2010年4月30日金曜日

Incus in my heart.

入道雲がもくもくと青空に立ち上がっている様子をみていると、少年時代のザリガニ捕りを思い出します。近くのかわら(というか、どぶに近いところですが)に毎日のように友達と泥まみれになりながらザリガニを探していたものです。…俺の捕ったほうがでかい!…いてぇ!こいつはさみやがった!ミンチにしてやる(今思うと過激な発言です)!…大人になって振り返ると、微笑ましいことばかりです。純真な心を育てるという点において、自然の中に己の身を解放してあげることは、とても大切なことでありましょう。

さて、今の子供たちは、どんな遊び方をしているのでしょうか?広く自然と触れ合う遊びに没頭しているのか?最近は小さい頃から塾だのスクールだのに通っている子供や、家の中でゲームに没頭している子供が多いとか、いろいろ耳にします。なんか寂しいですねぇ・・・自然が与えてくれる≪お金では買えない宝≫を、もっともっと追い求めてみればいいのに、としばしば思う次第です。友達と一緒に自然に触れ合えば、一層大きな宝物に出逢えることだろうと思います。

さて、子供時代とは一転、書物の世界にはまり込んでいるえびすが今回紹介するのはこちら。

ビジネスの世界にどっぷりと漬かってきた人ならば、大前さんの名前を知らない人はいないでしょう。僕が言うのもなんですが、日本の未来に関し、先見の明を持つ数すくない稀有な方だと思います。政治・経済・社会etc広範囲のfieldでオピニオンリーダーとして、情報を発信してくれています。今日はこちらの記事を少し考えてみたいと思います。


記事の内容は、「一国の代表(大臣)が、自国の経済危機をあおるような発言をするのはいかがなものか」というもの。ギリシャの国家破綻危機は、無関心ではいられない。公式の場で、このような発言をしてしまうとどうなるか?過去の橋本首相の発言などがいい例だ。もっとも、今回の大臣の発言はそれほどの混乱をもたらさなかったようではあるが…しかし、大前氏が述べていること(外国人による日本国債の大量放出→極度のインフレ→経済の崩壊)が実際に起こる可能性は大いにありうる。これを踏まえて、大前さんの最後の言葉を少しだけ分析してみる。

想像したくはないが、いずれ仙谷国家戦略相の発言が「正しかった」ことが証明される日が来るだろう。それはすなわち日本国債を日本人も買わなくなる日であり、日本が買い続けることによって成り立っていた米国債などが大混乱をきたす、という形で明らかになるのだ。
さてそうなったとき、国民はどのように自分の身を守るべきか。それは、しっかりした金融知識を身に付けて、政府の御用機関となった日本の金融機関に自分の資産を預けない、ということである。今のうちからリスク分散をしておく、ということだ。
個々人が≪自国の経済情勢の危機的水準を感知することが必要≫だという。リスク分散の一つとして、外貨の購入があげられるだろう。しかしだ、外貨購入に当てられた資金分、円の貯蓄が減じることになる。すると、金融機関からの国債の購入額が減少→国家財政の悪化を招いてしまうことも考えられる。結局、喫緊に要求されるのは、国の歳出と歳入の改善に尽きるのだろう。これまでは、国民の巨額の≪手つかずの貯金≫のおかげで、財政悪化の実態を上手く見過ごすことができたのかもしれない。だが、国民の貯金に暗に頼ることができるレベルを超えてしまった現在、日本破綻のストーリーはかなり明確なものとなってきた。3年もあれば、完結してしまうかもしれない。さて、われわれはどうすればいいのか?

ちまちまとどこかから財源を絞り出してくるような政策では、歯止めが利くはずが無い。最も有効なのは、財源の創出=新たな税制の制定だろう。富裕税、都会自動車税、コンビニ税などを制定してもいいのではないか。
今国民に必要なのは、痛みを分かち合うことである。多少、厳しい政策であろうと、それが将来のためになるならば、進んでその政策に賛同する、それでこそ立派な国民ではないか。国の存続は、明るい未来なしにありえない。未来を志向することのできる民が多数現れることを切に願うばかりだ。

※税制を制定するにしても、人が死んでしまうような税制ではだめなわけで・・・今の日本社会を鑑みるに、痛みを伴う改革をおこなうことへの≪変な反発≫は避けられないでしょう。現状の経済状態をベースに、300万円の収入で多くの人が満足できる社会を築くこと、実はこれがもっとも大切なことなのかもしれません(財政支出も上手くバランスを取る必要がありますが)。国民の意識を変える一手段として、宗教のような≪大きな力≫に頼るのもありなのかなぁ・・・と思う今日この頃であります。

2010年4月24日土曜日

”思い”をコトバにのせて…

今日はWorldShift Forumに参加してまいりました。会場は青山にある、国連大学のウ・タントHall。定員一杯の300人ものかたが、ご参集なさったとのこと。いやはや、すごいことです。おまけに、有料ですから(招待者も多いこととは存じますが)、高い意識をお持ちの方がたくさんご参集くださったことだろうと思います。

forumの内容は、18分の限られた時間内で、「次の世代に移行するにあたり、我われはどういった行動をとっていくべきか」をプレゼンするもの。この18分というのが結構曲者で、なかなか思いを伝えきれない、かといって簡略に済ませられない、「きわどい」時間だと感じました。実際、登壇者の多くは、後半のスライドはぶっ放しでしたしね。

で、今回は、私も登壇させていただいたと(笑)。非常に陳腐な内容ではありましたが、自分の中ではかなり気に入っている文言であります。ご参考までに、私の発表内容を載せておきますね(発表で間違ってしまったことがちょっと悔いに残っています・・・一人2分弱の時間配分でしたので、暗記で対処。うーん、論理立てるには最低10分は欲しいなぁ。)

私は20年後の社会を「≪今、生きていること≫に価値観を見出せる社会」にしたい。
戦後半世紀を経て、多くの人がいきっていること、それ自体に意味を見出せずにいます。何のためにこの世に生を受けてきたのか?生き続ける理由ってなんだ? 生きること、それ自体に意味を見出すにはどうすればいいのでしょうか?
一つの方向性として、僕は利己から利他へのシフトがあると考えます。「自分の幸のため」を目標とする生き方は、「自分の枠」で完結してしまうため、行き場がなくなってしまいます。しかし、「他の人の幸せのため」を目標とするとどうでしょうか?世界ががらりと変わりませんか?
例えば、あなたがハンカチを落としたとします。それを誰かが拾い、あなたに手渡してくれる。あなたは拾ってくれた人に一言言いますよね?「ありがとう」と。この「ありがとう」という言葉は、拾ってくれた人を幸せにします。そして、その人の幸せは、あなた無しにはうまれえなかった。そう、あなたが≪今、生きていること≫ただそれだけで、他の誰かを幸せにするチャンスがゴマンと生まれるのです。
僕は、公私の場面で積極的に「ありがとう」の種をまいていきます。種まきを通じて、≪今生きていること≫に価値観を見出せる社会を創っていきます。
しかし、僕一人で種まきをするのにも限界があります。僕の提案することはとっても簡単です。一緒に、「ありがとう」の種まきをしていきませんか?ありがとうの一言から、より良い未来社会を創っていきましょう!
~利他へのシフト、それを最も簡単なところからはじめていこう。すこしずつ、すこしずつだけど、きっとみんなの意識は変わっていくはずだよ。だけど、行動しなければ、結局は何も変わらない。簡単なこと、お金も全くかからないこと、手を全く煩わせないこと、だからこそ実行できる~
陳腐に聞こえるのも無理はない、一サラリーマンの提言ですから(笑)。でも、僕は結構本気で「ありがとう」から、みんなの意識を少しずつ替えていけると思っています。すべての人には無理でしょうが、母数が増えることは間違いない。そんな思いで、これからもいろんな場面で「ありがとう」をばら撒いていきますよ♪

※各登壇者の内容については、Ustreamをご参照願います。個人的な感想を述べますと・・・緊張したけど、いい経験をさせていただきました。300人ほどの前で、しかも、ビックネームにまぎれて発表させていただける機会をつくっていただいた”NPO法人2030ビジョンプロジェクト”には感謝し切れません。この経験を糧に、次のステップへ歩を進めたく思います。

2010年4月19日月曜日

Escape From The Real

週末は久しぶりに丸の内へ。目的は三菱一号館の内装鑑賞だだったのですが・・・込みすぎで断念いたしました。かわりに、友人を呼び出し、美術館併設のカフェでおしゃべり三昧。ランチタイムに長居するという、お店としては迷惑な客になってしまいました…すいません。

さて、今日は前日にみた映画を一本ご紹介。

アリス・インワンダーランド.jpg

初の3D映画体験であった。なるほど、多くの鑑賞者が称賛する理由がよく理解できた。こういった新しい体験をすると、何か無意識下でうごめいていた(これは、日々の生活の中で感じ取っている3D映像から生み出されたもの。)ものが、表層に露出してきたかのような印象を受ける。それにしても、3Dで作品を創り上げることができるようになったこと(これまでもあったが、映画レベルではAVATERが初)は、《作品としての芸術を解釈すること》に非常に面白い・新奇な視点を取り込むことができそうだ。3Dで仕上げること、そこに監督はどんなメッセージを埋め込んでいるのか。

作品についても簡単に言及しておく。まずは現実世界のアリスの苦悩から物語は始まる。自信、不思議の国のアリスの断片しか読んだことがなかったため、かなり新鮮に感じ取れた。有能な貿易商人であった父をなくし、母親と二人で生活していく。しかし、将来w考えるとどうしても心細い。そこで、母親の意向に従い、貴族との結婚を打診される。勿論、アリスにはその気はない。

アリスはパーティーの席で、アリスにしか見えないウサギに誘われるように、林の中に舞い込んでいく。それはおそらく、アリスの願望から来るものであったのだろう。その場を立ち去りたいという願望から…。林の中で、アリスは巨木の根本に大きなHallを見つける。真っ暗な穴の中。覗き込むアリスは体勢を崩し、穴の中へ(夢の世界へ)落ちていく。深い穴の底にある世界、それはアリスが描く夢の世界、幼少の頃から夢の中で見つづけてきた世界であった。

アリスの夢の世界で象徴的だったのが、「アリスは強い」というレッテルを貼られていたことだ。夢の中での自己顕示欲…裏を返せば現実の世界では、その強さを表に出しきれていないことを意味する。(潜在的には、強さは持っている・持ちたいという思いがある・・)

さて、物語が進むにつれて、アリスは自分の強さに目覚めていく。周囲の奇妙な仲間たちに促されつつ、数々の困難な局面に立ち向かっては、それを乗り越えていく。この経験を経て、彼女は自分の内に「困難なことも乗り越えられる自信」を見出すことができたのだろう。夢の世界の最後、ハッターが「ここに残ればいい」と言ったが、アリスは「・・・行かなくちゃ。」と答えていた場面が、それをものがたる。

夢の世界で獲得した自信は、現実の世界に引き継がれる。結婚を断り、自分の信念に従い、己の世界を広げていく決意をしたアリス。消極的・受動的性格から、積極的・行動的性格への変化。幼少のころから夢の中に描き続けてきた世界へ、アリスが舞い戻ることはない。もっとも、「一つのかけがえのない記憶」として、彼女の心に刻み込まれているのは間違いないだろう。

※それにしても、アンハサゥエイの目と口の大きさには驚かされました。あと、終盤でハッターが踊りを一つ見せてくれるのですが、あれの必要性は何んでしょうか?これは考察する価値がありそう(ダンスをすること・奇形なダンスであること・現実の世界では、アリスはダンスに全く興味を示さなかったことetc)。 年をとってから、芸術作品に接すると、本当にいろいろな発見があります。なまじ、奇麗事のように聞こえるかもしれませんが、その奇麗事こそ、我われが生きていくうえでの糧になっているような気がしてなりません。さてさて、あとはこの思いを次世代へどう伝えていくか…そこが問題です。

2010年4月18日日曜日

dialogの先へ。

dialogがもたらしてくれる「ギフト」がいかに価値あるものであるかを実感しつつある、25歳の日本男児の今日この頃。誰かと語り合うことを通じて、今までは見えていなかった新しい世界が現れる。おそらく、誰しも一度は経験してきた・・・よね?そんな、素晴らしいギフトを授けてくれる場を求めて、えびすは今日も東京へ繰り出して参りました。

今日は検討会に参加。「2030年の社会のあり方」について、同志たちと熱いdialog&discussionを繰り広げてまいりました。皆様熱い思いをもった方ばかりで、気負いしちゃった・・・なんてことはありませんでした。積極的に意見を交換し得たと思います。その内容をちょこっとご紹介。

今回は「くらす・はたらく」を主題にあげ、社会で働くこととは?暮らしの安心とは?についてWoeld Cafe Styleで語り合いました(World cafeについてはこちらを参照ください~World Cafe)。(世界レベルまで拡げると収拾がつかなくなるので、日本国内に限定して語り合いました。)

最初のセッション「働くことにたのしみをみいだすにはどうすればいい?」というもの。モチベーションを高く保つ、やりがいを見出すといった、「自分を出発点として考える」意見のほかに、他者の喜びに楽しみを見出すという意見がでました。この「自己ではなく他者」という点は、かなり味深いです。ここに挙げている他者は、内縁関係の枠を超え出でたところの他者であります。自分にはなんの利益にもならない人…そんな人の喜ぶ顔、感謝の言葉がはたらくことのエネルギーになっている・・・この像は、およそ、「人間」という自己満足の範囲で生命活動を続けてきた生物(=人間)の「本質」を覆すようなレベルで描かれているような気がします。もう少し深く考えてみたい意見です。

二つ目のセッションは「暮らしの安心とは?」というもの。治安のよさ、生活基盤の健全さは大きなファクターであるという点、みなの同意を得られました。おもしろい意見だなと思ったのは、そもそも「安心はどこから生まれるのか」というもの。安心の概念まで下ると、かなり深いところまで掘り下げられそうです。

三つ目のセッションでは、「あなたの望む未来の社会のあり方」について。ベーシックインカムの実現や個人の価値観が尊重される社会、多様性(ここでは仕事)のうちに身を投じ、自分の適正な分野を模索することのできる社会といった意見がでました。で、ベーシックインカムは一先ずおいておいて、他の二つを実現するにはどうすればいいのか?極論は、社会基盤をrebuildすることに至ると。例えば、日本で開発されたWinnyとアメリカで開発されたYou tubeが、それぞれどのような現況にあるのかを各国の社会風土に照らし合わせて考えてみると良くわかるかと思います。

これを踏まえたうえで「くらす・はたらくことの”2030”のVision」を創っていきます。最初に、各チームが「2030年の日本はこうありたい」というVisionを描きそれを発表し、各々のセッションで出し合った意見をチーム間で共有・理解するといったもの。3チームに共通したVisionは「シニアからジュニアまですべえての世代が生きやすい社会をつくる」こと、Visionに対する共通の見解は「既存の社会基盤・社会観念を変えていかなければならない」ということ。そういえば、Crossover21でも同じ様な見解が上がりましたね。今回の参加者の皆様も、「新しい流れを生み出す必要性」をひしひしと感じているようです(勿論、僕自身も感じています)。

※散乱した感じでWorld Cafeは進んでたように感じましたが、最終にdiscussionセッションがあったおかげで、かなり纏まったVisionを描くことができたように思います。ただ、問題提起・短絡的な解決方法までで終わり、「具体的な」解決策の提示までは踏み込めていないように感じました(今回はVisionの再認識・再提示が主テーマであったことも一理あるかとおもいますが)。Visionはわかったが、それを実現するためには、実社会にどのような解決策を提案・施策していくべきか…。明確な答えは無いがため、解決策を提示するのは難しいことだと思いますが、「内輪の自己満足」で終わらせないためにも、今一歩、踏み込んだdialog・discussionを展開していかなければならないような気がします。

2010年4月16日金曜日

表象と漂流

桜吹雪舞い散る古道を歩いていると、ふと詩人が憑依した気分になってしまいます。
舞い散る桜の花弁に身を投じ、微動する瞼の裏に、われは何を映さんや。
はぁ、春はいいですねぇ。もう少しのんびりと春を楽しみたいものですが、如何せん、それを許さない僕の心。忙しなさのうちに、春が終わっていく…あぁ、いとわろしき己の性也。

さて、春もそろそろ後半へ突入。小さき芽達もいよいよ新緑へと成長する時期であります。僕もこの春が終わる頃には「おっきくせいちょうした」と言い切れるように努めてまいる所存です。

そんな成長願望が強いわりに、ぐーたら癖に悩みつつ、それに甘んじているえびすが紹介する本はこちら。



感度を高く保っていないとなかなか気づかないが、街のいたるところには哲学の断片が転がっている。例えば、《大理石の階段》。感覚器官を聴覚に絞って、思考をめぐらしてみよう。スニーカーで大理石の階段を上り下りするときと、パンプスでそれを上り下りするときでは、《階段》に抱く印象は大きく異なる。前者にあっては、無音のうちに、物質移動が行われる。音としてのエネルギーはそこで生み出されず、ただ、ポテンシャルだけが変動している。後者にあっては、カツカツという音の反響と共に、エネルギーが生み出される。物質移動におけるエネルギーの保存則はそこで失われるのだ。つまり、《大理石の階段》が行うエネルギーの搾取は、特定の者にしか施されない。ここで注目したいのは、《大理石の》に代表される限定的形容詞が生み出す「偏重の多重性」だ。形容詞が多ければ多いほど、限定性の密度が高まり、限定性のうちで行われるエネルギーの搾取量も高まっていく。これを今の日本社会に映し返してみる。限定性と搾取…なるほど、民主資本主義の骨格そのものをそこに見出せる。

我々が《ある事象物》に抱く《思い》は、ゴマンとある可能性の一つの面に過ぎない。上では日常、我々誰しもが出くわすような事柄を題材に、皮肉するような形式で日本社会の有様へ繋げてみた。これを「斜めからみる」と言わせてもらおう。無理やりに見える繋がりでも、根気よく根源を探る旅にでると、しばしば「なるほど」と思わされる地点に至ることがしばしばある。同じようなことは、本書にもよく通じる。ラカンという難解な「分析」手法を築いた人間の言わんとするところを、様々な《大衆文化作品》を用いて例証している。もっとも、そこに述べられていることを理解するのには多大な努力を要するのだが。

ラカンの理論の適用可能範囲は広大だ。本書が示したのはその一範囲にすぎない。非常識であった事柄を常識と捉え、非常識という硬質層に隠されていた《原石》を掘り出し、《原石》の可能性を探っていく行為・・・原石を磨いていくうちに、それが宝となりうるのか、それとも、ただの石に過ぎないのかがわかってくる。原石を探し出し、それを磨くという行為は、多大な労力を要するのは間違いない。しかし、この《原石》の可能性を探ること、すなわち「斜めからみること」は、人類の将来を考えていく上でも非常に重要な事柄である。たとえ周囲からの反発があろうとも、「斜めからみる」ことを実践していく人が出てくることを期待してやまない。

※民主資本主義…これ、結構面白い単語です。何せ、「主である民を資本とする主義」ですから。結局、資本という計り方でしか、民を規定できないということです。また、「民が主とするのは資本とする主義」とも読み取れます。この場合は、民とは資本以外によりどころの無い生き物だということ。うーん… ironyたっぷりであります。

2010年4月11日日曜日

境界のゆらぎ

さて、起業熱が日に日に増してくる今日この頃。皆様はいかがお過ごしでしょうか?僕は久しぶりにDVDをまとめて鑑賞していました。最近のお気に入り鑑賞スタイルは、膝元にパソコンを、左手サイドにチョコレートと飲み物を、右手に読み終えた本を置いて鑑賞するスタイル。なにせ読んだ本の線引き・書き込みをパソコンに落とす作業がままならないもので…最初は一つにしか集中できない感じでしたが、最近になってようやくこのスタイルが板についてきました。出来上がったDocumentはデスクトップとGoogle Docsへ、無料でこのサービスはすごいを通り越して恐い…保存が終わったら一部印刷すると。まれに5~6本を一度に比較する(理想は洗濯物を干すようにDocumentをつるす方法。レヴィ=ストロースはこうやって神話比較をしていたとか)ときもあるのですが(最近はさぼってます…はぁ甘い自分に渇!)、これは紙ベースでないと厳しいですね。巨大なスクリーンがあれば解決するのかもしれませんけど。まぁそんな金銭的余裕も無いわけで。あぁ宝くじが当たらないかなぁ・・・。

さて、まとめて鑑賞したDVDから一本をご紹介いたします。こちら。

商品の詳細

矛盾螺旋は「空の境界」の一話である。本シリーズは全体を通して複雑なストーリー展開をもつ。一話ごとの内容がかなり濃ゆい作品に仕上がっている。少し頭を使って鑑賞しないと、よくわからないうちにエンディングを迎えることになるだろう。

矛盾螺旋とは何か。矛盾=つじつまが合わないこと 螺旋=同じことの繰り返し。つまり、つじつまが合わないことが何度も繰り返されるということ。それは創られた虚構の繰り返し。我々の世界で言うところのCMがこれにあたる。もっとも、本作では、CM以上に現実とリンクした矛盾螺旋が繰り返されているのだが。
多くのシーンが、螺旋をモチーフとしてえがかれている。例えば、平社員の日常生活。ある決まった時間に何々をしなければいけないといったもの。われわれの多くは無意識的に螺旋の日常を繰り返している。そして、螺旋の日常は主観的に感じ取ることができない類のものだ。だからこそ、意図的に造られた螺旋を見破ることができなくなってしまっている。

螺旋に陥ることで恐れるべきは、同一事象の繰り返しがもたらす諸感覚の麻痺であろう。昔の例をで考えると、アウシュビッツがわかりやすいだろうか。人を殺めることが日常となるにつれ、人は罪悪感など忘れてしまうのだ。戦争で死んでいった人たちとは別に、生き残った我々が今何をしているのか。螺旋の日常で、我々は大切な何かを蔑ろにしてしまっていないか・・・人間の総意といったものは存在するのだろうか…矛盾に満ちた今の社会はいっそう更地にしてしまったほうが良いのではないか…螺旋と矛盾を根源として、答えが一つに絞れない「問い」を本作はわれわれに提示している。

空の境界、それはとても曖昧な境界。境界間には厳密な線引きをすることはできない。それはちょうど、人間がヒトを「認識すること」と似ている。ヒトの認識には常に「振れ」が伴う。昨日と今日で特定のヒトの印象が、がらりと変わることもしばしばだろう。それは、何も他人の認識にだけ当てはまることではない。自己の認識においてすら、日進月歩、変化していくものだ。それと上手く向き合わないと、葛藤と苦悩のうちに、精神が壊れてしまいかねない・・・。

※丁度読んでいた思想地図に影響されて、大人買いした作品。内容はそれなりに楽しめましたが、攻殻機動隊やエヴァンゲリオンに比べると、ちょっとインパクトに欠けるかと感じました。場面場面で、かなり複雑な展開(思想的に)になるので、取り残されないよう注意が必要となります。ラカン、バタイユ、ニーチェ辺りを読んでから鑑賞すると、より作品の背景理解・解釈の幅が広がるのではないかと思います。エヴァ同様、20歳以上の人に是非見ていただきたい作品です。

2010年4月10日土曜日

Make a new!

前にもTwitterかどっかで述べたと思いますが、最近のブログは結構レベルが高くて重宝しています。あと、日経BPですね。BPの記事を毎日読んでおけば、政治・経済・社会情勢のおおまかな全体像をつかめるはずです。うーん、これを上手く活かして何か新しいことをやりたいですねぇ。すこしにつめてみましょう、そうしましょう。

さて、考えるだけで、ひとつも行動に移せないビビリなえびすが本日新しいラベルをご用意いたしました。その名は《これログ。》
内容は・・・古今東西の素晴らしい若しくはくそったれなブログ・記事を批評する・・・ものであります。テーマはあちこち分散するので…つまらないときも多々ありましょうが…末永く、よろしくお願いいたします。

さて、今日の一本を紹介いたしましょう。こちらです。

親のために就職先を選ぶ間違い by スローガンを持って生きよう

「自分がやりたいことをやれば、人生を主体的に生きられる。それが親への責任に繋がるもの。就職先を大企業にすることで、本当にいきいきと仕事ができている?たとえ大企業で働いていたとして、ななめに構えた自分を見た親はどうおもう?もしも、ベンチャーに自分がわくわくできる”場”があるなら、そこで働いてみようという選択肢のウェイトがもっと大きてもいいんじゃない?」

ようは、「大企業のもとで働いている《比較的》頭の切れる人たちよベンチャー企業に是非踏み込め!」っちゅーことですね。確かに、僕の同期をみても、みんな一流企業へ就職されました。100人いた学科内で、ベンチャーへ就職された人は2,3人だったと思います。

さて、自身「優秀な学生よ、ベンチャー企業へ就職を!」と謡うのはいいことだとおもいます。日本のボトムの活力を創り出しているのはベンチャー企業の勢いでありましょう。企業に勢いがあると、「俺も波に乗ってやろう!」という熱い思いが沸いてきます。

ただし、その「思い」がわいてくる人の割合は、実際のところかなり小さいのが現状ではないでしょうか。これは日本に特有なのかもしれませんが、一流大学に通う学生たちのほとんどは将来有望なベンチャー企業の存在すら知らないのが現状でしょう。うーん、もったいない。

ではなぜ知らないのか?だって、そもそも知る機会が無いわけですよ、周辺企業なんて。僕の周りだけだったのかもしれませんが、田舎から来た学部学生にとって、企業の認知なんて「大企業ってTVでCM流しているような会社でしょ?」程度ですよ。本当に。

多くの場合、ベンチャーに行くリスクが過大評価され、大企業にいくリスクが過小評価される傾向にあります。大企業にいくメリットも過大評価されています。そうしたバイアスを取り除いて思考する知性と情報をまずは装備する必要があります。
実際、ベンチャーに行くリスクは高いのは間違いないことでしょう。数値として何を持ってリスクが高いと定義するかは難しいところでしょうけど。おそらく、一般の学生には、どう頑張っても「大企業賛歌のバイアス」は取り除けないと思います。 むしろ、「バイアスをぶっ壊す」くらいの気合でないとだめかもしれない。「バイアスがある、それはわかっている…けれど、それでも俺は挑戦したい!」そういう人がベンチャーにやってくる。そして、高いパフォーマンスを残してくれるんじゃないかなと思います。無理に頑張って呼び込んでも、結果として附いてくるものは当初の期待以下のものになるんじゃないでしょうか。まぁ、真剣にボトムアップを計るならば、ベンチャー連合を作って、「大学の教育のあり方」から変革していかないとだめでしょうね。最近はちらほらベンチャー講座みたいなものもあるようですけど、まだまだ選択科目の域でしょう。必修科目にまで格上げすべきです。

あ、そういえば、この題は「親の目をきにするな~」みたいな感じだったのですが大きくずれてしまいました。結局僕が言いたかったことは、親の目云々で考えているような輩をどうするかということに頭を唸らせるのではなく(親の顔を立てるという意味では大企業就職もありだと僕は思います)、そんな親の目を気にせず、社会の一般論をぶち壊し、積極的にベンチャー企業に参画してくる学生数を増やしたほうが効率・パフォーマンスがいいだろうということです。

2010年4月4日日曜日

Google labs

ネットを彷徨っていると、無料で提供されている情報量の多さにびっくりします。なかでも、Google  labsは優秀です。いろんな国の統計を簡単に比較することができるのは素晴らしい。簡単な調査程度ならば、Googl labsのPublic dataで十分だと思います。例えばGDPの比較。





うむ、デザインがいいですね。データ検索時間もグラフ作成時間もかからずに、このレベルの統計データを無料で提供してくれるGoogleさまさま。高校生にもどんどん活用させたいツールです。

さて、今日は久しぶりに映画を観てきましたので、そちらをご紹介。

ハート・ロッカー
ハート・ロッカー

危険物処理班と聞いて我々が頭に思い描くのは、どういった人物像だろうか?広くは映画やTVで紹介されている、skinnyに爆弾の解体を進めるスペシャリスト。最後の数秒で、爆発を食い止めることに成功する英雄といった人物像を思い描くだろう。しかし、現実の世界は往々にして、我々が思い描く像を裏切る・超えるものだ。

爆弾の威力、それは様々である。原子爆弾のような大型爆弾もあれば、手榴弾や地雷のような小型の爆弾もある。ハートロッカーが取り上げるのは、市街に設置された爆弾を処理する小隊の「爆弾処理の日々」。それは我々が想像する以上に危険で過酷な日々である。

イラク戦争以後、市街で過激派による爆弾テロが多発している国、イラク。そこに潜む「悪意」が引き起こすテロは絶えることがなく、卑劣さを極めている。彼らは単に爆弾を仕掛けるだけではない。如何に、相手側に「犠牲」を払わせるか、そこまで緻密に計算してテロを起こしている。

本作で最も印象的だったのは、人間の体に爆弾を埋め込む「人間爆弾」だ。アメリカ兵と親しくなった子供をターゲットに、彼を殺し、その体に爆弾を埋め込む。アメリカ兵はその子供を見つけて、どうするか…爆弾を処理するには、彼の体を「爆破」するか、彼の体を「切り刻」み爆弾を取り出さなければならない。精神的なダメージは計り知れないものとなる…。

最後に、作中で自身の赤ちゃんと戯れる主人公が漏らした印象的な言葉を綴っておこう。

「今は宝のように思える物も、やがてガラクタになっていくんだ」

何かをきっかけに、宝物がガラクタに変わる。戦争もそんなところから起きているのではないだろうか。ほんの少し、見方・考え方を変えるだけで、当事者の様相は様々に変化する。ただし、その変化は、一度限りのものではないはずだ。悪化した関係も、かならず好転することができるはずだ。一人の人類として、世界の構成員の一人として、そうあると信じたい。

※やはり映画館で観ると迫力が違いますね。四方八方から爆発音が放たれるものですから、その度にビクついていました。さて、作品の内容ですが、「正しきはアメリカ」という観点からではなく、「弱きものを守る必要性」を訴えているような気がしました。戦争で勝利したにも関わらず、イラクの市街で危険な爆弾を処理し続けるアメリカ兵の目的がどこにあるのか。そこらへんを汲み取ると、イラク・アメリカ双方が抱える問題は、「堂々巡り」(武が争をよび、争が裂をおこし、裂のうちに新たな武が生まれる)に加え、「何を持って解決とするのか」の見極めができない問題であると思わざるを得ないです。  

日本の未来を考える志士達とのdiscussion

今日は心待ちにしていたdiscussion大会に参加してまいりました。いやーすごかった。日本は広いですねぇ。これだけ意識が高い人たちがこんなにもいたとは。彼ら・彼女らと接していると、もの凄くエネルギーを奪われます…が、同時にもの凄いエネルギーを貰うのですけど。前日3時間の睡眠時間でも、睡魔にも教われる事無く(仕事ではいつも襲われるのですが…)discussionに終始集中して取り組めたのは、周囲の方々の「熱い思い」のおかげであります。感謝、感謝、感謝。

さて、本題に入りましょう。大きな議題として、「日本の成長戦略を考える」、それを4つのテーマに分けて、さらに1つのテーマに対し3~4チームに分かれてdiscussionしていきます。議題は「対外発信力」「福祉力」「働き力」「環境力」。今回僕が議論させていただいたJグループでは「日本が成長するための働き力、個人が成長するための働き力」について議論させていただきました。内容を全部記すと、相当な量になっちゃいますので、<簡単な議論のフロー>とそこで出てきた<皆様の意見>を紹介いたします…少し僕の批評交じりで()

まず、日本が成長するための働き力として最も大切なものは何かについて。ふたを開けてみると、ファシリテーターが危惧していた通り結構意見が分散しましたね。日本の「何」を成長させるのか…僕を含めて、みんな自分が属する官庁や企業の問題点を背景に案を出していたように思います。多数の意見が出た中でも(個人的にですが)、官庁の方々から出された「組織をマネジメントすることができる人財(若手)を育成する必要性」という意見に共感を覚えました。近未来の民間企業を考えるにあたっても、この点は重要な問題です。とりわけ、ベンチャー企業の創出を考えるにあたり、経営層のマネジメント能力をどこで身につけさせるのかといった点については、まだまだ議論が進んでおらず、かつ喫緊に考えなければならない問題でありましょう。勿論、大企業においても重要なことでもあります。

次に、個人が成長するための働き力として大切なものは何かについて。こちらは結構似たような意見が多数あったように思います。なかには「あくせく働かない」という意見もありました。うーん、これが達成できる社会基盤があれば何よりなんですけどねぇ。ワークライフバランス…いや、ライフワークバランスを今一度見直す必要性はいろんなところで謡われております。ただ、それを行うためになすべき事、それに対する壁の高さが尋常でなく高い…。たとえ崩すとしても、崩した時にどんな弊害が生まれるのか…難しい、巷で言われる<とけない問題>であります。あ、全体の総意としては「モチベーションを高く持つ」という意見が多かったです。これについては皆様のご存知の通りなので、ここで説明は省きますね。

全体を総括すると以下の通りとなりました。
戦後のモチベーションの高さ(上を目指す目標が明確だった)→爆発的な経済成長とそれに伴う自らが築いてきたマニュアルへの自信→後世代にも昔と同一のマニュアルを強要→一方的な押し付けによるワークシステムの疲弊(若手が抱く「仕事ってなんだろ」感)…
この現状をふまえてQ.未来の日本の働き力を考えるにあたり、今築いておかなければならない必要なことは何か。A.イノベーションを起こすことができる基盤を築くこと。そのために必要な項目として「新しいことに積極的に挑戦できる風土」「個々人の自主性」「世代間ごとのリーダーシップ」「社会のVision改革」が挙がりました。また、主体的に未来を考える人たちの裏には既存の組織でもいいじゃないかという意見も多数あり、彼らの意見も尊重しなければならない。
具体的な解決策の提示までには至れませんでしたが、自論・他論の認識共有は達成されたことを鑑みれば、僕達のグループのdiscussionはかなり成功したもの(cross over21の方針に照らして)でありましょう。

最後に今回のdiscussionとは少し距離を置いて自論を述べさせていただきます。造業のもとで働く身として色々な意見を出させていただいたのですが、僕が最も危惧しているのは、「中国とインドの経済成長が日本にもたらすもの」について。今まで、日本はものつくり大国として世界No.1の地位を築いてきたわけでありますが、今後の10年を考えた時、果たしてNo.1であり続けることができるのでしょうか。僕の答えはNo!…確かに、品質のよさという面に絞れば世界No.1の地位を維持できるでしょう…が、ものつくりは何も品質のよさだけではかるべきものではありません。きちんと「もの」として購入してもらわないと、作ったものは「ごみ以下の価値(作るまでの人件費・工程費を考えたとき)」しかもたない。利益を獲得しなければならない株式会社にあっては、「もの」を買ってもらうためにコストを下げなければならない。コストを下げるためには、安い人件費でものを作らなければいけない…そうなると日本では「やってらんねぇ」となるのは自明でありましょう。最初は<海外に工場を新設>からはじまるでしょう。そして、しばらくして、「安い人件費」という甘い汁を吸った企業は、日本の工場をどんどん閉鎖していく…いや、グローバルの競走にあってはそうせざるを得ない状況がやってくるはずです。そうなると、日本の雇用はがくんと下がる。そうすると…失業者が増加→彼らを保護→多額の税金の投入→財政の圧迫といったサイクルが起きる。一過性の失業者の増加ならば凌げるかもしれませんが、ここで考えるべきは恒常的な失業者の存在です。では、彼らが国家に何をもたらすのか…年間に1000万人の失業者(失業率15%)が出るとし、そのうちの20%(200万人)が失業手当を受給するとします。現状では、50万人に対して2兆円くらいの財源が当てられているとして、8兆円必要となる。加えて失業者からの税収がなくなることを考えると、この8兆円という数字は、現行の保険制度を鑑みると厳しい値・・・。増税、保険料の引き上げ、無駄の排除 etc…なすべきことはたくさんあるでしょうけど、それに伴い生まれる「歪み」も考えなければいけません。
額がかなり大きいため難しい問題ではありますが、「解決策」とまでいかなくとも、「改善案」程度は考えておくべき問題でもありましょう。

2次会の席でお話させていただいた方と議論に上がったのですが…「民の中でも、経営者と従業員では企業の方針・存続に対する考え方が全く違う」と仰っていました。確かに、今回のdiscussionの「民」メンバーもお一人を除いて、みんな何らかの組織に属する方でしたね。次回は経営者も多数呼び込むことができるよう、提案させていただきたく思います…難しいでしょうけどよろしくお願いいたします。

2010年4月2日金曜日

流れに身を任せつつ・・・

いよいよ新年度が始まりました。うーん、あんまり実感がないですけどねぇ。学生時代は、ピシッと折り目正しく新年度を迎えるステージが用意されていましたが、社会人になってからはそんなものは用意されておらず・・・「昨日となんら変わりない一日の始まり」・・・そんな感じがします。新入社員が配属されるまではこんな「年度越しのナーナーな日常」が続くものですかね。

さて、栄えある新年度の一発目はこちらを紹介。


2000.9.11・・・アメリカ同時多発テロ。マンハッタンのランドマークであった、ワールドトレードセンターにボーイング767が突き刺さる瞬間の映像は、今でも脳裏に焼きついている。もくもくと煙を上げるタワー・・・恐怖におびえ、わめき散らしている「地上の人たち」は多くのメディア、個人撮影のビデオ映像のうちにその姿が残っている。しかし、「タワーの中にいた人たち」の姿は残っていない。彼ら・彼女らは何を思いタワーが崩れ去る瞬間を迎えたのだろうか・・・

アメリカ軍による「アフガニスタン侵攻」は、このテロ行為が引き金となった。腸が煮えたぎった軍人たちが、次々とアフガニスタンに送られる。その軍人たちの中でも、厳しい訓練を乗り越えた「特殊部隊」に属する軍人は、一目置かれる存在だ。強靭な身体能力、強固な精神力、素早い状況判断力、仲間を思う結束力 etc・・・彼らの能力を持ってすれば、ハーバードのロースクールに入学し卒業することなど容易いことだろう。冗談抜きに、アメリカの特殊部隊は優秀な軍人で構成されている。

本書を綴った人物マーカスもまた、アメリカの特殊部隊SEALに属する軍人だ。幼少の頃から近所の退役軍人のオヤジに鍛えられ、無事SEALの厳しい選抜をパスしたマーカスはアフガニスタンに派兵される。任務は、アルカイダの最重要人物の一人、ベン・シャーマックの暗殺だ。

ついに作戦を実行することになったマーカスの小隊(4人)は、情報を元にシャーマックの身元を推察し、タリバン兵に見つからないよう細心の注意を払いながらアフガンの渓谷へと身を落としていく。1時間で進んだ距離はわずかに0.5マイル足らず・・・厳しい体制で、谷に身を隠す・・・ライフル、救急セット、弾薬の束が彼らの体力をみるみる奪っていく。

彼らの悲劇は、あるアフガニスタン人の農民と遭遇した時に始まった。タリバンのスパイかもしれない彼らをどうすべきか・・・殺すか?しかし、殺したら俺たちは刑務所行きとなるかもしれない。殺さず逃がすか?いや、それはリスクが高すぎる。スパイだったとしたら自分たちの命を落としかねない・・・

結局、彼らは農民を逃がす決断を下す。そして、不安的中。2時間後に150人近いタリバン兵が、彼らの首を狙って、渓谷をうろつき始めた・・・

書き出すときりがなくなるのでここら辺でとめておこう。マーカスの属する小隊とタリバン兵との決死の戦いが、臨場感たっぷりに綴られている箇所は是非とも生の文章で読まれたい。また、本書から読み取ることができる「訓示」は、多数あろう。一度ならず二度、三度と読みたくなる作品である。

※まず、アメリカを「正」として本書が書かれている点付記しておきます。アメリカ=正という画一的な見方を許容できない人は読むべきではないでしょう・・・でも、少し我慢して読んでほしいのが僕の心の声。戦闘の前線にいるアメリカ軍人の危険を鑑みると、安全な場所から「軍人の非道」を非難するメディアや、それを煽る団体の態度に対し、疑問を呈する気持ちが芽生えてきます。うーん、とはいえ、人を殺めることには賛成できない・・・双方の間を上手くとる方策を出せといわれても難しく、なんとも答えの出ない問題であります。