2010年1月11日月曜日

空気人形、あります。

20歳…当時の僕の学生生活を振り返ると、結構破天荒な生活を送っていたなぁとしみじみ感じます。起床時間はお昼前。顔を洗って、大学ではなくアルバイト先へ足を運び、夜まで働いて、渋谷・六本木の街で朝まで遊ぶ。うーん、堕落していました。
でも、そんな破天荒な生活が僕にもたらしたものは、大学の講義では学べない貴重な宝ものとなりました。夜の街の歩き方、女性の扱い方、腰を低くすることの大切さ、そして何より交友の幅が格段に広がったことは僕の人生観を大きく変えてくれました。今でもしばしば昔の仲間と食事に行きますが、つくづく友人のかけがえの無さを感得します。

今日は、僕が大学生になってから興味を抱くようになった、芸術・アート分野から映画を一本ご紹介。

 商品の詳細
「空気人形」

本作のタイトルである「空気人形」とは性欲処理のための人形のことです。ちょっとイメージが悪く感じ取られるかもしれませんが、作品の中身は素晴らしい。日本社会の物質的裕福さの裏側にひそむ、個人各々が抱いている人生に対する不安・虚無感が、幻想的で美しい映像と切ない音楽に合わせてスクリーン上に投影されています。

資本主義の宿命ともいえる物質の豊かさは僕達の日常生活に何をもたらしたのでしょうか?代替のきくモノはぞんざいに扱われ、新しいモノがでると今使っているものはお払い箱としてしまいます。では、もし仮にモノに心が宿っているとしたら、我々はどのような行動にでるでしょうか?同じように古くなったらお払い箱にしてしまうのでしょうか?

資本主義の循環の過程で、モノは重要な担い手となります。しかし、モノは循環の中で磨耗し、最終的には価値無き物へなりさがるほかありません。価値がなくなったモノが向かう場所、それは人間で言う墓場に他なりません。しかし、そこに花が生けられることはありません。ただ、「存在したモノ」が消滅するだけです。

作品では空気人形というモノに心を持たせたうえで、モノの使用価値の行き着く終着点が描かれています。そこからモノの大切さを感じ取り、モノを大切に扱うことの重要性を今一度痛感させられます。しかし、もう一歩踏み込んで映画を分析してみましょう。モノをヒトに変えたら、ヒトはどのように捉えられるでしょうか?
…資本主義の発達は、より有能かつより利益の上げられるヒトを求めます。ワタシに代わる有能なヒトが現れると、ワタシはお払い箱となります。そして、お払い箱になったワタシは生活がままならなくなり、一人孤独な人生を歩むことになります。…「空気人形」が我々に突きつけるもう一つの問題、それは「人間のあり方」についての問題です。

資本主義の行き着く先に何があるのか…「空気人形」が生み出す幻想的な映像とは相反する厳しい現実の未来像がそこに隠されています。今一度、人間の幸せについて考えるべきなのではないでしょうか?個だけではなく、総としての人間についてです。

※えびすとしては社会学者ボードリヤールの書籍を合わせて読むことをお勧めします(後日ボードリヤールの書籍も紹介していきます)。消費社会が出来上がった過程、その行き着く先がわかりやすく述べられております。