。思ってそれを探索すること、それは「今現在」私が向き合っている問題(哲学)をさらに掘り下げるということにほかならない。思考の湖で彷徨う内に、ついに我々は誰も見聞きしたことの無い宝物を手にすることができる。宝物は誰にも属さない、己の思想それ自体を築くピースである。(一言目の解釈)
しばしば我々人間は己の意見に固執するものだ。だから、自分の住まいには番人がいるのであろう。番人が安全だと受け入れたもののみしか、私は受け付けない。これは何も哲学に限ったことではない。全ての面において、我々は番人に品定めをさせている。(二言目の解釈)

※本書の良いところは同時に良くないところでもあります。上に引用したハイデガーの文言にあるように、哲学は自分で考えてなんぼのものです。発見が新たな疑問を呼ぶ。そして疑問から新たな発見に至る・・・この連鎖に陥りながら、いつの間にか自分の思想が出来上がっている。これこそ哲学の醍醐味でありましょう。


2010年1月13日水曜日

能の女たち、あります。

なかなか布団から出られない。あと10分と思っていても、15分…20分と布団から出られないダメ男。いやはや、幾つになっても変えられない習性です。こまった、こまった。

布団から顔を出し、のそのそとベッドから起きて、窓のそとを眺めると…そこには幻想的な真白の世界。ロマンチックな雪ではなく霧でした。出社の支度をして外に出ると、困った…10メートル先の視界がはっきりとしない。これほど濃い霧に身を包むのは、久しぶりの体験でした。フランス旅行で冬の早朝のパリ市街を散策した時以来でしょうか。幻想的な世界に出会うと、ついついカメラに収めたくなりますね。

さて、今日は幻想的な世界から狂気の世界まで、幅広いジャンルの物語があり、古き日本人に親しまれていた芸術から、この本を紹介。

商品の詳細

能で表現される世界は、非常に興味深い。というのも、主役の表情・感情は面を伝ってしかわれわれ観客に届かないからだ。能は、表現者だけでなく観客のほうにも相当の「真贋力、知識力、感性力」を要求する。例えば、物語のあらすじ・展開性を理解するに、時代背景・心情描写を読み取る能力が必要とされる。「あらかじめ、勉強してからお越しくださいませ。もし、楽しめないようであれば、それは我々だけでなくお客様にも非がありますのよ。」…予め勉強する、それも能の台本だけでなく、当時の街並みがどういったものであったか、どんな芸術を軸に文化が築かれていったのか、そういったところまで勉強する。そうして初めて能を堪能できる「観客」になれる。

本書は代表的な曲目を「女性像」にターゲットを絞ってわかりやすく紹介・分析してくれる。分析に関しては、結構主観的な分析・独白もあるので、それはそれで楽しく読める。紹介されている曲目のうち、興味深かったのが、老人の女御への恋とその報復を綴った「恋重荷」。この女御の人生の閉じ方に対して、読者・観客が各々「どのように感じているのだろうか」を考えてみると、面白い心理分析になる。

最後に、能の曲目構成を紹介する。能は基本的に5つの曲目を一日で行う。そして、その5つの曲目構成は、序(1段)・破(3段)・急(1段)で分類されている。静かにしっとりと始まり()、次第に盛り上がりを見せてピークに達し()、興奮冷めやらぬうちに一気に終盤に持っていき()、曲目を終える。それはまさに、人間の人生そのものではないか。何も知らずに生まれて、自然・ヒトと触れ合い多くの経験を積み上げつつ人生の謳歌を堪能し、そして満足に達しつつあるところで息を引き取る。能の敷居が高いのは間違いない。しかし、そこから得られるものは芸術としての楽しさだけでなく、生きていく上での悟りにも似た感覚を我々に与えてくれるだろう。

※序破急は、日本の芸道論にしばしば使われているようです。ちなみに、エヴァンゲリオン新劇場版のタイトルにも使われていますね。

2010年1月11日月曜日

笑い男、あります。

2010年元旦から、かなりのペースで読書を続けてきました。本日で7冊目を読破。年間目標150冊に向けて順調な滑り出しです。が、如何せん、社会人は余暇に割ける時間が少ないのは事実。計画的に読書に励んでまいります。

さて、ブログをはじめて丁度1週間。「On my らいふ。」は「書評」「映評」「番外評」の3つの柱を中心にブログを展開していきたいとおもいます。えびすのつれづれな「評」にどうぞ付き合ってあげてくださいませ。※「番外評」に変な評論も多々つづるとは思いますが、ご愛嬌とおもって堪忍ください。

ではでは、本日の作品を評していきましょう。ご紹介するのはアニメからこの作品。

商品の詳細

えびすはエヴァンゲリオン、ジョジョの奇妙な冒険、そして攻殻機動隊の3作品は後世に残すべき「殿堂アニメ」として位置づけております。ちなみにこれら3作品を子供に見せても、「わけわかんなーい」の一言で片付けられてしまうでしょう。「大人のための社会学アニメ」というフレーズがぴったりな作品群です。

笑い男が取り上げるストーリーは「薬事法改正と政府・国の癒着問題」。電脳硬化症と呼ばれる病気の治療法に関して、国・政府は薬事法を改正し、従来のワクチンによる医療方法を否認、マイクロマシン療法を推進するという方針を取ります。医療法としてはワクチン療法が優れた効果を示す一方、マイクロマシン療法は効果が無いとわかっているにもかかわらず、目先の利益のために、国・医療機関関係者は国民の生命を犠牲にする道を選びます。マイクロマシン医療装置のベンチャー企業の一角であるセラノゲノミクスの特許を認可、正規認可を与え、株式の売買で多額の利益を出します。ここで、笑い男が登場。セラノ社の社長にマイクロマシン療法の電脳硬化症に対し、何の効果も無いことを国民につたえろと脅迫します。しかし、セラノ社長はこれを拒否。笑い男は強引な手段に出るも失敗、逃走します。

物語としてここで終われば、そこら辺のアニメと差異は無いでしょうが、攻殻機動隊はもう一歩踏み込んでいきます。

メディアに笑い男が映されたことを利用し、国・政府は笑い男を上手く利用して、多く企業の株価操作に着手します。具体的には、架空の笑い男を仕立て上げ、A社の株の空売り⇒A社への脅迫、株価暴落⇒A社の株の買戻しにより、多額の利益をえていきます。
ちなみに、物語は、公安9課の活躍で政府の癒着問題が明らかとなり、Good endingを迎えます。

この物語を組み立てた人は凄い。なにせ薬事法と国・政府の癒着は、実際の社会でも起こりうることだから(起こっているといっても間違いではないかもしれません)です。なにをするにもお金が必要なのは認めます。しかし、そのお金は、今・ここに生きている人たちの生命を犠牲にしてまで手に入れなければならないのでしょうか?そして、そこで得た不正なお金は、本当に国に還元されていくのでしょうか?役人のエゴは排除しきることは可能なのでしょうか?
医療はヒトの生命に関わる分、巨額のお金が動くセクターです。そこでの市場を上手く操作し、一稼ぎしようと考える人が出てくるかも知れません。『笑い男』は、未来の医療が誤って進む可能性がある道筋を我々に示しています。そこから学ぶべきことは沢山ありますし、あるべきです。20歳を越えた大人の方々には、是非見ていただきたい作品です。

※攻殻機動隊シリーズの全体像については、また後日書かせていただきます。

空気人形、あります。

20歳…当時の僕の学生生活を振り返ると、結構破天荒な生活を送っていたなぁとしみじみ感じます。起床時間はお昼前。顔を洗って、大学ではなくアルバイト先へ足を運び、夜まで働いて、渋谷・六本木の街で朝まで遊ぶ。うーん、堕落していました。
でも、そんな破天荒な生活が僕にもたらしたものは、大学の講義では学べない貴重な宝ものとなりました。夜の街の歩き方、女性の扱い方、腰を低くすることの大切さ、そして何より交友の幅が格段に広がったことは僕の人生観を大きく変えてくれました。今でもしばしば昔の仲間と食事に行きますが、つくづく友人のかけがえの無さを感得します。

今日は、僕が大学生になってから興味を抱くようになった、芸術・アート分野から映画を一本ご紹介。

 商品の詳細
「空気人形」

本作のタイトルである「空気人形」とは性欲処理のための人形のことです。ちょっとイメージが悪く感じ取られるかもしれませんが、作品の中身は素晴らしい。日本社会の物質的裕福さの裏側にひそむ、個人各々が抱いている人生に対する不安・虚無感が、幻想的で美しい映像と切ない音楽に合わせてスクリーン上に投影されています。

資本主義の宿命ともいえる物質の豊かさは僕達の日常生活に何をもたらしたのでしょうか?代替のきくモノはぞんざいに扱われ、新しいモノがでると今使っているものはお払い箱としてしまいます。では、もし仮にモノに心が宿っているとしたら、我々はどのような行動にでるでしょうか?同じように古くなったらお払い箱にしてしまうのでしょうか?

資本主義の循環の過程で、モノは重要な担い手となります。しかし、モノは循環の中で磨耗し、最終的には価値無き物へなりさがるほかありません。価値がなくなったモノが向かう場所、それは人間で言う墓場に他なりません。しかし、そこに花が生けられることはありません。ただ、「存在したモノ」が消滅するだけです。

作品では空気人形というモノに心を持たせたうえで、モノの使用価値の行き着く終着点が描かれています。そこからモノの大切さを感じ取り、モノを大切に扱うことの重要性を今一度痛感させられます。しかし、もう一歩踏み込んで映画を分析してみましょう。モノをヒトに変えたら、ヒトはどのように捉えられるでしょうか?
…資本主義の発達は、より有能かつより利益の上げられるヒトを求めます。ワタシに代わる有能なヒトが現れると、ワタシはお払い箱となります。そして、お払い箱になったワタシは生活がままならなくなり、一人孤独な人生を歩むことになります。…「空気人形」が我々に突きつけるもう一つの問題、それは「人間のあり方」についての問題です。

資本主義の行き着く先に何があるのか…「空気人形」が生み出す幻想的な映像とは相反する厳しい現実の未来像がそこに隠されています。今一度、人間の幸せについて考えるべきなのではないでしょうか?個だけではなく、総としての人間についてです。

※えびすとしては社会学者ボードリヤールの書籍を合わせて読むことをお勧めします(後日ボードリヤールの書籍も紹介していきます)。消費社会が出来上がった過程、その行き着く先がわかりやすく述べられております。

2010年1月10日日曜日

Web 2.0、あります。

The spread of the internet service has been so a world widen, we can contact the people live faraway from our region of day life. The net is so addicted that someone can stop connecting to the stock of the electrons. I experienced this addiction of internet, when I was junior high school student and the tool attracted me was the chatting which enabled the many people connect to one place at moment.   

Today I introduce the paper from the Mackinsey Quarterly. The title of this paper is…How Web 2.0 is changing the way we work: An interview with MIT’s Andrew Mcfee

In this paper, Andrew talked on the ways how Web 2.0 technologies change the business style and whether these tools do help the companies to archive their goal.

First, he mentioned the basis of Wikipedia that is free encyclopedia edited by many people with no regards. The quality of Wikipedia in these days is not bad, so the field of non charge based information could be a useful information center for both individuals and companies.
Second, he mentioned the reason why he decided to create the tools based on Web 2.0 (that is like Wikipediia). He knew the importance of creating new culture and signaling what’s valued inside the organization to step forward in our lives, and the technologies of Web 2.0 made it possible for millions of people to get the brief of the answer in life and company difficulties. 
For last, he warned some important things (ex.:the manager of the information gatekeeper would be upset). In opposite to the mal point, he also showed the good point of the introduce of Web2.0 (you can get connect to many information with the technologies of internet).

Now it our turn! How do you take the services and tools of internet? How it will be changed and progressed in the future? Should we do all things on the web without meet in face? Please think on this subject and discuss with someone else.

※たまには英語も書かないと忘れちゃいますね。

2010年1月8日金曜日

たまたま、あります。

えびすの千夜一冊の夢は散りました…松岡正剛はすごい。一日に一冊、しかもかなり深いところまで読み込んで論評されています。若かりし頃からの不断の読書で培ってきた、基礎体力・解釈力がものをいうのですかねぇ。
5000冊の所蔵、それらを全て論評することが出来るレベルのオトナになりたい!…とえびすも常々思っているのですが…思いは理念に変えないと成就しないものです。

さて、そんなえびすが読書にのめりこみ始めたのは大学院生になってから。しばしばあるように、偶然出会った魅力ある人がかなりの読書家であり、羨望の思いを抱いたことがきっかけです。そして、このブログを始めたのは、「そろそろ自分の考えを外にだしていきたいなぁ」と思っていたときに、偶然Googleのブログサービスを見つけたから。…おまけに…えびすが綴った文章を読んでいるのは、読者が偶然(いや、間違ってか)このサイトのURLを押してしまったからでしょう。

世の中の出来事の多くは偶然により引き起こされています。「あの日あの娘と出会わなければ、今の僕の人生はなかった」…これ、的を射た答えなんですよね。前置きが長くなりました。本日紹介する本はこちら。

商品の詳細

確率を支配する原理や概念の発達について、政治、ビジネス、医療、スポーツといった人間の営みの中でそれたどのように関わっているか。われわれがランダムネスや不確かさを前にしたときの選択の仕方や、誤った判断、不幸な決断へと仕向けるプロセスについて述べられております。いやはや、かっこいい冒頭の言葉ですね。

CEOの成功、ファンドマネージャの成功、ベストセラーの本の発掘etc…多くの成功・ヒットは「たまたま」起こった事象の一つにすぎない。本書ではそれを統計・確率を用いて立証していきます。また、ギャンブルにおいて統計がいかに収益に結びつくのか、ワインの格付けがいかにランダムに決められているか、医者の医療判断がいかに真実を見落としているかについても、ユーモアを交えて分析・批判されています。

数学の理論が色々と出てきますが、それらの知識がなくても苦なく読み進むことが出来ると思います。また、理論を知っている人たちにとっては、知的な史実で裏づけされた、理論の新しい面を楽しむことが出来るかもしれません(ベイズ理論がお勧めです)。

※反面、テンポが良すぎるため、読後に身近に起こる色んなことをランダムネスで片付けてしまいがちになりそう。本書のように理論的に事象を考えるのも大切ですが、えびすは感情的・情緒的に事象を受け取めるほうが人生楽しいんじゃないかなぁと思います。

2010年1月6日水曜日

Statue of Post Human、あります。

人類の未来はどうなるんだろう?


真夜中、書斎の肘掛け椅子に座り、うとうとしつつ人類の未来について考えることがしばしばあります。ホモ・サピエンス・サピエンスが生まれて10万年、われわれ人類は目覚しい発達を遂げてきました。


とりわけ1900年から2000年にかけての進化は凄まじいものがあります。新聞、ラジオ、テレビ、インターネットというモノの失火を辿り、今日、われわれが得る情報量は100年前の数万倍に達していると言っても過言ではないでしょう。そして、情報量の増加に伴い、無意識層で蓄積されていく知識量は、100年前の人間の数万倍に達していると考えることができます。勿論、あくまで無意識層での話です。意識下においては、われわれは蓄積された知識情報のうち、ほんの一握りの情報しか取り出すことができません(あ、でも著名な学者様方は別ですよ~)。


無意識下で蓄えられた知識は、その人の脳を経てDNAに書き込まれます。そして、その潜在的な情報が、ある「かたち」で子へと受け継がれます。なにも、直接的な情報の受け渡しに限りません。そのうけつがれた「かたち」が「潜在的な情報量の和=知識の器の大きさ」と捉えるとどうでしょうか?子は親よりも「より大きな情報の受け皿」を持つことになります。そして、これが何世代にもわたって繰り返されると、どうなるでしょうか?以下の数式で考えるとものすごいことになります。


Ki=total knowledge(i世代のひとの知識の器)
α=coefficient(係数:受け継がれる知識の乗数)
Ki=α×Ki-1
仮にi=20(20世代)ならば・・・
K20=α×α×α・・・×K1(第一世代)
       =α^20(αを20回掛け算)×K1
α=2とすると(おじいさんの2倍の知識の器を親が持つ)
K20≒1000000×K1
つまり、20世代後の人間は1世代目の人の100万倍の知識の器を備えているということになります。


空想がかった自論をかなり述べてしまいました・・・みなさまのつっこみお待ちしております(笑)。このお恥ずかしい前置きを経て紹介する本がこれです。


商品の詳細


著者はA・C・クラーク博士。皆さん知ってますよね?えびすはこの本を最初に読んだとき(若かりし学生時代)、かなり衝撃を受けました。新しい人類(幼年期の人類=現在の人類からもう一段進化した人類)は、人間のような身体、感情、生きる目的を持たない。そして、死という境界線が引かれていない。もはや、新しい人類には「時間」という概念は存在しないのではないでしょうか。時間概念の消去=永世、確かにわれわれ人類は終極として永世を求めるかもしれません。しかし、永世を得ることで失うものはあまりに大きすぎる・・・。


本書から得られるものは、何も未来の人類の姿(クラーク博士の想像)だけではありません。もっと哲学的な、人間の根底的なところにある何かを感じ取ることがきるはずです。読まれたことのない方は是非詠んでみてくださいませ。


※2001年宇宙の旅もいいですが、えびすとしては、「未来に向けての人類のシフト」がより捉えやすい幼年期の終わりをおすすめします。

2010年1月5日火曜日

ブランディングの術、あります。

会社も始まり忙しい日々が始まります。はぁ、本を読んでお金がたくさんもらえればいいのになぁ。いかん、希望的贅沢は戒めねば。

今日はビジネス本を一冊ご紹介します。皆様もご存知であろう「博報堂」のコンサルティング部隊(?)から出ている本です。



僕達は「ブランド」を至る所で目にすることが出来ます。代表例はLOUIS VUITTONDior等の服飾ブランドでしょう。車で言えば、ポルシェやベンツです。でも、ブランドの枠はこれら「モノ」にだけ限定されるわけではなく、ホテルや引越し業者のサービスも一つの「ブランド」です。…本書ではサービス業種におけるブランドに焦点を絞って色んな方向から「ブランド価値の創出ツール」について探っていきます。


章ごとの簡単なまとめは以下の通り。

第一章  なぜサービスブランディングか
○モノのブランディングとサービスのブランディングの違い。顧客接点ごとにブランド価値のどの要素を強調すべきか。
第二章  サービスブランディングのフレームワーク
○サービス財特有の難しさ(無形性、変動性、複合性、継続性)。顧客接点の作り方。
第三章  店舗×非契約型サービスのブランディング
○安さで顧客を得られる商品と信頼で顧客を得られる商品の棲み分け。
第四章  店舗×契約型サービスのブランディング
○顧客獲得の後→ハードよりもソフトの革新に重点投資。
第五章  無店舗×非契約型サービスのブランディング
○潜在ニーズを初期の段階から掘り起こすための効果的なセグメンテーション。
第六章  無店舗×契約型サービスのブランディング
○新規参入しやすいがゆえ、独自のカテゴリーを維持する必要性。
第七章  ブランド体験管理の仕組み
○視点を企業のレンズから顧客のレンズへの切り替え。満足感×ロイヤリティ=高収益。


あんまり詳しく説明できず申し訳ありません・・・というかあまり喋りたくありません(笑)。各々に適した戦略の組み方・ブランドの築き方を、事例とともに解りやすくかつ濃密に説明してくれています。将来起業を考えている人には是非!

その他気になった点を以下に記します。
ブランディングの成功例として一休.comOisixを紹介(勿論他の成功例も紹介)。両会社に共通するのは、戦略的に将来を見据えていること。一休.comでは「他者のブランド」を、Oisixでは「自社のブランド」上手く利用し、ビジネスモデルに組み込んでいる。全体を通して感じたのは、どの型においても顧客との「共感」を重視している(顧客と企業がともにブランドを創りあげていくCoブランディング)。モノを商品とする企業にあっても、ブランディングは重要。今後、ますますブランディング戦略のニーズは高まるであろう。

2010年1月4日月曜日

日本の本当の未来、あります。

昨日のブログ内容。読むに値しないような内容ですいません。


反省もかねて、『日本の未来について』ちょこっと補足しておきます。題して『日本の本当の未来』であります。


雇用問題、少子・高齢化問題、景気問題etc いろいろな問題を日本は抱えています。どの順に重要度が高いのか、なんてランク付けはできません。どれも重要であります。


今回は雇用問題について、日本の本当の未来を考えてみましょう。
さて、モノつくり大国日本の影が薄れてきた現在、政府はもちろんのこと、多くの日本国民が中小企業の未来に懸念を抱いております。そういうえびすもその一人。何が心配かって?若者の雇用枠の減少です。今の日本経済ではなくて、未来の日本経済の懸念です。多くの人は今・現在ばかり心配していますが、本当に心配するべきは未来の日本がどうあるかです。


正直、日本はモノつくり大国という過去の成功に固執しすぎなんではないでしょうか?ファストリティングの柳井さんの言葉「成功は一日で捨て去れ」を真摯に受け止める必要性を感じます。


市場が求めているニーズは階層ごと(消費者→メーカー→下請け)に異なります。そして、中小企業の多くは下請け会社です。メーカー→下請けの矢印で求められるニーズは品質であったり納期の早さであったりします。最も重視されるのはコストです。


さて、このコストが問題。日本の経済はその多くを外需に頼っております。それゆえ、メーカーにあっては、自国はもとより海外勢との価格競争が熾烈になっております。「よりやすく製品をつくる」は最も安易に利益鞘を稼ぐ術でしょう。ではどこで安い製品が作れるのか?ご存知の通り、後進国で安くつくれます。安い人件費ほど、上手いものはなし。事実、日本にあふれている多くの製品は海外製です。


海外で製品が作られるとどうなるか?メーカーとしては願ったり適ったりなのですが、日本の下請け企業(中小企業)にとってはたまったもんじゃありません。仕事が廻ってこなくなってしまう=倒産の危機に陥ります。そこで中小企業は人員の削減に手をいれます。さて、ここでどの従業員から首を切っていくでしょうか?ここは皆様のご想像に託しましょう。(因みに複数のシナリオがあります。)


このままでは中小企業の未来はお先真っ暗です。そして、日本の雇用問題もお先真っ暗です。では、どういった方向性にシフトすべきなのでしょうか?


この続きはまた後日。

2010年1月3日日曜日

日本の未来、あります。

久しぶりに姉と夕食へいってきました。
場所は下北沢、店名は失念・・・だけど日本食のお店。この歳になると、ついつい和食のお店ばかりに足がすすんでしまいます。

店に入って梅酒片手にぐだぐだと2時間ばかりお話しました。内容は「今後の日本の方向性」についてであります。

お酒が少々入り、饒舌になってきたところで出した結論は・・・『日本はだめだぁ、あと10年もたないよ~』・・・真剣に日本の未来を考えなければいけないんですけどねぇ。お酒が入っちゃうと難しい論なんかすっとばして、全部『だめだぁ』で片付けちゃう自分がいます。はぁ自戒自戒。

いつまでたっても成長しない自分に反省させられた(毎度のことですが)夕食でした。

えびすのブログ、あります。

あけましておめでとうございます。今年は2010年・・・21世紀もはや10年が経過してしまったんですねぇ。

時の経過とともにえびすも歳を重ねてまいりました。ことわざで「光陰矢のごとし」と言いますが、えびすにとっては「光陰まさに光のごとし」でしたね。

今までの人生を振り返ると、いろんな人に出会い、いろんなことを語り、いろんな関係(笑)を築いてきました。みんなえびすの「たからもの」であります。

昔は記憶力が良かったので、時間が経っても「たからもの」がどこにあるのか把握し、掘り出せたのですが・・・最近はだめです。ニューロン結合が追いつかなくなってきました。そんなわけで、ブログというツールに僕の「たからもの」を残していきたいと思います。

つまらない内容になっちゃうかもしれませんが、まぁ暇つぶしに読んであげて下さいな。

※『On my らいふ。』では、肩に力を入れず、徒然なMy lifeを綴っていきます。