うーん、素晴らしい。実体験をもとに語られる苦労話ほど、人を惹きつけるものはないですね。
さて、最後の文章にあるように、お金がないだとか仕事がつまらないとか愚痴っている人は、自身の今ある姿を見つめなおしてみるべきではないでしょうか。日本に生まれたことが、物質的に如何に恵まれているか。日本に生まれたことが、如何に世界で通用する人になりえるか(努力は必須)。
「チャンスは待っていても来ない、自分から取りにいくもの」。こうありたいなぁという理想に達するためには、どのような場所で、どんな人たちと、どんな体験を創っていけばよいのか…その理想にたどりつくための道筋を、自分なりに考えて、勤勉に実行し、努力を積み重ねることが必須なことは言うまでもありません。いくら努力しても、どんなに血反吐をはいても、自分が思い描く理想に至らないことはたくさんあるでしょう。しかし、至ることができなかったことに悲観すべきでしょうか。本当に大切なことは、理想に達することなのでしょうか?
たいそうなことを述べながら、理想と現実のギャップに悩んでいるえびすが紹介する本はこちら。
国とは一体何か。国を構成するのは、国民である。国民を構成するのは、多様な民族であったり、富める者であったり、武力行使に訴える者であったりする。このように、国は様々な異分子から成り立っており、一つに纏め上げるのは非常に難しい。甲を立てれば乙がたたずなんてとはざらにある。一つの政策・施策をとるとして、それがどのような層にどんな結果を生み出すのか極限まで考え抜く必要がある。
小さな集団の利益が最大限になるように極限まで考え抜くといった能力を備える者・組織はたくさん存在するだろう。しかし、国単位で、様々な意志を持つ者たちの「総意」を汲み取る能力を備える者・組織は数えるほどしかない。しかし、この能力なくして「国はうまくまわらない」・・・ここで挙げるのはあくまでも途上国であり、日本のように社会・経済がmatureした国では事態は変わってくるだろう。
本書で最も印象的なのは、著者の「果敢なフィールドワーク」と「真のリーダー像」である。本書を通読した人の多くが、著者に頭をさげたい気持ち・著者の背中を追いたい気持ちに駆られるであろう。「自らの目で確かめないと、本当に必要なことは見えてこない」という考えの下、世界各国を自分の足で回る。危険を顧みず、時に激しく叱咤し、時に涙を流して周囲の者に訴える姿に惹かれるのは人間の性か。何時の時代も、このような「人を思う熱い情」をもつリーダーは必須だ。しかし、悲しいかな、そのような心を持っている人は少ない。わが国を省みてもそう。熱い心を持っていたとしても「同じ穴の狢」に入ると、その心は次第に私益に侵食されていくのだろう。
高き志も、やがては低き場へと落ち着く。水が上から下へ流れるように・・・
高い志を維持するのは多大な努力を要する。その努力を自ら進んで買って出ようとせずに、未来がどうして切り開けようか。本書で考えさせられるのは、途上国のリーダーシップだけではない。先進国でも、同じようなリーダーシップをもつ者が現れなければいけない。途上国の「縁の下の力持ち」役である先進国が崩れては、途上国の「国つくり」などできるはずもないのだから。
※著者は世界銀行の副総裁まで勤めた「草の根魂」のフィールドワーカー。彼女が「つくっていかなければならない」と思うのは「国民」ではなく「世民」、すなわち世界レベルの「民」ではないでしょうか。その延長線上に「国」という単位がある。「自国の幸福なくして他国への幸福なし」という信念を感じ取ることができます。何よりも現場を意志・意見を大切にし、積極的にフィールドワークをこなすその姿は、日本の政治家が見習うべき点ではないでしょうか。机上にそろった資料を基に、「こうすれば上手くいくはずだ」と思い政策を作ったとして、はたしてそれが「本当に民が望むことなのか」は汲み取りきれていない。僕自身の経験と照らしあわせても、資料・書物で得た「知識」をもって、現地に足を踏み込み、そこに住む民を眼(マナコ)でみて接すると、頭ではわからないこと・気づかなかったことを「体験」することができます。そして、この体験と積み上げてきた知識が織り交ざって、「体験知」が生まれる。この体験知に基づく案は、結構なアウトプットを生み出してくれます。ぬくぬくと安全な部屋に閉じこもって「あぁでもない、こうでもない」と愚痴ってばかりいないで、フィールドワークを積極的に取り入れることこそ、今の政治家・国を背負うリーダー達に必要なことではないでしょうか。
まぁ、すべてを自分の目で見ようとするような時間はないのが実情でしょうが・・・若者を側近につけて、「忌憚のない現地レポート」をさせるような政策があってもよいかなと思います。
