2010年5月30日日曜日

Just a moment for justice

昨日iPadを手に入れ、興奮冷めやらぬまま、無駄にいろいろなアプリケーションをダウンロードてしまいました・・・請求金額にビビリながらも有意義な時間を潰していると勝手に思っております、えびすです。このデバイスは凄いですね!ここまで感性が刺激を受けたのは久し振りでした。新しい何かに出逢うと不思議と自身の創造力が活性化されるように思います。

実はこの文章もiPadで打ち込んでおります。タッチパネル式ということで、打ち込みがしにくいのではないかと、入手まえは懸念しておりましたが、実際に使ってみてその心配は無用だったこと実感しております。カッコ等の入力がめんどくさい点を除けば、iPadのキーボードは十分に実用に耐えうると思います。

さて、今日紹介するのはこちら。最近NHKでも話題になっているあの教授の著書であります。

 商品の詳細

1984年にこの世におり立ち25年の生をまっとうしてきたが、正義という言葉の定義について、真剣考えたことはついぞなかったかのように思う。おおよそ、周囲の人間、環境、教えに従うことが、そのまま正義のあり方なのではないかと思っていたのだろう。しかし、それは正義のほんの一面でしかないことを、本書を通じて知ることとなる。

この世において正義という言葉を完璧に当てはめうる場面、事象は存在しないというのがサンデル教授の主張であろうか。たとえ、自分がよかれとおもってしたことが実は誰かの幸せ、価値観を傷つけていることがある。車イスを利用している人を手伝うときの例をあげよう。彼らは自分たちでできることは自分で行なうというポリシーを持っている人が多い。車イスを押してあげた方がきっと幸せだろうと勝手に考える私は、相手の同意無しに、車イスを押してあげる。相手にとっては、余計なお世話以外のなんでもない。二人の間で齟齬をきたした原因はなにか…。本書ではカニバリズム、同性愛、代理出産、Affirmative Action(差別是正)etc...といった、答えが一つに定まらないケースを取りあげて、カント、ロールズ、ミルやアリストテレスの哲学を参照しながら、正義の一面一面を細かく分析していく。

具体的な考え方として、功利主義と自由主義をあげ、各々の観点から上にあげたような問題に取り組んでいく。車イスの例もとに、車イスを押す人の立場を、功利主義的に考えると、次のようになるだろう。ー車イスを押してあげた方がきっと楽だろうし、移動時間も早くなるから僕にとってもメリットがあるぞ。ー

サンデル教授が伝えたかったことはなんだろうか。曲がりなりにも私の考えを述べさせてもらうとこんなかんじだろうか・・・我々が生きている社会では、物事を一つの面からしか捉えない・評価しない風潮がある。そして、その評価は往々にして自分の利益が最大になるようになっていないだろうか。はたして、それは本当に正しいことだと言い切れるだろうか。カントの言葉を借りると、正義・道徳とは本来、利害関係を排除し何の見返りも期待されないこと前提としたうえで、それでもなおその判断を下すのが正しいと考えられる時に立ち現われてくるものだ・・・

今後、グローバル化が一層加速するにつれ、多くの正義の対立が健在化してくることだろう。その時に、我々が為すべきこと、それは相手の意見・考え方を押さえつけることではなく、互いが対立するにいたった経緯・文化的背景・経済的背景を根気強く理解していくことだ。個の主張から共の同意へのシフトが必要な時代へと突入していくのは間違いない。

※本書はハーバード大学での講義の内容をすこし深く掘り下げた書籍であります。大学での講義内容は、ハーバード白熱教室という題でNHKで放送されておりますので興味がある人は是非ご覧ください。英語で講義内容を聞き取ることが出来る人は、無料でiTunesから全講義をダウンロード出来ます。学生の意見のぶつけ合いは迫力がありますね。日本でもディスカッションを間接的にとりこんだ講義もっと増やして欲しいモノです。

2010年5月22日土曜日

Inspiring new's in my memory.

皐月も半ば。今日の東京は少し蒸かえっていました。夏が近いですねー・・・思えばこのブログを初めてはや5ヶ月弱経過しているんですね。時がたつのは早い・・・皆様、有意義な時間の過ごし方をされていますでしょうか?えびすはあいかわらずのぐーたら生活を送っております・・・染み付いた生活習慣はなかなか直せない・・・困った困った(毎度のことながら口だけ・根無しなえびすですいません)。

さて、今日はかねてより訪れたかった三菱一号館美術館へ行ってまいりました。この4月初旬にオープンした当館のオープニング展示は・・・「Manet et le Paris moderne」。オープニング展示は、結構重要な位置づけにあるものでありますが・・・ここ数年の美術館のオープニング展示を振りかえっても、一人の作家を深く取り上げることはなかったように思います。森美術ではHappiness展(若冲、モネ等古典作品からボイス、ルイーズ等現代アートまで、幅広い時代・分野をカバーした展示)、国立新美術館では20世紀美術探検(20世紀のアート界の変遷を、セザンヌ、デュシャン、ウォーホルらの作品を軸として紹介・展示)と、比較的多くの人がとっつきやすい(本当の意味ではとっつきにくいのですが)展示を持ってくるのが一般的なのかなぁと思います。で、カタログによると、「館長がマネが好きであること、新しい都市の美術館としての位置付け」を考えたときに、19世紀後半の美術世界に新しい風を吹き込んだ画家マネこそオープニング展示にふさわしいとお考えになったのでありましょうか。初めにマネと聞いたときには・・・「なんで?」と想ったのは事実でありますが、館長の考えに耳を傾けると「なるほど」と納得する節がたくさん見えてまいりました(これについては後段にて)。さて、展示の内容を少し紹介いたします。かなり私見も入っていますので、あしからず・・・。

いわずも知れた芸術の父エドヴァール・マネの《個人的な趣味》、《家族と友人達》、《パリ・パリ郊外の生活》を背景として、80点あまりの作品を展示。既に見たことがある作品が多いのも事実・・・だけど、新たな出会いも沢山ありました。とりわけ、リトグラフ・エッチング作品に出会えたことは、とても嬉しかったです。完成形ではない下書き(リトグラフが完成形とも考えられますが・・・)には、完成形ではないからこそ滲み出てくる「人間くささ」を感じ取ることができるように思います。また、同じ作品でも、一度目に鑑賞した時に抱いた解釈・心情と、ニ度めのそれでは大きく異なることが多々あります。今回もオルセー美術館所蔵「スミレの花束をつけたベルト・モリゾ」と再対話することで、新たなストーリーがほわほわと湧き上がってきました。「ねぇ、マネさん、私が今でもあなたのことを愛しているのはおわかりになって?・・・何で弟さんと結婚したかわかる?・・・そうしないと、《お互いの作品にあらぬ噂》が立っちゃうでしょ。だから・・傍にはいたいから・・・あなたの弟さんに寄り添ったの。」・・・勝手に妄想が膨らんでしまうのが僕の悪い癖であります。

さて、本展覧会におけるえびすthe bestについて紹介いたします。the bestといいながら2点あるんですけどね。一点目が「横たわるベルトモリゾの肖像」。「すみれ~」よりも、こちらの作品のほうが、作品の完成度が高いように感じます。背景・構図・色使い・・・いうことなし。胸元の花のブローチ(おそらくブローチのはず)の緑色がもたらす効果は絶大。背景の赤茶と、黒い衣装のモリゾとのコントラストの素晴らしさにはため息が出ちゃいます。二点目が「プルチネッラ」。本展において、「マネの意外性・新しい一面」という色眼鏡をかけたとき、この作品は群を抜いております。カラーリトグラフの作品ながら圧倒的な存在感を感じとれ(あくまで僕の主観ですが)、風刺の効いたコミカルな画法、色使いの超一流性にマネの《絵を描く能力の深淵さ》を実感できる大変勉強になった作品であります。

「横たわるベルト・モリゾの肖像」

ちなみに、展覧会場には、要所ごとに休憩スペース・リフレッシュスペースが設けられており、気疲れすることなく作品を楽しむことができると思います。施設としての三菱一号館美術館を楽しむのもお忘れなく。

※実は、今の現実社会でもマネのような人物が出てくるのが期待されているように思います。何も、芸術の分野に限る話ではなく、広く社会全体においてです。マネが起こしたような「新しい風」は、最初は多くの人間に忌避されるものであります。しかし、その風が纏う「信念・方向性」がしっかりしていると、自然と賛同者が増え、やがて大きな風へと成長していくものです(そうあって欲しいです。)。もっとも、各々の時代の社会背景・政治・経済情勢にも左右されることは間違いありませんが・・・折りしも、19世紀後半のパリは街として疲弊しきっていました。疲弊の仕方・程度に違いはあれど、今の日本社会も19世紀のパリと似た状況にあるのではないかなと感じる次第であります。あ、ちなみに、「フォり=ベルベージュのバー」は本展では展示されておりません(習作はあります)。あと、アカデミズム派カバネルの作品を並べて展示して欲しかった・・・もっとも、一年ほど前に《アカデミズム or 印象派》なる展示があったので避けたのかもしれません・・・。

2010年5月16日日曜日

acceptとknowledge

先日、修士時代の投稿論文が無事acceptされました。苦節1年(短いですかね)・・・感無量であります。さて、投稿論文の簡単なフローはこの通り。論文をあるjournalに投稿→reviewerによる査読といわれる論文の正誤判断を受ける→accept or reject or remedy(reviewerの指摘部分を検討・検証し論文を修正)→再び投稿→accept or reject。インターネットが普及するようになってかなり査読判断の結果が出るのは早くなったことだろうと思いますが・・・それでも、最短で半年弱はかかってしまうのが現状。学会発表だと「途中段階」だったり「再検討の必要あり」の状態でもバンバン出してきます。そして結構自己満足なものや甘い発表が多い(笑)。一方、投稿論文ですと、甘い論文はたやすく撥ねられます(reject)。物理的に整合性があるか、使用している数式に間違いは無いか・・・細かくcheckが入るので、こちらが見落としていたpointもしばしば指摘してくれます(第3者の目は素晴らしい発見をもたらしてくれるものです)。reviewerにもじっくりと考える時間が与えられているので、論文は「より完成度の高い研究結果」であるといえます(もっとも、Journalによりけりなところはありますが・・・)。反面、時間がかかる+通るか通らないかわからないため、近年では投稿論文よりも、学会発表のシフトを大きくする研究者が多いようです(学会発表を数回繰り返して後論文にするというのも主流です)。

もっとも、後世の研究者に自身の研究を受け継いでもらう(直接・間接的に)という点では、論文を出すのが一番いいのは間違いないでしょう。僕自身、大学院時代は論文の虫でしたから・・・400本(大体3000ページほど)は読み込んでました(笑)。実体験をもとに述べさせていただきますが、論文を読み込むほどに知識が積み上げられ、新しい発見・疑問が出てくるものです(閃きは、4~5本の論文をハンガーに吊るして眺めている時に「ピコーン!」と訪れたり、ピアノでトリルの部分に差し掛かったときに「ほわっ」と沸いてきたり・・・これは僕の場合ですけど(笑)。何時訪れるかはまさに未知でありますが、絶対条件として「知の蓄積」があったのは間違いないと思います)。

さて前置きが長くなりましたが、上に記した「閃き」に関連させながら教育について考たいと思います。でも、あくまで個人的見解ですので、こう考えている人もいるんだなぁ程度に捉えておいてください。

昨今、詰め込み式の教育に対し「創造性がなくなるから駄目だ」とかいう声を色々なお方から聞くのですが、本当のところどうなんでしょうか?僕は詰め込み教育賛成派なので・・・もちろん、詰め込む方法は大切です。では、なぜ詰め込み賛成なのか?・・・それは僕自身が詰め込みで多くの閃きを生むことができたから(笑)。詰め込み式に反対な人たちのどれほどが、「創造性に富んだなにか」を生み出した経験をお持ちなのかはわかりません。ただ、僕の知人や素晴らしい作品を生み出してきた人たちは、不思議と、どの人も「他の誰よりも圧倒的な量のinput」を行ってきた人ばかりです。outputを出す時に、はたして創りだしたモノが「正しいものか」「単なる自己満足で終わっていないか」「社会で認められるコンテキストはしっかりしているか」そういったpointsを考えられる人が今の日本社会には不足しているような気がします。これはビジネスでも当てはまることでしょう。何か新しい企画を持ち込み、明確なプランを組んでいくにあたり、「それがどういったパフォーマンスを残すのか」「どういったところまで影響力があるのか」「自社のブランドを傷つけないか」etc・・・包括的に考えると、詰め込みの重要性が身にしみるのではないでしょうか。

現実社会・経済で起こっている事件・事象の正当性・正誤性を判断をする上でも、《詰め込み知識》は重大なものであります。ただし、詰め込んだ内容をしっかりと精査できる能力も必要です。情報に溺れる・振り回されるところでとまっていては、新しい何かは生み出せません。この精査する能力を鍛えるという点で、書籍の読書ほど素晴らしいものはないと思います。雑誌やブログに書いてある内容の多くは、あくまでも表層の部分だけな場合がほとんどです。一方、書籍はかなり深いところまで、掘り下げて論展開・内容発展が行われています。深い内容に触れることで、その内容に関する「知識の断片」を手に入れることができる。また他の書籍を読むことで他の内容に関する「知識の断片」を手に入れます。そして、こんな感じに書籍を読み漁っていると「反発しあう断片」があることに気づくはずです。ここに至って始めて「精査」が必要な場に直面します。頭を痛めながら、何が正しいのか「自分で判断を下す」・・・ここまでたどり着ければしめたものです。

「創造的なものを生み出せる人・情報を精査できる人」を育てるのが、今の教育に必要なことではないかと僕は考えます。そして、両者に共通して必要なことは「知の蓄積」「知の詰め込み」です。ただし、ここでいう詰め込みとは「受動的詰め込み」ではなく、「主体的詰め込み」であります。学生が自分から進んで様々な知識を詰め込んでいく、その過程を上手くコントロールしてあげることこそ、本来教師に求められる能力なのではないかと思う次第です。

※話が分散してしまいました。主体的詰め込みの参考例としてiTunesのDream Classroom:川崎 和男教授の回を是非ご視聴いただければと思います。話している内容は「逃避人生」に聞こえるかもしれません(そこは川崎教授のご愛嬌)が、最後の学生の質問に対する受け答え内容が素晴らしいでので、そこだけでも是非。

2010年5月11日火曜日

不快の根源

はてさて今週末もやってまいりました、東京へ。ある意味、東京中毒症に陥ってますね。抜け出せなさそう。時間とお金をかけてお会いするからには、双方に有益な出会いでありたい。はぁ、人の生の精進にgoalなし。ただ自身の描くVisionを目指してバランスをとりながら積上げていくだけですね。変に積上げすぎると、崩れてしまうかもしれません・・・注意あれ。

今日は植松努さんのお話を聞いてまいりました。熱いねぇ、このお方。よく巷にたむろする「大量のエネルギーを消費して熱くなる人」というよりは、「最小のエネルギーで最大限に熱くなる人」という印象をうけました。

心に残った言葉を箇条書きしますと、こんな感じ。
・人はいつからか安心、自由、自信をお金基準で考えるようになってしまった。
・「自分はどーせ無理だ」・・・いつからか、日本人の多くがこのような観念を持つようになってしまった。
・義務教育とは最低限のことを教えること。そこで満足すると、最低限の人間でしかない。
・昔のヒーローは「自身を鍛えて」高みを目指したが、今のヒーローは「ゲット」することで価値観を高めようとする。
・Negative think + Hope これが最強。
自身の信念を貫いてきたお方。同じ物をつくるという分野で働いている僕にとって、植松さんの言葉の一つ一つが心に染み入りました。感謝感謝。

さて、公演を聞いた後は4人の方々とdialogを重ねてきました。結構時間刻みで組んでしまったから大変、大変。Uさん遅刻して申し訳ありませんでした。dialogでは近況に始まり、馬鹿話をして、打ち溶け合ってきたところで、各々の描くVisionを語り合いました。僕のほうからは、ここ数ヶ月の間にグーッと煮詰めてきた教育モデルを提示し、貴重な意見を発見・授かることができました。・・・dialogは素晴らしい。一人では生みだされえないモノを得ることができます。是非、皆さんも有意義なdialogを重ねてくださいませ。

あと、一点気づいたことを綴っておきます。それは、「会話のフィールド」なるもの。先日、勝間さんとひろゆきさん(2ch管理人)の対談で、勝間さんのゲストに対する態度がいかんせんよろしくなかった。ニュースなんかでも話題になっているので、多くの方もご存知かと思います。非難の矛先は勝間さんに向いたようです。まぁひろゆきさんはゲストですから、最もな話だと思いますが・・・。なぜ勝間さんが非難されているか、それは、ひろゆきさんと意見がかみ合わなかったときに、「ですから」「そうではなくて」「逆に」という相手の敵意をかうような言葉を連発していたことにあります。本来、進行役の勝間さんは、ひろゆきさんの意見を「尊重」した上で、自身の論を述べるべきでした。が、あれだけ自我の強いお人、ついつい自分のフィールドで議論をしたくなってしまう。そもそも、ひろゆきさんは勝間さんのフィールドで話をする気は無いわけで、無理やり引っ張られそうになることに不快感を抱いています。彼の発言内容・顔つきから、それはヒシヒシと伝わってきました。《良薬口に苦し》勝間さんには苦い薬となったでしょが、これを機に「他人のフィールドを尊重する」ことの大切さを認識できたのではないでしょうか。

で今回の上京で、これと同じようなことを僕も経験したわけでありまして・・・いや、そもそも僕のほうが悪かったのかもしれませんがけど・・・なんとも話がかみ合わない。なぜか?会話のフィールドがすべて自分基準になっちゃっているから、たぶん僕がですけど・・・すいません。
まず第一に自分の生活している「場」を基準に考えてしまうのはいたし方が無いことかもしれません。自分が知っている範囲のことにとらわれ過ぎ、すこしでも自分の考えに引っかかる点があると、「だけど」「ちがう」といった言葉を発してしまう。「相手の意見」に対して「興味」を示さず、「自分の意見」があくまで土台にあるという点を譲らない。そうなると、もはや有意義なdialogは成立せず、たんなる「あら捜しのための対談」になってしまいます。うむ、こまったこまった。

僕も久しぶりに「こないな気分」になったので、自身のこれまでの人生を反省いたしました。・・・はぁ、なるほど、おらぁ駄目っこだったとです。ついつい自分のフィールドに相手を誘い込みたくなる衝動にいつも駆られ、その誘惑に負けている自分が、次々と脳裏に浮かんでまいりました。相手の貴重な時間を頂いていること、自身もそれに時間を費やしていることを考えると、「有意義なdialog」を展開できることこそ最高の時間の使い方になるでしょう。

ではどうすれば有意義なdialogを展開できるのか?その秘訣は二つあると僕は勝手に考えています。一つ目が「言葉使い」。「だけど」「ちがう」という相手に敵意を感じさせる言葉ではなく、「なるほど、じゃぁこの場合はどう?」「へぇ、そんな見方もあるんだ。僕はこんな風に考えてたよ。」みたいに、相手の意見をオブラートで包み込むような言葉を用いると、相手の人も敵意を感じなくなります。二つ目が「広い知識と経験量」。およそ、誰かとお話をするにあたって、物事をたくさん知っているに越したことはありません。ひょんな話題を起点にして、話がぐーっと盛り上がることを、僕自身何度も経験しております。しかし、基点となるひょんな話題を出すのは結構難しいことです。相手の興味ある分野をあらかじめ把握しいておかなければならない・・・だけど初対面だったらそうも行かない。要求されるレベルは話し相手の技量にもよるのですが、こちらが色々なことに精通しておくに越したことはありません。でも、TPOをわきまえた上で、どの引き出しを《どのように》だすかを把握しておかなければ、これまた相手の反感をかいかねませんので注意。最強なのは、「おばかチャン」を装いながらも「膨大な知識と経験」を重ねてきた人。彼らにかかれば、どんな人も30分で打ち溶け合っちゃうでしょう。しかも、双方に有意義な時間も生み出してくれるに違いない。僕もそんな能力を手に入れたいもの・・・生唾ごっくんであります。

※最後のほうは愚痴っぽくなっちゃいました。相手の意見を尊重する・・・簡単な用で難しいことです。しかし、歳を重ねるごとに、相手を敬う能力の大切さを常々痛感させられております。一昼夜に身につくような能力ではありませんが、地道に積み上げていけば、誰もが手に入れることができる力でもあります。もっとも、僕の身の回りにいる人たちのほとんどが身につけていらっしゃるのですけど・・・僕にはまだ身についておりません・・・精進あるのみ。滝にでも打たれてこようかな。

2010年5月8日土曜日

お金と情報と言葉

世の中にはたくさんの無料ブログがあります。そして、その質は年々上がってきているように感じます。ある程度の質を保証できるほどになれば、堀江さんのように有料化するのも一つの方法(ちなみに堀江さんはメール形態で配信しています)。コンテンツの根幹であるプラットフォーム(ネタのフレームと掘り下げ具合)に付加価値をおくことができれば、それなりに読者は集まるのではないでしょうか。前提として、αブロガーレベルにならないといけませんけどね。そっちのほうがハードル高いかもしれません。

「情報の有料化と無料化どちらに軍配があがるか」といった質問は愚直でしょう。どちらかに偏るのではなく、互いのフィールドを隅分けていく方向性をとるのではないでしょうか。無料の情報の多くは一次情報の性質を持ちます。一次情報の価値は「いかに多くの大衆に開示することができるか」に置かれています。あまり深い知識は必要なく(いや、むしろ邪魔者ぐらいの考え)、ただ、レスポンスよく情報を垂れ流すだけ、それが求められている。まぁ、やる気と体力さえあれば、誰でもできるようなこと(もっとも、巷に溢れている無料ブログの中には、かなりレベルの高いものもたくさんあります)です。身近な例で言うと、Yahooのトピックス一覧レベルがこれにあたるかと思います。

新聞は一次情報の流布を目的に始まりました。ふるくは「瓦版」と呼ばれ、広く大衆の「はなしの種、娯楽」になっていたようです。これは今でも変わりません(と信じたいところ・・・)し、今後も変わらないでしょう。収入モデルも、広告料金を基軸とする方向性に変化はおきないはずです。恒常的に広告料金が見込まれるのならば、新聞はタダで配布することができるはずです。ここ5年ぐらいで急速な伸びを見せたFree Paperを鑑みると良く理解できます。Freeで情報を提供する分、違うところでお金を貰わないと、企業として廻っていかないのは当たり前です。消費者もこぞってFreeな情報にアクセスする

しかし、そのトレンドが少し変わりつつあります。上に挙げた堀江さんの有料メールサービスに代表される、情報の有料化への流れが少しずつ起こり始めています。一例を挙げると、日経Netが3月の終わりから有料となった(一ヶ月のお試し期間あり)のは周知の通りかと思います。この背景には、紙媒体の発行部数の減少をNet広告で賄えない・・・といった理由ではなく、情報を有料化するとして、どれほどの収入が見込めるのかを見極める目的があるのではないかと僕は考えます。なにせ、有料化によって収入見込みが減少するようであれば、昔のように情報の無料提供に戻ればいいのですから。

では、なぜ日経はこのような見極めを試みたのか?推測の域ですが、おそらく日経は従来の一次情報提供モデルでは、今後5年も経つと経営が成り立たなくなると想定・危惧しているのではないでしょうか?なぜ経営が成り立たなくなるのか?それこそ、TwitterとUstreamの流れを考えれば、すぐわかるかと思います。誰しもが、「発信源」となれる素地ができてしまった以上、この流れが加速するのは間違いないでしょう。そもそも、人間は自分が「新しく知ったこと」を誰かに話したくなる生き物ですから。いわば一億総ジャーナリスト時代。最新の情報は幾つかの《発信局:ハブ》を主体として発信される。このような大きな流れを作る契機として、、既存の記者クラブの崩壊があるかと思います。もし、この聖域を崩すようなことがあれば、雪崩のごとく、様々なフィールドで《ハブ》が生まれることになるでしょう。この流れは、TV等メディア業界にも当てはまることであります。

ただ、懸念するべき点もたくさんあります。発信者側には、有料化ゆえの情報操作のしやすさ(逆説的ではありいますがそうなってしまう)。受信者側には、有料情報への過度の信頼を招くことは間違いないでしょう。悪意をもった情報を見極める能力を今の内に身につけておかないと、ポスト全体主義の一員となりかねません。

※すべてを有料にするのではなく、無料の情報も同時に提供することも上手い戦略であります。情報の付加価値の程度を上手くコントロールする(堀江さんの場合もブログとTwitterで上手く読者数を増やしていると思います。なにより有料情報が本当に価値があるモノであると多くの人が認めている点、やはり彼は天才です)ことも、今後の情報の有料化社会を考えると必須のスキルとなります。これは、有料の情報でお金を稼ごうと思っている人だけに当てはまることではありません。非営利であっても、発信したい情報を上手くコントロールすることはとても大切です。お金ではない形で、多くの人から付加価値を認めてもらえること、そのとき、発信者と受信者の間で大きな《絆・力》が生まれるのではないでしょうか。情報の質を握るのは個々の言葉であります。今一度、自身の言葉磨きに励む必要性を感じます・・・はぁ、本当に言葉は難しいですねぇ・・・。

2010年5月5日水曜日

A book change your life.

読み終わった本のうち、これは!と思うものを紹介するように心がけてはいるものの・・・改めてこれまで紹介してきた本を振り返ると、かなり僕の個人的趣向が前面に出た選書になっちゃっています。うん、自分勝手の自己満足大好き人間でごめんなさい。反省反省。

さて、建て前になりつつある反省を終え、気分爽快なえびすが紹介する本はこちら。

商品の詳細

「目からうろこ」。通常ならば、読書後にこのような気持ちを抱くものだ。しかし、本書はそんなレベルではない。目からうろこが数ページおきにやってくる・・・ページをめくるごとに、《きづき》が次々と心の底から湧き上がってくる。

本書が紹介するのは、スタンフォード大学でのいくつかの講義の進め方だ。それら講義はどれも《イノベーション》と強くlinkしている。イノベーションのポイントは、「常識を疑うこと・反対側から観ること・経験を豊富にもつこと」である。これらについては過去に取り上げた本の中でも述べられているので、《イノベーションの中身》に足を踏み入れるのは避けよう。今回は、本書のうちに出逢えた、《心に残った言葉》に私自身の自己解釈を交えた《格言》を紹介するに留めておく・・・多くの人に(特に若い人)この本を読んでいただきたい裏返しの愛情と思っていただければ本望限りなしだ。
運のいい人たちは、未知のチャンスを歓迎し、経験の無いことにも積極的に挑戦する。よく知らないジャンルの本を読み、あまり知られていない場所を旅し、自分とは違うタイプの人たちと付き合うこと。
 経験はいつ役立つのかわからない。目先の利益にとらわれず、幅の広い経験をし、予想もしない形で知識を生かせることがある。知識の幅が広がるほど、経験の幅も広がる。そして、引き出しもどんどん増えていく。
本を読むことくらいなら誰でもできる。しかし、直面した課題に取り組まない限り、それは知識でしかない。実体験を経て、人生の宝物《知恵》を獲得することができる。
「自分に許可を与える」本書の帯に書いてあったこの言葉が全てを物語る。何か新しいことを始めたい人、今の会社で新しいポジションに挑戦したい人、何らかの向上心を持つ人にとって、本書は《おいしい糧》となるはずだ。ただ、大学を卒業した人たちが本書を読むと、きっとこう口にするだろう。「もっと若い頃にこの本と出合えていればなぁ・・・」

※「出逢えて嬉しかった書籍No.1」をあげるとして、本書は間違いなく3本の指に入ります。日本の大学でもこのような教育をどんどん取り込むべきでしょう(僕の無知で、既に多くの大学が取り込んでいるのかもしれませんが・・・)。選択科目ではなくて、必須科目にしてしまいましょう。もっとも、学生をうまく動機付ける能力が先生方には求められるわけでありまして・・・歳をおぼした教授ではなく、若く感性に優れた講師に期待を抱くばかりです。ただ、イノベーション万歳に対しては、一歩引いた見解も持っておくべきでしょう。解説で三ツ松 新氏はこう述べています。「可能性にかける道もあるが地道に生きていく道もある」。・・・全ての人に《本書のような世界》を押付けるのではなく、積極的に踏み込んでくる人だけを創造的に育て上げればいい。《普通に経済がまわっている今の世界》がしっかりしていないと、新しいことには挑戦できない・・・そんな声が聞こえてきます。・・・僕の空耳かな?

2010年5月4日火曜日

すべてはつながっている

久しぶりに散歩をしてきました。のんびり何の目的も無く・・・ただ、目の前にあるあぜ道を気の向くままに蔦い歩くだけ。両脇に青々と茂る草木、前方には凛と立ち並ぶ林、そして遥か彼方にはずしりとしかし悠然と腰をすえた森。ふと、自分がなぜこの場に立っているのかを忘れてしまいました。一瞬間、自己を忘却する旅・・・この歳になってからこそ味わえる境地でしょうか。すーっと、心が晴れ渡る気分になったのは久しぶりでした。

さて、気分転換のしすぎで、筆を走らすのが億劫になっているえびすが紹介するのはこちら。

商品の詳細

井上雄彦さんといえば、少年ジャンプ連載「スラムダンク」で漫画家としての地位を獲得した人である。現在までの単行本の総発行部数は1億4千万冊、化け物の数字を積み上げている。そして、現在は「バガボンド」と「リアル」を連載していることは、周知の通りであろう。今作品は「バガボンド」のfieldに焦点を当て「井上雄彦その人」を追ったものだ。一話を作りあげるまでに彼が衝突する「壁」とはどういったものなのか。「バガボンド」という作品を作ったことで、井上雄彦の中で何が変わったのか。

「ネームが全てです。それが漫画の骨だから」
ネームは簡単には浮かんでこない。締め切り当日になっても浮かんでこないこともある。普通の人なら「締め切りがあるから妥協するしかない、仕方ない」と考えてしまいかねないが、井上雄彦は違う。
・・・「手に負えないことをやる。中途半端な満足は自分のレベルを落とす」・・・
彼の漫画、いや己に向き合う姿勢は外部から何を言われようと崩れないものだろう。これまでの「バガボンド」を振り返れば、それは容易に想像がつく。

ネームを書き上げるにあたり、井上雄彦にあっては、まず《キャラクター》がある。各々のキャラクターを場面に配置する。すると、それぞれのキャラクターが自然と語り始める。その自然な流れのうちにストーリーが生まれてくる。大切なのはキャラクター。彼が最も苦心し、かつ丁寧に扱っているのは、《ストーリーつくり》ではなくて《キャラクターの命・人生のあり方》だという点が見えてくる。
「ちょうど我々の世界が、人間一人ひとりから成り立っているように、
漫画もキャラクター一人ひとりから成り立っている」
・・・彼の口からポロリとこぼれた声だ。

バガボンドと出逢うことで井上雄彦の人生観は大きく変わったようだ。スラムダンクの《ポジティブ・明るい》世界から一転バガボンドの《ネガティブ・暗い》世界に足を踏み入れることで、彼が獲得したもの、それは「人間の本質について」の一つの答えであった。彼は云う
「根っこまでいけば、みんなつながっているんじゃないかな。
かっこつけているとかそういったところよりも、さらに深いところで。」

バガボンドの中で武蔵が口にする名言を一つ記しておこう。
「出会う人も、父も母も、すべてそのために
出会うのならば、誰も恨まなくていい・・・」
ここでいう《そのため》とは、《体を得る以前までさかのぼったところの自分を知る》ということ。今の人類に必要な《ココロ》が武蔵の言葉に秘められているような気がしてならない。

※今生きている幾多のプロ漫画家の中で、井上雄彦ほどに「人の生」を突き詰めた作品を世に送り出した人を、僕は見たことがないです(過去には、手塚先生がいらっしゃいます)。漫画を一方的に非難する(学力の低下にかまけて)方も、バガボンドを読んでいただければ、その素晴らしさに考え方がころりとかわるのではないでしょうか。もっとも、「画による視覚」と「言葉による聴覚」、そして「展開にみいだす想像力」、人間の五感をフルに喚起する作品は、そうそう無いのも事実ではありますが。バガボンドは漫画の枠でくくるべきではないのかもしれません。

2010年5月3日月曜日

幸福の架橋

春の夜長、皆様いかようにお過ごしでしょうか?僕は相も変わらず本ばかり読んでおります。GWほど纏まった休みはなかなか取れませんゆえ、本来は旅に出るのがいいのでしょうけど・・・如何せん、資本が足りない。秋のSWには旅に出られるよう、計画的な資本投下に努めてまいる所存です。
さて、ちょいと興味深い論文を入手いたしましたのでご紹介。


一読されれば大体の内容はつかめるかと思います。簡単なフローを示すとこんな感じでしょうか。

○はじめに 
産業革命以降の資本市場経済の急進
→気候変動・資源枯渇・砂漠化等の問題の顕在化
→成長をドライバーとする経済システム自体に問題があった?

○今後の経済成長の方向性について
グローバル化に伴う貧富の拡大+途上国の経済的発展支援の必要性
→エコを成長チャンスに(オバマ大統領のグリーンニューディール)

○なぜ成長が必要か
生活水準・技術・文化の成長に対する強迫観念の根付き
→物質的な面からの豊かさの追求
→豊かさの《均一分配》では不平が出る
→全体の豊かさそのもの(物質的経済)を成長させればOKという慢心

○従来の経済成長の限界
人間社会の都合だけで経済成長を追及
→生態系の疲弊、気候変動による途上国の被害
→工業的成長がもたらした環境問題と途上国の貧困問題の相関

○幸福と経済成長
先進国の欲望
→最低生活水準を大幅に上回るレベルの消費財の普及
→モノではなくココロを満たしてくれる消費へのシフト

○幸福の経済社会指標
従来はGDPにより算出
→必ずしもGDPと幸福度は正の比例関係にあるわけではない
→新しい指標の導入の必要性

○持続可能な新しい経済システム
無限の物質的経済成長は物理的に不可能
→意識の改革:利他的行為も個人の効用に繋がる発想の転換
→企業におけるCSR重視及び私的・公的利益のハイブリット型経済

一つ一つの章がわかりやすくまとめられており、大変読みやすくなっています。

※一歩踏み込んで、近代の経済発展の流れを理解するにはアリギの「長い20世紀」とアタリの「21世紀の歴史」が参考になるかと思います。

2010年5月2日日曜日

Strategy and Narrative

郊外に住んでいる今、車の必要性をつとに感じております。が、当方は車に対する興味が全く無いわけでありまして・・・。エンジンが6列気筒だ、6速マニュアルだ、うんぬんかんぬんは正直どうでも言い訳でありまして。カレラ911のボディ(あのおしりが最高)にベンツSクラスの乗り心地(ゆれない、ぶれない)、そしてプリウス並みの燃費(目指せ40km/ℓ)・・・これくらい魅力的な車がきっと発売されるだろうことを願って、それまでは車を所有せず、貯蓄することに決めております。もっとも、10年たっても現れないような気がしますけど。

さて、自動車業界と密接な関係にある会社で働き、上司から「車買わないの?」という一種のパワハラをうけているえびすが紹介する本はこちら。

商品の詳細

本書は、以前に紹介した「コンテキスト思考」の「連関にあるストーリー」を読み取る能力を、もう少し幅広く経営全般にまで拡張して論じている。根幹にある哲学は、「面白いストーリーこそ、皆(スタッフおよびお客さん)が聞きたがるし、自分の強み(自社の強み)になる」ということだ。

巷にあふれる経営を語った多くの本に記載されている「テンプレート」、これを利用し、企業の利益・経営体制が大きく改善されたという話は、正直聞いたこがない。テンプレートの活用は、経営において重要な《要素》を明確にできるだろう。しかし、企業は個々の要素が独立して成り立っているわけではなく、それぞれの要素が相互に連関しあいながら成り立っている。

コンサルタントなどは、こぞってこのテンプレートを用いたがる。なぜなら、彼らにとって《確固とした成功戦略》が飯の種であり、顧客に対してプレゼンスもしやすいからだ。Strategic Position(SP)に偏った戦略にコンサルタントは走りやすい。しかし、SPを重視した戦略は型にはまっているがゆえ模倣されやすく、一過性の競争優位しかもたらしえないかもしれない。

Q.ではどうすれば競争優位を保てるのか?
A.《戦略のストーリー性》に秘訣あり。

本書で挙げられているスターバックス(スタバ)はとても参考になる例だ(09年度上期は苦戦したものの、下期では大幅に利益が改善)。スタバが消費者に提供しているものは何か。ドトール等と何が違うのか。突き詰めていくと、スタバが描く《空間提供のストーリー》が現れてくる。従来の飲食関連のお店だと、利益を上げるために回転率を上げることに必死になっていたが、スタバはあえて《のんびり》と過ごしてもらうことをコンセプトに据えている。この《のんびりできる空間》があって、高めの値段設定が可能となっているのだろう。何かを犠牲にする代わりに、価値ある何かを提供する。”スタバが描いたストーリー=のんびり空間の提供”は見事に消費者の心をとらえた。新しいビジネスのStrong Point=従来の思考の延長線からは生まれないCreationを著者はキラーパスとよんでいる。

キラーパスを戦略ストーリーに埋め込むには、日常の小さな「なぜ」に対していつも考える癖をつけておくことだ。しばしば、ふとした時に全く無関係な方向から解決策は舞い降りてくるもの。固定観念に縛られること無く、柔軟な思考を心がけることが大切だ。

※最後に記載されていた「戦略ストーリーにとって切実なものは何か。煎じ詰めれば、それは自分以外の誰かのためになるということ。自分だけのためでは、スタートダッシュはきくが、長続きしない」という言葉が印象に残っています。本書に記載されている《戦略ストーリーの重要性》は何も「株式会社」に限ることは無いでしょう。NPOにあっても《最低限の利益を確保する》という点で、戦略(事業)ストーリーの重要性は無視できません。今後なんらかの事業をはじめようと考えている方にとって、本書は大変参考になると思います。是非購読あれ!