2010年5月22日土曜日

Inspiring new's in my memory.

皐月も半ば。今日の東京は少し蒸かえっていました。夏が近いですねー・・・思えばこのブログを初めてはや5ヶ月弱経過しているんですね。時がたつのは早い・・・皆様、有意義な時間の過ごし方をされていますでしょうか?えびすはあいかわらずのぐーたら生活を送っております・・・染み付いた生活習慣はなかなか直せない・・・困った困った(毎度のことながら口だけ・根無しなえびすですいません)。

さて、今日はかねてより訪れたかった三菱一号館美術館へ行ってまいりました。この4月初旬にオープンした当館のオープニング展示は・・・「Manet et le Paris moderne」。オープニング展示は、結構重要な位置づけにあるものでありますが・・・ここ数年の美術館のオープニング展示を振りかえっても、一人の作家を深く取り上げることはなかったように思います。森美術ではHappiness展(若冲、モネ等古典作品からボイス、ルイーズ等現代アートまで、幅広い時代・分野をカバーした展示)、国立新美術館では20世紀美術探検(20世紀のアート界の変遷を、セザンヌ、デュシャン、ウォーホルらの作品を軸として紹介・展示)と、比較的多くの人がとっつきやすい(本当の意味ではとっつきにくいのですが)展示を持ってくるのが一般的なのかなぁと思います。で、カタログによると、「館長がマネが好きであること、新しい都市の美術館としての位置付け」を考えたときに、19世紀後半の美術世界に新しい風を吹き込んだ画家マネこそオープニング展示にふさわしいとお考えになったのでありましょうか。初めにマネと聞いたときには・・・「なんで?」と想ったのは事実でありますが、館長の考えに耳を傾けると「なるほど」と納得する節がたくさん見えてまいりました(これについては後段にて)。さて、展示の内容を少し紹介いたします。かなり私見も入っていますので、あしからず・・・。

いわずも知れた芸術の父エドヴァール・マネの《個人的な趣味》、《家族と友人達》、《パリ・パリ郊外の生活》を背景として、80点あまりの作品を展示。既に見たことがある作品が多いのも事実・・・だけど、新たな出会いも沢山ありました。とりわけ、リトグラフ・エッチング作品に出会えたことは、とても嬉しかったです。完成形ではない下書き(リトグラフが完成形とも考えられますが・・・)には、完成形ではないからこそ滲み出てくる「人間くささ」を感じ取ることができるように思います。また、同じ作品でも、一度目に鑑賞した時に抱いた解釈・心情と、ニ度めのそれでは大きく異なることが多々あります。今回もオルセー美術館所蔵「スミレの花束をつけたベルト・モリゾ」と再対話することで、新たなストーリーがほわほわと湧き上がってきました。「ねぇ、マネさん、私が今でもあなたのことを愛しているのはおわかりになって?・・・何で弟さんと結婚したかわかる?・・・そうしないと、《お互いの作品にあらぬ噂》が立っちゃうでしょ。だから・・傍にはいたいから・・・あなたの弟さんに寄り添ったの。」・・・勝手に妄想が膨らんでしまうのが僕の悪い癖であります。

さて、本展覧会におけるえびすthe bestについて紹介いたします。the bestといいながら2点あるんですけどね。一点目が「横たわるベルトモリゾの肖像」。「すみれ~」よりも、こちらの作品のほうが、作品の完成度が高いように感じます。背景・構図・色使い・・・いうことなし。胸元の花のブローチ(おそらくブローチのはず)の緑色がもたらす効果は絶大。背景の赤茶と、黒い衣装のモリゾとのコントラストの素晴らしさにはため息が出ちゃいます。二点目が「プルチネッラ」。本展において、「マネの意外性・新しい一面」という色眼鏡をかけたとき、この作品は群を抜いております。カラーリトグラフの作品ながら圧倒的な存在感を感じとれ(あくまで僕の主観ですが)、風刺の効いたコミカルな画法、色使いの超一流性にマネの《絵を描く能力の深淵さ》を実感できる大変勉強になった作品であります。

「横たわるベルト・モリゾの肖像」

ちなみに、展覧会場には、要所ごとに休憩スペース・リフレッシュスペースが設けられており、気疲れすることなく作品を楽しむことができると思います。施設としての三菱一号館美術館を楽しむのもお忘れなく。

※実は、今の現実社会でもマネのような人物が出てくるのが期待されているように思います。何も、芸術の分野に限る話ではなく、広く社会全体においてです。マネが起こしたような「新しい風」は、最初は多くの人間に忌避されるものであります。しかし、その風が纏う「信念・方向性」がしっかりしていると、自然と賛同者が増え、やがて大きな風へと成長していくものです(そうあって欲しいです。)。もっとも、各々の時代の社会背景・政治・経済情勢にも左右されることは間違いありませんが・・・折りしも、19世紀後半のパリは街として疲弊しきっていました。疲弊の仕方・程度に違いはあれど、今の日本社会も19世紀のパリと似た状況にあるのではないかなと感じる次第であります。あ、ちなみに、「フォり=ベルベージュのバー」は本展では展示されておりません(習作はあります)。あと、アカデミズム派カバネルの作品を並べて展示して欲しかった・・・もっとも、一年ほど前に《アカデミズム or 印象派》なる展示があったので避けたのかもしれません・・・。