情報の世界の進歩には目を見張るものがあります。特にネットの世界が1990年から2010年の間で、まさかこれほどまで私達の日常生活に隣接するようになるとは、1990年の時点ではほとんどの人が想像できなかったのではないでしょうか?とかいう、私も想像できなかった一人であります。
一昔前であったら、「1日遅れ」でしか得られなかった海外の情報も、今は瞬時に得ることができます。手紙でしか連絡の取れなかった海外に滞在している友人とも、メッセンジャー・スカイプを使えば、リアルタイムで意思疎通をはかれます。物の売買もすべてインターネット上で済ますことができます。単体農家の有機野菜ですらも取引の対象となっています。
一昔前であったら、「1日遅れ」でしか得られなかった海外の情報も、今は瞬時に得ることができます。手紙でしか連絡の取れなかった海外に滞在している友人とも、メッセンジャー・スカイプを使えば、リアルタイムで意思疎通をはかれます。物の売買もすべてインターネット上で済ますことができます。単体農家の有機野菜ですらも取引の対象となっています。
現在の情報社会は、利便性・瞬時性・拡張性に優れた世界を手にすることを我々に許可しています。あくまで許可しているだけであり、それをどのように用いるかは各人の意志に委ねられます。善良に使う者もいれば、悪事に使う者もいる。お金を沢山稼ごうとして使う者もいれば、自分が創造したアウトプットを周りの人に評価してもらおうとして使う者もいる。
誰が何をどうやって何のためにそれを用いるのか…これを考えて物事を進めていると、私達は必ずどこかで立ち止まるでしょう。そして、立ち止まって初めて見えてくるものがたくさんあり、色々見えてくることで、そこから多くの葛藤が湧き出てくる。さて、この葛藤に対し我々はどのように対処していけばよいのでしょうか。
長ったらしく、疑問系で終わる前置きをおいて、今日はこの本を紹介します。
我々は生まれたときには一本の道しか見えていない。しかし、成長を重ねていく上で、何十本、何百本もの道が立ち現れてくる。その何百本のうちのたった一つ、それを選ぶことを我々は強いられる。一つの選択が奪い去った他の道の可能性は、そこで絶たれることになる。これは、現在我々が生きている世界でまかり通っている事実であろう。
選択をすること、それは己の可能性が引き起こす葛藤との争いを休戦に持ち込むことだ。しかし、それはあくまでも休戦であり、終戦ではない。いつどんなきっかけでまた争いが勃発するかは予想がつかない。そして事実われわれの多くは、己の人生の選択と争っている。
クォンタム・ファミリーズ。ここに描かれた世界観は、しばしばSF小説などで耳にする世界と似ている。本文中の言葉を借りて説明すると、以下のような世界だ。
「私達の世界のすぐ隣には、無数の平行世界が開け、そしてわたしたちはネットを通じてそれらの世界と繋がっている。」
平行世界、それは俗に言うパラレルワールドのことであろう。しかし、今までのパラレルワールドと異なるのは、パラレルワールドが多数存在し、各々の世界がそれ独自の「セカイ」を築いているところだ。だから、互いの世界は干渉しあわない。スタンドアローンな状態で世界は時を刻んでいく。
どれが本当の世界か?それを問うこと自体が、本書の中では全く無意味なことだ。と言っても、なかなか解釈に苦しむ。肉体と精神を完全に分離した世界。精神が肉体間を自由自在に移動することができる世界。すべては…われわれが真実だと信じているこの世界でさえもシミュレートされた世界なのだろうか。
※本書は近未来の世界を舞台に、我々の意識といったものが、どのような形で平行世界に潜り込んでいくのかを、一家族の「存在の可能性」を軸として小説の形で表したものです。物理学の知識が無いと相当に難解な内容となっているのではないでしょうか。前半100ページ辺りまでの内容をすんなり受け入れられれば、そのあとはすいすいと読むことができるはずです。また、東氏の本を読んだことがある方であれば、主題の平行世界の可能性のほかに、随所に散りばめられた哲学的断片に興奮を覚えるでしょう。
