さて、気分転換のしすぎで、筆を走らすのが億劫になっているえびすが紹介するのはこちら。

井上雄彦さんといえば、少年ジャンプ連載「スラムダンク」で漫画家としての地位を獲得した人である。現在までの単行本の総発行部数は1億4千万冊、化け物の数字を積み上げている。そして、現在は「バガボンド」と「リアル」を連載していることは、周知の通りであろう。今作品は「バガボンド」のfieldに焦点を当て「井上雄彦その人」を追ったものだ。一話を作りあげるまでに彼が衝突する「壁」とはどういったものなのか。「バガボンド」という作品を作ったことで、井上雄彦の中で何が変わったのか。
「ネームが全てです。それが漫画の骨だから」
ネームは簡単には浮かんでこない。締め切り当日になっても浮かんでこないこともある。普通の人なら「締め切りがあるから妥協するしかない、仕方ない」と考えてしまいかねないが、井上雄彦は違う。
・・・「手に負えないことをやる。中途半端な満足は自分のレベルを落とす」・・・ネームを書き上げるにあたり、井上雄彦にあっては、まず《キャラクター》がある。各々のキャラクターを場面に配置する。すると、それぞれのキャラクターが自然と語り始める。その自然な流れのうちにストーリーが生まれてくる。大切なのはキャラクター。彼が最も苦心し、かつ丁寧に扱っているのは、《ストーリーつくり》ではなくて《キャラクターの命・人生のあり方》だという点が見えてくる。
「ちょうど我々の世界が、人間一人ひとりから成り立っているように、
漫画もキャラクター一人ひとりから成り立っている」
・・・彼の口からポロリとこぼれた声だ。
バガボンドと出逢うことで井上雄彦の人生観は大きく変わったようだ。スラムダンクの《ポジティブ・明るい》世界から一転バガボンドの《ネガティブ・暗い》世界に足を踏み入れることで、彼が獲得したもの、それは「人間の本質について」の一つの答えであった。彼は云う
「根っこまでいけば、みんなつながっているんじゃないかな。
かっこつけているとかそういったところよりも、さらに深いところで。」
バガボンドの中で武蔵が口にする名言を一つ記しておこう。
「出会う人も、父も母も、すべてそのために
出会うのならば、誰も恨まなくていい・・・」
ここでいう《そのため》とは、《体を得る以前までさかのぼったところの自分を知る》ということ。今の人類に必要な《ココロ》が武蔵の言葉に秘められているような気がしてならない。出会うのならば、誰も恨まなくていい・・・」
※今生きている幾多のプロ漫画家の中で、井上雄彦ほどに「人の生」を突き詰めた作品を世に送り出した人を、僕は見たことがないです(過去には、手塚先生がいらっしゃいます)。漫画を一方的に非難する(学力の低下にかまけて)方も、バガボンドを読んでいただければ、その素晴らしさに考え方がころりとかわるのではないでしょうか。もっとも、「画による視覚」と「言葉による聴覚」、そして「展開にみいだす想像力」、人間の五感をフルに喚起する作品は、そうそう無いのも事実ではありますが。バガボンドは漫画の枠でくくるべきではないのかもしれません。