日本航空の株が結構なことになっていますね。メディアが個別の株価をこれほどまでに大々的に報道するのは、ライブドア以来でしょうか。とはいっても、報道の背景は両者で大きく異なります。JALは国民の問題、ライブドアはメディア・情報倫理の問題が読み取れるように思います。最も、ライブドアの元社長である堀江貴文氏は、さほど悪いことはしていなかったと個人的に思うのですがね。法の抜け目を狙った陰気な情報操作・情報提供などは、日常茶飯事に起こっています。うむ、小汚い世界になってしまったものです。
小汚い世界を小奇麗な世界に変えるにはどうすればよいのでしょうか。お金をたくさん稼いで、多額の寄付をする?他国に工場を建てて、現地の人々に労働を提供し、win-winの関係を築く?色々な術が頭の中に浮かび上がってきますが、どれもいまいちしっくりこない。しっくりこない時はどうするか?えびすはちょっと小難しい哲学の力を借りて、自分の頭をかき混ぜることにしています。というわけで、今日紹介するのはこの本。
哲学関連の本は、しっくりこない頭を余計に混乱させてしまうこともあるが、読むに値する作品が多い。本を読んではずれを引いたときの悲しさといったら…読書好きの方々はしばしば経験されていることだろう。本書を読むに当ってはそのような心配は要らない(数%ははずれと思うであろうが。)。多くの読者にとって、本書は間違いなく当りの部類に入るのではないだろうか。難解な哲学者の思想を、著者の内で咀嚼し、理解しやすい姿に変えてから、われわれに与えてくれる。
内容は、哲学の本を書こうとしている男と、時空を旅して哲学者に変身してしまう(意識がモノに宿る事無く存在できるのであれば別だが)猫の物語。ヴィトゲンシュタインに始まり、ニーチェ、ハイデガーを経て大森で締めくくる。なんとも感銘を受ける哲学者構成である。ワタシが最も気に入った章は、ハイデガーと小林秀雄の章。
ハイデガーの哲学は難解だ。存在から入って、芸術に至り、無に帰す。一筋縄では理解できないのは当たり前。いや、何回読んでも、疑問に思うところが必ず現れることこそ哲学書のあるべき姿である。ハイデガーの名言を二つ以下に記そう。
「来るべき思索は、もはや哲学的ではない。なぜならそれは、もはや形而上学よりもいっそう根源的に思索するからだ。」
「言葉は存在の家である。言葉による住まいの内に、人間は住む。思索する者たちと、詩作する者たちが、この住まいの番人たちである。」
哲学は芸術と同じように、一つの命題に対し、それを読み・考え、自分なりの答えをだすことができたものの数だけ存在する。思ってそれを探索すること、それは「今現在」私が向き合っている問題(哲学)をさらに掘り下げるということにほかならない。思考の湖で彷徨う内に、ついに我々は誰も見聞きしたことの無い宝物を手にすることができる。宝物は誰にも属さない、己の思想それ自体を築くピースである。(一言目の解釈)
しばしば我々人間は己の意見に固執するものだ。だから、自分の住まいには番人がいるのであろう。番人が安全だと受け入れたもののみしか、私は受け付けない。これは何も哲学に限ったことではない。全ての面において、我々は番人に品定めをさせている。(二言目の解釈)
※本書の良いところは同時に良くないところでもあります。上に引用したハイデガーの文言にあるように、哲学は自分で考えてなんぼのものです。発見が新たな疑問を呼ぶ。そして疑問から新たな発見に至る・・・この連鎖に陥りながら、いつの間にか自分の思想が出来上がっている。これこそ哲学の醍醐味でありましょう。
