2010年2月28日日曜日

omoukoto、すこしだけ。

2月も終わりです・・・そういえば今年はオリンピックの年。でも、我が家にはテレビがない。テレビがないと、オリンピックも「なんかどうでもエエですわ」みたいな感覚になっちゃいます。もっとも、そんな感覚になっちゃうのは僕だけかもしれませんが・・・。えてして感動を取り込むfieldを広くすべきなのですが・・・いやはや、その他のfieldでの感動で一杯一杯な今日この頃です。

さて、書評が新書続きですいません・・・今日の一冊はこれです。

商品の詳細

フィンランドといえば、子供の学力が高いことで有名である。その背景には、学習方法の工夫、少人数授業などの取り組みがあり、生徒全体に「学習」の基礎を徹底して身につけさせようという、国の熱意が伝わってくる。

大学は全て国公立であり、学費は無料。加えて17歳以上の学生には月500ユーロが支給されるため、安心して勉学に取り組むことができる。ただし、大学入学はかなり難しいく、高校卒業後にアルバイト・社会人を経験しながら勉強を続け、入学するものも多い。

思えば、日本も2000年までは世界第一位の学習到達度項目を有していたのだが、近年ではその順位は下がる一方である。なぜ日本の学力はこの10年ほどでがくんと下がってしまったのか。

一つに、生徒の「教師への尊敬の念」が昔と比べて、格段に小さくなってしまったことがあげられる。フィンランドでは、教師になるには難関な試験をパスする必要がある。そして何よりも、教師の教えることへのプロ意識が高い。そこには、日本のように「安定職としての教師」ではなく、「国を担う者を育てる職としての教師」として、「教える立場の尊厳さ」を国民が抱いている点が大きく現れている。

もちろん、フィンランドの教育方法だけを日本にそのまま取り入れようとしても失敗に終わるだろう。教育以外の社会環境のrebuildが必須用件であることは間違いない。「きちんとこつこつ学びを続けること」が報われる社会。失敗しても、選択を間違えても、その後の頑張りで取り返しのつく社会。今の日本社会は、誰もが皆「おそれ」を抱いているような気がしてならない・・・「おそれ」を「きぼう」に変える何かを築かなければ、若者の未来はますます暗いものになってしまうだろう。

※個人的な意見がかなり混じった書評になってしまいました。上に述べたこととは反対に聞こえるかもしれませんが、ほんの一握りの成功者がクローズアップされすぎて、多くの若者がに希望を抱かせるのも少し考えものなのかもしれません。こつこつ頑張ること、上を求めすぎないこと、輪を大切にすること・・・上流の世界への羨望が表面に現れすぎた後となっては難しいことかもしれませんが、日本人の大多数がこの3心を持つことができる社会になれば、「豊かな社会」を築けるのではないでしょうか。

2010年2月21日日曜日

On words

会社に入って最初の研修で教わったことのひとつにPDCAがあります。皆さんもよくご存知であるかと思いますが、簡単にその内容を説明します。Planをたて、Doし、Checkをいれつつ、次のActionを起こす・・・うーん、あんまりしっくりこない。何せ語呂あわせが悪い。ピーディーシィエー。そのまんまですやん。

世の中には、たくさんの教訓・訓示があふれています。PDCA、QCD、SWOT etc・・・これらの言葉は覚えやすく、多くのビジネスマンに用いられています。でも、皆が皆、同じ言葉ばかり使っているので、何度も耳にすると辟易してきます(それが狙いなのかも知れませんが)。

とくに、会社の上層部の人たちが、しきりに同じ人の言葉を引用しているのを耳にしたときの悲しさは結構大きいです。「P.F.ドラッカーの言葉にこんなものがあります」・・・それ、しゃちょーさんも言ってたなぁ・・・なんだぁ、みんなして同じ言葉ばかり?こりゃ、研修かなんかで教わった金言かねぇ。経営陣の部下に対する「印象の与え方」は会社の士気をとっていく上でとっても重要です。そこで、左に同じの言葉を聞かされても、部下はしらけてしまうだけではないでしょうか?

僕個人の印象としては、無理に誰かの言葉を借りてくるよりも、その言葉を上手く咀嚼し自分で創り上げた言葉で喋る方が、部下達の士気が上がるような気がします。誰かのコピーを用いることで「納得」は与えられましょう。しかし、人間の心を「揺さぶること」まではできない・・・と思います。

誰かに言葉を与えるときは、その使い方(TPO)は勿論のこと、伝え方もとても重要です。使い方に関してはかなり習熟してきたのですが、伝え方に関してはまだまだ途上にあるような気がします。もっとも、人間の心理的なところが入りますので、かなり難しいのではありますが、その分、身につけたときは非常に大きな強みとなります。僕も是非とも身につけたいものですが、如何せん、話をしていると独創してしまう癖があるので困っています。癖も上手くマネジメントしなくちゃいけませんね。

・・・友人と夕食をしてふと考えさせられたことをつづってみました。うーん、日々是精進であります。

2010年2月20日土曜日

街と人と空間と

さて、久しぶりに六本木ヒルズのテレ朝正面にある「TUTAYA+スタバ」でのんびり休日を過ごしております。半年振りぐらいなんですが、なぜかなつかしいさを感じる・・・うーん、なんでだろう。感覚が鈍ったのか、それとも研ぎ澄まされているのか、芸術鑑賞でもして確かめてきます。

さて、席について私がいつも行っていること、それは「人間・街観察」であります。
東京のど真ん中にしっくりと腰を据えて、通り過ぎる人たちを観察していると、街がどのように変わりつつあるのかを感じ取ることができます。

今回、「TUTAYA+スタバ」にて感じ取ったこと、それは以前にも増して「一人」でもくもくと何かに取り組んでいる人が増えたということ。私も大学生時代は頻繁に通っていたので、顔見知りの人も幾人かいます。東欧の色白美女「ナタリー」はいつもここで日本語を勉強しています。席は必ず二階。朝の早い時間から夕方ごろまでがんばっています。応援したくなっちゃう。40代ぐらいの、眼光が鋭く、いつもヘッドフォンで何かを聞いている「中島」は、グランデサイズのタンブラーを片手に大量の雑誌に目を通しています。えびすも彼らと同じくらい店員の間では知られていた存在であったことだろうと思います。何せ、朝から夜までずーっと同じ席で読書していたものですから・・・12時間突破なんて日もありました(笑)。(あ、個人的な名誉のために述べておきますが、店内が混雑してきたらちゃんと退席するマナーはちゃんと持っていますよ~)


さて、私の「第二の学び場」から紹介する本はこちらです。





商品の詳細

毎日新聞の連載コラムをまとめた春宵十夜もさることながら、他のコラムも非常に感銘を受ける。岡潔の実経験から生み出された珠玉の名言は心に染み入るものばかりだ。また、平凡な言葉で書かれているので、非常に読みやすい。

岡が心配しているのは、日本の将来の姿。つめこみ+おしつけ型の教育(20世紀半ば)に懸念を表し、教育の根本を変えていく必要性を随所で語っている。彼自身の経験に基づく提案は説得力がある。その反面、彼は読者がすべてを肯定することに危惧を感じ取ってもいる。「心配している、ただそれだけ」・・・多くの読者がその先を考えようとはしないことに不安を覚えている。

主体的に考えること、時間をかけること、礼法をわきまえること…彼が「人間の形成」に必要だと考えた「こと達」は今の日本社会に還元されているだろうか。そして、今の日本社会は「彼が心配した未来の日本」になってはいないだろうか。本書は教育者の道に歩もうと考えている学生に是非とも読んでいただきたい一冊である。

※教育改革を行っていくうえで大切なこと、それは急激な変化を与えないこと。ゆっくりと、時間をかけて、未来を見据えて政策を施していくことが大切。だけど、昨今の社会では「ちんたらやっていてはダメだ」という考え方が広まっています。慢性的に利益ばかりを重視してきた戦後の日本社会が築いた「こうあるべき姿」は、大人の世界だけでなく子供の世界にまで広がっています。幼い頃より、「勝ち組」にはいるために親に支配された時間が子供たちの「成長」から奪ったものははかり知れない。ある程度の自由と裁量を与えてあげなければ、「勝ち組」に入ったとしても「家畜身」に成り下がってしまうような気がしてなりません。

What can we do in front of the real world ?

この時期になると、執筆欲がじわじわ僕の心を奪い始めます。はぁ、社会人は自由な時間が少ない(そら当たり前だが)、時間を上手く使わないと、人生を棒に振っちゃいそうでちょっと不安になります。

でも、最近の社会人は、結構場当たり的に楽しんでいる人が多いのかな?少なくとも、僕の周りにいる人達は「仕事が忙しい、終わらない、今日も残業だ」とは言いつつ、「自分を磨くための時間がたりない」という意識はもっていないようです。うーん、あきらめにも似た感じでしょうか。「もったいないなぁ・・・」とつぶやいておきます。

さて、時間がないことを言い訳に、自分磨きに怠けているえびすが紹介する本はこちら。

商品の詳細

現実をどのように捉えるか。われわれ一般の人たちが捉える現実と、特異な人たちの集団が捉える「現実」には境界線が引かれている。後者の「現実」を、しばしば「現実からの逃避」と一般の人たちは捉えようとする。しかし、彼らの現実は、ある意味で超現実的だ。なぜなら、彼らは現実から「逃避」していることをわきまえつつも、「現実」の世界へと踏み込んでいくからだ。非難されていることは知っている。だけど、そこに踏み込んでいかないと、自分のよりどころがなくなってしまう。一種のスノビズム(無意味・反対の効果があるとわかっていながらも、それを肯定する選択を選ばざるを得ない)に陥っている。

「現実と虚構」。私が生きている「この世界」には虚構だらけだ。TVのCMで「これを使えば、さもモデルのように綺麗になれる」といった類の虚構、ディズニーランドのように、「全てを理想化し、非現実的な楽しさを提供する」虚構、「長生きこそ人間の美徳」という宣伝文句で固めた医療世界の虚構・・・数え上げればきりがない。

一見、われわれが現実と捉えている世界が、じつは「現実」であるという可能性を排除することは不可能だ。なぜなら、われわれは何が「正しく」「正義」であるかの真理を述べることはできないから。無理やりにマスを築いて、さもそのマスの考えが「正論」であるかのように社会を上手く操作すること、根本的な統制欲は古来ギリシャ時代から変わっていない。

上に挙げたことを基軸として、贈与システムと資本システムを比較していく。そこに現れるのは「資本主義社会」の不可能性だ。「リスク社会」、「自由の奨励、「豊かな生活」 etc…これら資本主義が生み出した「概念」はそもそも徹底的に追求することで、「萎える」システムを内包している。(バタイユではないが)過剰がすぎると、そこには「破壊」しか起こらない、いや起こさざるを得ない。

本書から、今の日本社会に対する解決策を読み取ろうとすることは無意味なことかもしれない。しかし、「不可能」と思われるうちにも、一輪の可能性は残されているはずである。読者には是非、その一輪の可能性を見出し、育て上げてほしい。

※「不可能性の時代というタイトルから何を想像するか?」・・・最近の読書への取り組みに、「タイトルからコンテキストを想像し、一つの完結するストーリーを築く」というステップを組み込んでいます。これ、結構面白いんですよ。とってもクリエイティブな思考が要求されると共に、コンテキスト構築能力も身につきます。「難しそう・できなさそう」なことに挑戦することで、自分の能力リミッターを大きくはずすことができるものです。ぜひお試しくださいませ。


2010年2月17日水曜日

iPadの可能性

新しい商品発表があるたびに、心を踊らされます。今年に入って最も心躍らされたのはiPad。発売はまだだけど、かなり興味深い商品です。

いろんな方がレビューしているんで、ちょっと評価しにくい(笑)。多くの人は電子書籍について述べていらっしゃいます。でも、私は、起動システムと携帯性に注目。軽量でコンパクトなモバイルならSONYのXシリーズがありますが、なにより「立ち上げ」に時間がかかるんですよね。でも、iPadは一発起動です。iPhoneのように、センターボタンの押せばOK。簡単かつ速い。そして、携帯性。厚さ1.3cm+重さ680gは魅力的。iPhoneと同じ強度の液晶強度をもっているならば、普通に使用する限りでは、液晶が割れる心配はないでしょう。めちゃくちゃ強い(まぁ、iPadの液晶は9インチありますから、強度計算は多少変わるでしょうが)。

この二つの要素を満たすことで、「大画面でどこでもすぐにネットにつなげる環境」を得ることができます。電車の中でも、カフェの席でも、大学の講義中でも、気が向いたときにネットにアクセスすることができます。それは、「今起こっていること」に対して「同時進行で知る環境」を手に入れること、「疑問を持ったこと」に対して「その場で解決方法を探る環境」を手に入れることができることを意味します。

さて、この環境を多くの人が手にすること・・・そこに、僕が期待しているのは、「in situなdiscussionの場」の創出。twitterなどを駆使し、ネット上に「クラブ」のようなものを築きます。そして、定期的に「各々のテーマについてdiscussion」をする。リアルタイムに反応がかえって来る、そしてそれに返答する。リアルタイムかつクラブという縛りがあるからこそ、解釈力・論理力・思考回転etc様々な能力が必要とされ、それを実際に行うことで、非常に有益な能力を築くことができる。そして、有益な能力を身につけた人たちは新たな「場(コミュニティ)」を築いていく。
「実体験に基づく情報提供・情報交換」がもたらす新しい場(コミュニティ)の可能性。従来にはない、不特定多数の人とリアルタイムに繋がることができる場。そこで生み出されるものは、これまでの「環境」から生み出されてきたモノとは全く違ったモノになるのではないでしょうか。その全く異なるモノに、僕は大きな期待を寄せています。

※孫さんが自社の株主総会でtwitterをつかって面白いことを行っていました。やはり、あのかたは凄い人です。Jobsに孫さんにBill、今の50代は本当に好奇心旺盛な方々が活躍している世代。われわれも見習わなければいけません。

2010年2月14日日曜日

長寿の日本よどこへいく?

野生の動物の死を通して考えさせられること、それは人間が生に固執しすぎているということ。昨今の行政・メディアによる情報操作の影響も大きいのか、「とにかく長生きすればいい」「長寿は名誉だ」という風潮が広く大衆の内に流れているように思います。

鎖国から開国へとシフトし、西洋の医療技術が大量に流れ込み始めてから、150年余りが経過した現在、日本の医療レベルは目覚しい発展を遂げてきました。昔ながらの日本の食生活スタイルが健康に良いことも相まって、広く世界に「長寿の国、日本」の名で知られるようになりました。

しかし、その長寿の中身を見てみると、いささか残念なところが多々見受けられます。病院のベッドで寝たきり、家族からは邪魔者あつかい(年金だけは搾取)、心を許せる友人の不在etc こんな状況で命をつないでいて、果たして幸せなのかどうか。今、ここで息をしている僕には、そんな生活は御免願いたいと思っています。…もっとも、まだ老衰による自身の死の訪れを感得できていないため、後世になって「あの頃は詭弁を吐いていたもんじゃわい」となっちゃうのかもしれませんが。

また、世論に耳を傾けると「孤独死が…問題…云々」といった声も聞こえてきます。「一人で寂しく命を引き取ることに悲痛を感じる…かわいそうなお年寄りを救おう!」という、あからさまな善意を国民に訴えている感が否めません。生命問題は話題にしやすく、政治戦略でも民意に訴えやすい事柄ですからね。

さて、孤独死からお年寄りを救うにはどうすればよいのか?しばしばメディアが取り上げるのは、「積極的に周りの人たちが高齢者の家を訪れてあげて孤独死を防ごう」という類の模範解答です。しかし、この問題の本質は「孤独に死を迎えること」にあるのでしょうか?何かもっと深いところまで探らなければいけないような気がしてなりません。

上に挙げたように、表面的には高齢者の難点を洗いだし、解決方向に導く政策・方策が採られているようです。でも、それは応急処置に過ぎない。高齢者の数は増加の一途をたどっています。
なかには、高齢者が増えれば彼らが自発的にコミュニティを作るようになるのでは?と考える方もいましょう。しかし、それは過去の生活スタイルがあっての話し。現在の「マイホーム」スタイルにあっては、そのようなコミュニティは生まれにくい。個人的な生活のフレームが狭すぎるんです。

経済成長にとらわれ、実生活を省みず、資本という直接的な富を手にすることに眼が眩んでしまった、日本国民・政府全体による「失態」でしょう。もちろん、若者達には何の非もありません。むしろ、彼らには謝罪しなければならない。

今の大人の大半は、「楽な解決方法」に走り、それを煽る「メディアに流される」という傾向を持っている気がします。むしろ、若者達のほうが冷静に判断できているかもしれない。仕事に追われる日々の中で、どこか空虚感を感じざるを得ない社会。その社会の内から「孤独死」も生まれてきたのでしょう。喫緊に要されることは「社会構造の変革」です。

インフラの整備がほぼ完備し、インターネットも広範に普及した現在ならば、変革のスピードは50年前よりは格段に速く進めることができるはずです。存分に変革を行うことができる土台はできている、のこる問題は国民の意識でしょう。

今こそ、メディア・政府を上手く活用し、全国民の意識変革を起こさなければならない。もっとも、そうなると全体主義的な感が否めません。しかし、そうしないと、日本社会は様々な観点でより大きな困難に直面することになります。

※さて、「言うは安し、するは難し」でありまして、なかなか腰を上げられないのが現状です。大事を語っているえびすもそんな一員。うーん、本当に「思い」腰を上げないといけないです。行動は迅速に、決断は慎重に。昨今は、決断さえも迅速に行わなければいけない状況ですけどね。

2010年2月12日金曜日

新しいCMに思うこと

さて、昨日、「だいぶ暖かくなった」と書いておいて、その翌日にぐーんと気温が冷え込んでしまい、あれまぁどうしましょうと懺悔の気持ちでいっぱいなえびすです。適当なこと言ってすいませんでした。

平謝りもほどほどに、今日はCMについて少し考えたいと思います。

部屋にテレビが無い生活を始めて、もうすぐ1年になります。昔はニュースを聞き流すためにテレビをつけていましたが、最近(とはいっても1年近く前ですが)はニュースもネットで十分だと思い至り、スパッとテレビを見ない環境に追いやりました。おかげさまで、テレビを視ていた・聞いていた時間を読書や執筆の時間に割くことができ、「充実した時間」を過ごすことができております。

しかし、テレビにも良い点は沢山あります。NHKの番組は質が高いですし、民法の番組でも面白いものはあります(朝まで生テレビが大好きでした)。でも、何よりもえびすを引きつけるのは、TVCMです。「だれがこんなCMを思いつくのだろう」と感嘆するCMがたくさんあります。ブランドのイメージであったり、商品販売の戦略であったりとCMに内包されている「コンテキスト」を探ることは非常に面白い。なんで、しばしばYouTubeで最新のCMチェックをしています。で、ちょいと気になるCMがあったのでそれを今日はご紹介。

えびすが気になったCM、それはIntelCMです。ちょっと前に、セントリーノのCMがあったのを覚えてますか?あれは企業の販売戦略としては失敗だったでしょう。何が言いたいのかわからない。何をやっているのかわからない。視聴者の生活と結びついているのかもわからない。あそこまでいくと、のれん価格の高いIntelのブランドネームも雲散霧消です()
で、酷評の後に、喝采を送るわけであります。
最近流れている少し長めのCM、そこではIntelの高性能プロセッサーがあるとどんなことができるのかを視聴者にわかりやすく説明しています。写真の整理や加工、映像の編集、サイトのダウンロード時間etcIntelのコアが搭載されている新しいパソコンを買うと、こんなにも素晴らしいことができますよ!と視聴者に情報提供してくれます。いやはや、言いたいことが明確だし、何をやっているのかもわかるし、視聴者に付加価値を提供できている。すばらしいCMです。Intel、恐るべし。

さて、同じ様なCMSONYAppleがしたとしても、えびすは何も関心を示さないでしょう。なぜIntelだけ褒め称えるのか…その理由は、Intelという企業が市場でどのような位置づけにあるかを考えればわかります。そう、IntelB to CではなくB to Bの企業なんですね。

従来までならば、B to Cの企業が積極的にCMをながし、消費者へ商品の魅力を訴えてきました。その影で、B to Bの会社はのらりくらりと商品に必要な部品・材料を卸し、CMなど流す必要はなかったのです。上工程がどれだけ頑張っても、下工程である最終製品が売れなきゃB to Bの企業は利益があがらない。直接的に利益に繋がることがないならば、CMなど流す必要は無い。そういった考え方が古くからまかり通ってきたのでしょう。

しかし、今回のIntelCMはそんな従来の考え方を覆す戦略を内包しています。
CMに隠された戦略、それは「母数の拡大」です。SONYApplePanasonicにSamsung etc…多くのB to Cの企業は「自社の製品を買ってもらうため」にCMを流します。そう、「シェアの争奪戦」がこれらの企業では行われている。それに対し、Intelは上に挙げた「すべての企業」に製品を卸している。つまり、どの企業がどれだけの売上・シェアを獲得しようと関係ない(もちろん、契約条件により利益が大きく取れることもあるでしょうが)、望むのは、「全体の販売台数の増加」です。つまり、市場そのものを大きくすること。これこそIntelの持続的成長には不可欠な要素なのです。

Intelが提示してくれた、新しいCMスタイルは、今後さらに広まるでしょう。とりわけ、グローバルに展開しているB to B企業が多い日本の社会において、Intelと同じ様なCM戦略をとる企業が出てくる可能性は大きいでしょう。

※ちなみに、デンソーや旭碍子など、B to B企業がCMを流している例は幾つか見受けられます。しかし、「今」消費者につながる製品とリンクさせてCMを流している企業はおそらく「いない」でしょう。CMが放映されている時間帯などにも注目すると、その企業が意図する戦略がみえてくるものです。

2010年2月11日木曜日

FREEなお土産あります。

二月も半ばに入り、ずいぶん寒さが和らいできたのを肌に感じます。日中であればジャケットだけでも過ごせそうなほど。春が待ち遠しい…色んな意味での春がです。

さて、今日の一冊はこれ。

 商品の詳細

日本で「FREEなもの」というと、何を思い浮かべるであろうか?R25や住宅情報誌といった紙媒体のものを思い浮かべる人が大多数、その他の何かを思い浮かべることができる人は少数だろう。事実、日本ではFREEな商品・サービスはまだ少ない。無料という概念に対し、抵抗感をいだいているのか、はたまた、単に創造性が無いだけなのか理由は定かではないが、FREEの産業構築に関しては、まだ発展途上の一歩手前といったところである。

ところで、海外に目を向けると、FREEを上手くビジネスモデルに組み込んだ例がいくつもある。音楽配信・シェアリングサービス・書籍etc頭をひねれば、どこにでもFREEを導入することは可能であることをまざまざと実感させられるだろう。では、実際にどのようにしてFREEがなりたっているのか。医療分野の一例を以下に挙げておく。

A社は医療ソフトウェアをてがける企業だ。多くの病院・医者たちのネットワーク・エビデンスソリューションを収集・提供するビジネスモデルが特徴的であり、強みである。A社が利益を上げるためには、システムの導入による売上、もしくは、ある病院が他の病院のソリューションを買うことによる仲介収入を獲得する必要がある。前者による収入は一回限りであるが巨額なもの(500万円)、後者による収入は小額なもの(5000/一件)だが、半恒久的に収入を得ることができるモデルである。通常ならば、システム導入による利益にすがりたくなる。なにせ、一時的とはいえそのキャッシュは大きいからだ。しかし、システム導入の金額が高いと病院側も二の足を踏み、結果としてシステム導入が広まらず、ソリューションも陳腐なものになってしまう。そこで、A社はシステムの導入に関しては無料とし、ソリューションの潜在ニーズを増やすことで収益をupさせるモデルを選択した。このビジネスモデルは、顧客が増えるほどデータベースが豊富になり、A社と顧客の間でwin-winの関係を築くことができる。

「通常のお金の流れを逆にする」…これこそ、FREEを成り立たせる秘訣である。多の会社がお金を取るところで、むしろお金を提供するくらいの考え方・戦略を立てられる人たちこそ、次代の起業家の多くを占めることになるのではないだろうか。とくに、労働賃金の高い先進国で、新たな事業を始めようとするなら、FREEベースのビジネスモデルを考える必要性はますます高まっていくだろう。

※さて、FREEを哲学的に考えてみるのも結構面白いです。根本までたどると「贈与」に行き着くのではないでしょうか?もっとも、それは、モースの言う「ポトラッチ」とは異なり、名誉・地位というよりは金銭の獲得・抽出に意識が傾いた「贈与」でありますけど。
また、FREEの戦略を練る上で、心理学・フィールドワーク・マーケティングの才能は、非常に重要なファクターであります。無から有を生み出すのは簡単なことではありません。
同じ様にFREEからBenefitを生み出すのも難しいことです。まぁ既存のモデルを盗用すれば簡単なのかもしれませんが…それじゃぁ面白くないですよね。
もし、FREEのビジネスモデルを思いついたら、是非すぐに実際のマーケットに放り投げて見ましょう。なにせ、FREEから始めているのですから失うものは何もありません。最も難しいのはビジネスモデルの構築、これさえ思いついたならば、あとは根気と気力と情熱があれば十分でしょう。Let’s build your company! No need to be afraid of your mistake, since your business would be able to start with no money! 新進気鋭な若者(頭の柔らかさという点で)達、是非FREEなビジネスを広範に広めてくださいませ。えびすはFREEの恩恵だけ頂くことにします。


2010年2月8日月曜日

Dis-consumeの問題

最近の読書が新書に偏りがちで、楽なほうへ楽なほうへと流されているのを実感しております、えびすです。新書は構成・量ともに読みやすいものが多いので、「ねた探し」のツールとして大きく役立ちます。反面、その内容は突っ込みどころが満載であったりします。全てを鵜呑みにするのは危険だということ、これを念頭に…まぁ、新書に限った話ではありませんが…

今日は新書ではない単行本からこの1冊を紹介。

商品の詳細

「断層世代とバブル後世代。前者は最低限企業での雇用が確保され、年金でも需給総額が負担総額を上回る層、後者は終身雇用がいつなくなり、年金保険料・将来の需給額に不安を抱いている層である。」

本書では、バブル後世代の消費スタイルについて、多数のデータ・解析結果を基に筋の通った「論」が展開されている。社会真理学、統計学の程度は初等レベルでもわかる程度のものであり、とても読みやすい。ただし、統計に関しては無理やり当てはめたと思われるようなデータ解釈もあるので、注意深く読んでいただきたい。

これからの日本経済を担っていく若い世代の人達の特性を分析すると、他者志向・競走志向が強い。綺麗に訳せば、「他人のために役に立ちたいと思いつつ、他人と切磋琢磨し、互いにwin winの関係を築くことを重視する」といったところ。ひねくれて訳せば、「他人よりも優れた能力を持つ私を前面に押し出し、周りの人から注目されるような人になれることを渇望する」。結構、後者の訳が的を得ているような気がしないでもない…

彼らの世代は「不必要かつ高級なもの」にはお金をつぎ込まない。昔の人(断層世代)のように、やれスポーツカーだ高級腕時計だといったラグジュアリー志向には心躍らされない。仮に、欲しいと思っていた新しい製品が出ても、すぐには購入せず、価格がこなれくるまでじっと我慢する。周りの人が買ってもさほど気にならない。昔の人が持っていた「負けてられない」という気持ちを持つ人は稀であり、そういった人たちを「かっこ悪い」とさえ思っている。

彼らが求めるものは何か。それは、日常の生活に必須なものの延長線上にあるものだ。一例をあげれば、インテリア。「自分の城」は他人に見せる機会が少なく、また、日々の生活すべての出発場であり、終着場である。見せびらかす満足ではなく、一息つける空間への満足を彼らは求めている。

一見節約家に見えなくも無く、世間の評判はよさそうだ。しかし、日本経済にとって、彼らはとても「やっかいな」世代である。例えば、ある企業が「若者向け」に新しい製品を発表・販売したとしよう。企業としては販売価格が高い内に多くの台数をさばきたいところだ。しかし、若い世代の人達は購入に二の足・三の足を踏み、結果として価格が下落していく。結果、企業は「若者をターゲットとすると、利ザヤを稼ぐことができない。ならば、消費意欲が旺盛なもっと上の世代をターゲットにした製品をつくろう」という戦略をとるようになる。そうすることで、企業は利益をあげることができる。しかし、それはあくまでも「現在」の利益である。将来の経済を見据えると、その戦略はぼろぼろと崩れ去り、当の企業が倒産寸前まで追い込まれている姿が目に浮かぶ。

若者の消費スタイルを変えるにはどうすればいいのか。この問いに答えるのは難しい。なぜなら、消費スタイルは精神的な面に多分に影響され、なかなか変革できないものだからである。彼らの精神を操ることは容易ではない。では、どうやって消費スタイルを変えていけばよいのか?それは、彼らが主体的に考え方・精神のありようを革新しようと思い至れる「社会・空間・文化」を産業・経済と絡めながら築いていくことに尽きるだろう。

※えびすの財布の紐も結構固いです。緩めるのは「書物」を買う時、友人とお食事に行くときぐらいしか思いつきません。この二つについては、結構な額をつぎ込んでいます。双方に共通すること、それはコピーが存在しないということでしょう。書物は「大量印刷」により、「同じもの」を皆が持っているという意味で、オリジナルとコピーの分け隔てが存在しません。後者にあってはもはや説明は不要でしょう。バブル後世代の人たちが求めるのは、安価で心のやすらぎがえられることです。そして、有形財産ではなく、無形財産への志向が高い。この点だけ鑑みると、えびすもバブル後世代に属しているようですね。

街とアートとその未来

東京の再開発も一段落。恵比寿ガーデンプレイスに始まり、六本木ヒルズ、丸の内、表参道ヒルズ、東京ミッドタウンと街の革新が行われてきました。丸の内はまだ革新途中ですね。三菱一号館にはかなり期待しております。

これら再開発のランドマーク達は、それぞれ個性的な「街構造」を持っています。なかでも、六本木ヒルズは、色んな意味でこれまでの21世紀の日本社会に大きくコミットしてきました。個ではなく、総としての文化的役目(芸術と知識の尊重・啓蒙)。新しいライフスタイル(公私双方における新規の経済モデル)の発信。多様な背景をもつ知識人の集積場(地方はもとより世界中の人間が集まる)の提供。あたらしい「Japan image」の一角を造り上げた街です。

開館からはや7年が経過し、街としてもだいぶ落ち着きがあらわれ、次ぎのステージに入ろうかというところでしょうか。ステージとしては、これまでと同様に「知識・新規・創造」を主題とした街づくりの継続する一方、その主題の幅を広げつつ、深く潜るような形になるのではないでしょうか。

これをふまえて、今後の六本木ヒルズの方向性を考えてみます。えびすが注目しているのは「MORI ART CNTER」です。ここでは毎週様々なセミナーが開催されています。芸術の解説講座もあれば、経営手法に関する講座もあり、様々なニーズにこたえられる「知の習得場」を提供しています。ニーズへの対応は、分野だけではありません。無料の講座もあれば、高額な講座も用意し、自己投資を惜しまない顧客用の講座も設けています。

今はちょうど、「色んな分野を広く浅く」の時代の気化、「色んな分野を広く深く」学ぶことへの渇望の発露という、「知に対する向き合い方」が変遷過程にあるのではないかなと思います。では、その背景に何を読み取るか?今日、あまりにも多くの知識・情報がインターネット上に散乱しているため、知識・情報を収集することは誰しも等しく可能となりました。

大量の知識・情報を持っていても、そこに自分なりの考え・表現を埋めこむことができなければ周囲の人と同じレベルに留まらざるを得ません。もう一段上のクラスに進みたいと願う人たちにとっては、なんとももどかしい。この解決手段としては二つあります。一つ目は己の力で、大量の読書をおこない、それらの評論に基づく自論を構築すること。二つ目が、その分野のスペシャリスト、いわゆる「知の編集者」にお金で「綺麗に整った知・情報」を購入することです。

社会人にとって、前者を実行するのは結構難しい(勿論、職を選べば可能です)です。お金はあるけど時間が無い…けれども、自分のレベルを上げていきたい…けれども、時間が無い…ならば、手っ取り早く一般大衆には手がつけられない(つけようとしない)高価な「知識・情報」を買ってしまえば良い。無形財産に対する投資…それも、弁護士や会計士といった「手に職」に繋がらない無形財産への投資は、今後の10年で倍増するのではないでしょうか。

そのFirst Modelを我々に提供してくれたのが六本木ヒルズ「ArtIntelligent City(芸術と知の街)」。文化と経済、双方の未来を見据えたニーズを予見・抽出し、「街」を構築していく経営方針には、見習うべきところがあります。自分のビジネスだけでなく、人生にも有益なアウトプットをもたらしてくれるに違いありません。

※六本木ヒルズは僕の庭みたいなところでした。普段は学校という勉学の場で精を出し(それほど出していないのですが)、疲れた身体・能を自宅で休め、勉学とは違う刺激を求めて庭に遊びに出る。子供時代のライフサイクルを受け継いだ大人のライフサイクル。本質的なところは変わらないものです。

2010年2月2日火曜日

MJに惚れた僕

「世界は広いなぁ」 みなさんはいつ、世界の広さに気づきましたか?えびすは高校生のときに気づきました。それも、勉学を通して…世の中には、天才がいました。でも、天才におののくことはありません。われわれが知っている天才の多くは、一日にしてなったわけではないのですから。彼・彼女たちに共通しているのは、地道な下積みによる基礎体力を備えているということ。そう、日々の積み重ねが大切なのです。とまぁ、口にするのは簡単なんですが、結構実行できないもんです。「忙しいから・・・」と何回自分に言い訳してきたことか。鞭ではなく、あめだけを求めてきた己の心の弱さを猛省いたします・・・。

と、天才への憧れ心が強いえびすから、今日は服飾界の革命児をご紹介。

マーク・ジェイコブス&ルイ・ヴィトン ~モード界の革命児~ [DVD]

ルイヴィトンと聞いてマークジェイコブスの顔が頭によぎる人は、結構な服飾好きだ。もし、彼の名前を知らないならば、まずはルイヴィトンのコレクションを見てほしい。モノグラムのバッグだけでなく、既製服のラインの美しさに感嘆するに違いない。そして、ルイヴィトンのバッグを見るたびに、マークの顔が浮かび上がるようになるだろう。

超一流のデザイナーのコレクションがどのように出来上がるのか?いつどんなタイミングで、どんなところからinspirationをもらうのか。そして、inspirationがどのようにコレクションに反映されていくのか。本作品では、マークジェイコブスという21世紀のモード界で最も魅力あるデザイナーをとりあげ、creativeな仕事では何が求められているのか、そして、その求めにどのように答えていくのかという疑問に対し、一人のデザイナーの「人間性」「コレクション」「私生活」の3軸を中心としたドキュメンタリーによって答えていく。

世の中には二通りの天才がいる。一つ目は孤独に物事を考え抜いて、発想を呼び込み、それを作品に落とし込んでいく天才。もう一つが、周りの者と語り合いながら出てきた断片的な要素を組み立てて、作品を創りあげる人。本作品を見る限り、マークは後者の部類に入る。アンテナを広く取り、主体的に吸収しようとする。そのために、かれは何事にも興味を持って取り組む姿勢を貫いている。「Inspiration」と「知識」と「小さな遊び心」。天才マークジェイコブスを語るに外せないWordたちだ。

マークの一番の魅力は、そのフランクさだ。彼のアトリエでは常に笑いが堪えない。日本語の「ゆるい」感じを纏ったマークの周囲には、魅力的な人がたくさん集まってくる。女優に貴族に大富豪、マークのコレクションは勿論のこと、彼の人柄に好意・敬意を抱いている人は相当数いるだろう。そして、現代の若者達は、マークのような上司を求めている。懐の深さと愛嬌と抜け目なさ。本作品を「服飾が好き」な人だけに見せるのでは勿体無い。金融・製造・サービスといった分野の垣根を越えて、広く老若男女に見てほしい作品だ。

最後に印象的だった彼の名言を記しておこう。
「頭にあるのは既に見た知識。そこから拾い集めるのさ。」
「醜悪も究めればクールになる。」
「褒め言葉は信じない」

※マークジェイコブスは南青山にフラッグショップがありますね。表参道からプラダのエピセンターを越えて、根津美術館前を右折。道なり左手に見えてきます。マークの仕事振りには感心するばかりです。自分の好きな仕事を信頼の置ける仲間達と和気藹々・抜け目なくこなしていく…上下関係は勿論あるのでしょうが、現場でそれを見せる素振りはありません。それだからこそ、難しく細かな注文も出していくことができるのでしょう。張り詰めた空気と打ち解けた空気を操るのがものすごく上手い。マークはえびすのロールモデルの一人であります。

2010年2月1日月曜日

How should we perform in the presence of guests?

読書以外の週末の過ごし方を模索中のえびすです。いや、でも、読書…しなきゃ…落ち着かないんですけどね。マンネリ化した生活を送っていると、インスピレーションが舞い降りてこないんですね。刺激を求めセミナーでも受講してこようかな。

今日はプレゼンテーションの資料を作っておりました。パワーポイントで作っていたのですが…楽しいねぇ。「ちまちま細かいことまで記載しなきゃならん報告書なんか書いてらんないヨ!」あらためて、自分の型にあてはめて目的を分析・解体し、バラバラになったパーツを再構築することの楽しさを実感できた終末でした。

プレゼンが苦手な人、得意な人、好きな人、嫌いな人etc …言葉の修飾機能は興味深いものです。修飾が度すぎても、くどくどしく聞こえますし、修飾が軽すぎても淡白に聞こえてしまいます。絶妙のバランス、すーっと頭の中に入ってきて反芻される言葉を操れる…そんな能力を身につけたいものであります。

さて、プレゼンについてちょこっと述べた後に紹介する本はこちら。

商品の詳細

本書はプレゼンの方法論ではなく、アプローチの仕方について書かれたものだ。audienceをひきこむプレゼンには、どのような考え方・表現方法が用いられているのかを、多くの事例とともに紹介している。アプローチの仕方は、日本の「禅Zen」にみられる「無駄を省き、極限までそぎ落とすこと」に基本をおいている。

本書を読み終えて気付かされたことは山のようにある。なかでも、素晴らしいプレゼンの裏には多大な労力と時間が割かれていることは見逃してはならない。緻密なロジックとナラティブストーリーの構築、ライティングのタイミング、抑揚とジェスチャーetc。完璧に近い前準備があってこそ、光るプレゼンを行うことができることが理解されよう。

プレゼン以外の要素についても、多くの分野に応用することのできる「考え方のアドバイス」が要所に散りばめられている。Creativeであるためにはどうすべきであるか。問題・目標を明確にするにはどうすればいいのか。効果的にアイデアを伝えるにはどう表現すべきか。プレゼン以外にも参考・応用できることがたくさん記載されているので、公私に関わらず、手のすぐに届くところに置いておきたい一冊である。

※企業・大学で見てきたプレゼン資料を振り返って思うことは、みな「ごちゃごちゃしすぎ」だったということ。audienceの反応など眼中に無く、自分の世界を突っ切る人が多数を占めていました。とかいう自分もその一員なんですが…。一枚の資料に載せる情報量が少ないと不安になってしまうのが人間の性です。でも、audienceが全ての情報を理解できるはずもなく、おまけに、資料にばかり意識がいきすぎて、プレゼン者の言葉が頭に入らなくなってしまいます。「結局この人は何をいいたかったんだっけ?」そういった状況に陥らないよう配慮しなければなりませんね。