2010年6月27日日曜日

琴線に触れる

沖縄は梅雨明けしたみたいですが、本州はこれからが本番。大体夏至を過ぎた辺りから蒸し暑さが本格化してくるように思います。粘りつく湿気ほど煩わしいものはありません・・・人との関係もまたしかり。からっとした関係を長く続けられる、困った時は力になってくれる、そんな仲間に恵まれると人生の展望がぐっと明るくなるような気がします。Thank you my all friends for giving me a lot of helps in many terms!

さて、素晴らしい仲間に恵まれておりながら、自身はなかなか素晴らしい人間になれないことに葛藤しているえびすが紹介する本はこちら。

商品の詳細

以前に紹介した「Drive」、その内容をマーケティングに適応させたものと考えていただけるとよい。DriveのBody wordであるMotivationをそのままMarketingに変え、従業員や生徒の動機付けではなく市場の変化・利益創出にターゲットを置いたのが本書である。

題名にMarketing 3.0(以下M3)とあるように、Marketingも進化を遂げてきた。Marketing 1.0(M1)はproduct-centric(製品主体)、Marketing 2.0(M2)はconsumer-centric(消費者主体)、そしてM3はhuman-centric(人間主体)に戦略の核を置いている。M2とM3は区別が付きにくいかもしれない。簡潔に説明すると、「皆が買うから私も買う」「あの女優がでている香水、いいよ~」「期間限定だって!早く買わないと!」といった消費者心理を上手くマーケティング戦略に組み込んだのがM2であり、M3は「このツールを使えば、もっと多くの人と繋がれるのかぁ」「へぇーこの商品を使えば、心が安らぐのかぁ」といったより人間の本質に直結したニーズに合わせて戦略を組み立てていく。

モノ自体がまだそれほどたくさん生み出されていない時代(産業革命直後から第二次世界大戦後辺りまで)は、M1にあるような「モノを所有するための消費」に重点が置かれ、時の経過とともに同じ部類のモノに「格差」をつけてM2にみられる「モノを比較するための消費」に市場のinitiativeが移行し(戦後からソ連解体辺りまで)、モノが溢れかえった現在にあっては、M3すなわち「自分自身の心を満足するための消費」の市場が成長しつつある。

人々は以前にもまして周囲の人々(勿論、インターネットを介した人も含む)に知的関心を抱き、社会に還元しようという気運が高まっている。裏を返せば、個人で成せること・生きていくことの寂しさ・限界・無意味さに多くの人が直面しているとも捉えられる。人々が求めているもの、それは「Link=絆」だ。「絆」を考える上で重要となってくる要素、それはShared valueとCommon Behaviorだ。価値観を共有すること、共通の何かを見出すこと、この二つの要素が「絆」の核すなわちM3の土台を構成している。

「利害」関係にある人をまとめて「stake holder=ステークホルダー」とよぶ。M2までは、市場で商品が売れるにあたって、自身の「利」と他者の「害」が生み出されてきた。それらは物質的な形を伴って現れたり、精神的な面に現れたりしてきた。しかし、M3にあってはおよそ「害」は限りなく小さくなっていくだろう。

今、我々はより「人間的な(As human being)」進化を遂げ始めているのかもしれない・・・「動物的な・排他的な利益追求」から、共同体・国家・人類の枠を超えた「地球規模の利益追求」へだ。

※ふむ、Driveと合わせて読まれると相乗効果があると思われます。両書に一意するのは、人々の関心・目標が相対的満足から絶対的満足へと移行しつつあるということ。他者あっての自己であること、そこへ帰還する傾向が多くの人の心に芽生え始めているということ・・・なんか哲学チックですいません。ちなみに、哲学の書籍の中には「心の琴線」に触れるフレーズがたくさんありますので是非あさってみてくださいませ。様々な場面で役立つこと間違いありません。

2010年6月26日土曜日

ノマドと都市

iPadとネットブック両方を使って色々な情報を収集・整理・まとめること・・・このスタイルは結構使えます。タッチパネルで感覚的にかつ効率よく情報を集め、ネットブックでマルチタスクをとりながら整理し、まとめるという作業は思っていた以上に高効率です。これこそ僕が求めていたノマドスタイル!な気がします。まだ進化するかもしれませんけどね。
また、アプリケーションでiPadにネットブックのディスプレイを連動させることも可能です(使い勝手はイマイチらしいですが)。購入後に様々な機能を簡単に・感覚的に拡張できるプラットフォームを築いたApple・・・既存技術を上手く利用するという点では、日本の名だたる企業を頭二つ分くらい飛び越しちゃっていますね。もっとも、昔は日本のほうがその面は得意だったはずなのですけど。

さて、iPadの有効な活用方法にすっかり興奮してしまい、無意味なネットサーフィンに陥り、もったいない時間の過ごし方をしているえびすが紹介する本はこちら。

商品の詳細

「六本木ヒルズ」・・・複合施設という敷居を飛び越え、一つの「街」空間を作り上げた日本でも稀有な場所。文化施設、スーパーマーケット、公園、カフェ・レストランetc...およそ我々が生活を送る上で+αとして望むであろうもの(友人とのおしゃべりの場、一人になれる空間、カルチャースクールetc.)は、ほぼすべてこの街中に備わっている。

本書でとりわけ私の興味をひきつけたのは、著者の都市にかける熱い思いとアークヒルズ・六本木ヒルズを着工にこぎつけるまでになされた住民との長く厳しい「対話」だ。

著者が思い描く理想の都市(都市という括りよりは生活空間といったほうが適しているだろう)のモデルは、ル・コルビュジエの「垂直都市」にあるようだ。垂直型の生活空間がもたらす利得は計り知れないものがある。都心にマンションがなかったらどうなるかを想像していただければよくわかるだろう・・・都市に仕事場がある人たちは居住空間を構えるために一軒家を借りなければならない。しかし、東京で働く人々をカバーするにあたり、一軒家の供給量は需要量を遥かに下回る。そうすると、一軒家の家賃は高くなり、人々は都市からはなれ、郊外から通勤せざるを得なくなる。それにともない、家族との共有時間が減少し、通勤で疲れ果て、すさんだ人生をおくることとなりかねない。では、一軒家ではなく垂直型の都市空間をつくり上げるとどうなるだろうか。居住・オフィスの供給量が増えることにより賃料が下落し、より生活空間を都市の内に築きやすくなる。高い賃料に怯えることなく、安定した生活を送ることで、心・身体のゆとりがあらわれ、人と人の関係もよりよいものになっていく。そして、人と人との関係が深まることで、従来とは異なる「より住みやすい空間」が築かれていくことだろう。

再開発をするにあたり、国の法律ではある一定以上の人数の地域賛同者を集めれば、残りの人は強制退去させることができる。しかし、著者は強制退去による街づくりには断固として反対の立場をとる。あくまでも、全てのステークホルダーが納得した上で再開発をすること、そうでなければ「良い街」など創れるはずがない。著者の強い信念は、そのままヒルズができるまでの歴史を辿ることで用意に汲み取ることができよう。10年以上も断固とした信念を持ち続けられるその精神力には感嘆するばかりである。

※そういえばオープニングの時に展望台の一つ上の階で、六本木ヒルズができるまでの簡単な歴史を紹介していました。一番時間がかかるのはビルを建てることだろうと思っていた当時の僕にとって、そこに記載されていた再開発の経緯はとても新鮮でした。苦節16年の結晶の賜物であるから!という単純な理由ではなく、その16年のうち8割近くを住民との対話に費やしてきたことに感銘を受けたのであります。強い信念を持つことの大切さを学ばせていただいたことに感謝です。

2010年6月22日火曜日

思考の嗜好

先週の土曜日に久しぶりに六本木でオールナイトを遂行。簡単なスケジュールを紹介・・・

8:00-我が家出発。いざ東京へ。 
10:45-アークヒルズ到着。スタバでのんびり情報収集♪ 
12:00-友人とアークヒルズにて落ち合い、近況報告&足を運んだ展覧会・映画や本について色々とお話。 
15:30-NPOの検討会会場(大井町)へ。会場へ向かう途中で購入した参加者40人分のお菓子・飲み物が肩に重くのしかかる・・・。 
16:30-無事到着。汗だく。ごたごたしながら検討会スタート。 
21:00-終了。ワールドカップ日本戦にも関わらず、多数の参加者が集まってくれました。感謝感謝。
21:30-検討会の振り返りを兼ねたお食事会。皆様お疲れ様でした。 
23:45-山手線にて恵比寿に到着。日比谷線の最終電車にて六本木ヒルズへ。 
24:00-スタバに到着。一日のまとめと資料整理。最近MckのQuarterlyが面白い。 
2:30-映画館へ向かう。『告白』を観たかったが、上手く時間が合わず・・・『ザ・ウォーカー』を観ることに。 
4:30-映画終了。映画館正面のテラス席にて早速内容を振りかえりつつ、分析開始・・・眠気と頭の重たさとの格闘・・・なんとか勝利。 
6:30-ベンチでしばし仮眠・・・のつもりが、蚊に刺されて寝られず・・・無念・・・仕方なく読書で時間をつぶす。 
7:30-スタバに戻る。明け方のコーヒーは不思議と上手しい♪雑誌を大量に机に積み上げ情報収集。iPadに気になる言葉・データを落とし込む。 
10:30-新宿へ向かう。ヨドバシにてiPadケースを購入。ようやく、最高のノマドスタイルを手に入れることができました。
12:00-友人とお話。我が企画書について色々とご指摘を頂く。Uさん、親身になっていただきありがとうございます。 
13:30-新宿出発。いざ帰らん。
16:00-無事帰宅。はぁー疲れた。

うーん、さすがに疲れましたね。次はちゃんとホテルを取ろうと反省いたしました(笑)。

さて、体はぼろぼろになりましたが、心の英気を養うことができたことに感謝感謝の思いをつのらせるえびすが紹介する映画はこちら。

ザ・ウォーカー

荒れた大地のもとで荒んだ生活を送る人々・・・本作が描く近未来は鬱屈感・寂寥感に満ちた世界だ。作品の中に生きる人たちは、モノと引き換えに生命の源である『水』を手にする生活を送っている。モノがなければ命が絶たれる・・・裏を返すと、生きていくために人間が必要とするのは『モノ』である・・・
苦肉にも我々の世界では、モノの価値はとても低く見積もられているようだが。

モノの過剰創出、過剰消費は我々人類に手痛いしっぺ返しを食らわせたのだろう。モノで世界を、宇宙を制覇しようと試みた人間たちは、ちょうど古代人がバベルの塔を立て神の世界に近づこうとした姿と重なる。過ぎたるは及ばざる・・・ではなく、「過ぎたるは滅びの理」であろう。

数あるモノのなかで、「一冊の本」に重要な意味を付しているのは興味深い。そして、その一冊が「聖書」であることは一層の興味をひきつける。なぜなら、聖書は世界で最も読まれている書籍であるからだ。それはつまり、世の中にあふれかえっているはずの書籍=価値の低いモノとして位置づけることができる。しかし、この聖書に対し、本作は物凄く大きな価値を付している。それはどういうことか?

大量にあったはずのものが全てなくなってしまった・・・つまり、我々がなくならないだろうと安心しているモノも、突如として消失してしまう危惧があることを暗に示している。おうおうにして、我々人間が当然のごとくに受けている恩恵の価値を実感するのは、当のそれが無くなった時に始めて監督するものである。まだまだたくさんあるから大丈夫だろう・・・本作にある「聖書の消失」は人間の無責任なエゴに対する警告とも受け取れよう。

※まだまだ分析の余地はあるのですが・・・さすがに長くなってしまうのでここでとめておきます。さて、世間では電子書籍がどうのこうのと騒がれている時代です。そこで、この「電子書籍」と本作の「本(聖書)」の位置づけを考えてみると、かなり面白い関係が見えてきました。「モノとしての書籍と、情報としての電子書籍と・・・双方向的な『功罪の関係』が隠されている」といったところでしょうか。モノを大切にする心と、モノを所持することの難しさ・・・まぁ勝手な思い込みですけど。ある一面が新たな一面を呼び起こす、その繰り返し・・・終わりなく考えることができ、頭の体操にもってこいな作品だと思います。ルーチンな仕事に追われ、頭をほぐしたいと考えている人は是非♪
あと、風景・舞台が写実的に素晴らしい。写真集として出して欲しい、出しても遜色ないカットがたくさんありました。写真好きには大変勉強になるかと思います。

2010年6月19日土曜日

hommagueとobject

タイトルについて考えてみました。8月の頭にグループで写真展を開催する予定で、どんな展示構成にしようかなと頭を唸らせているところです。昨年は「imague et hommague」というタイトルでフランスに一人旅したときに撮った写真を展示しました。タイトルを日本語に訳すと「像と敬意」・・・カメラに記録された、一瞬一瞬の像は、僕の心に「何か」を刻みます。それは心地良いものであったり、辛いものであったりと様々。だけど、刻み込まれた記録が今の僕を僕たらしめているのは確かなことです。その事実と向き合ったときに自然と沸いてきた言葉、それが「敬意」でした。一般論で考えれば、敬意をあらわす対象は人でありましょう。しかし、なにも対象を人だけに限定することはありません。モノにだって敬意を表すことはあるでしょう。長年愛着深く使用しているペンやお茶碗などに、敬意を表す人はきっといるはずです。そして、僕の場合にはその対象が写真でした。写真の中に移っている人ではなく、その瞬間をとどめてくれた写真それ自体に敬意を表すこと、それが「imague et hommague」の起源であります・・・

さて、若いうちにやりたいこと全部をやってしまいたいと、2兎どころか4兎,5兎も追いつつ、結局一つも達成できていない日々に葛藤し、こんちくしょーとうなっているえびすが紹介するのはこちら。

商品の詳細

本書のタイトルから推察するに、書かれている内容を推察することは難しい・・・何せ本書がビジネス書に分類されているからだ。ビジネスというフィールドに立って、ルパン三世のポジションを考えたとき、彼に何を見出せるだろうか。ルパンのほかにも、ガンダムやロッキーといった個性的なキャラクターを素材として、消費者がサービス・製品に「求める」資質は何か?をラジカルかつ論理立てて紹紐解いていく。

休日に本屋で面白そうな書籍を物色していると、しばしば「勝てるマーケティング!」などといった書籍が平積みにされているのを目にする。その書籍を手に取り、パラパラと読んで私はこうつぶやくことが多い・・・「詐欺だろ、これ」

ビジネス書に記載されている多くの事項は、「標準化可能なツールとテクニック」である。例えば『お客さんとダイレクトに繋がることで、企業ブランド・顧客満足度が上がり、売り上げupも期待できます』・・・そらそうだろうけど、皆が右にならえで同じ戦略をしちゃったら、結局は自社の「強み」を築くどころか「果てしない競争」に陥るだけだろう。では、自社の展開を大きく広げるにはどうすればいい?ツールとテクニックに頼るべきではないのか?そうではない。ツールとテクニックはとても大切なことに違いない。問題は「標準化」にある。

誰でもできるようなことをわかりやすく書き、多くの人に勧め、『ここに書かれている事項を実践すれば成績は上がりますよ~』という甘い言葉をはく。そして多くの人がこれに追随する・・・『誰でもできる』ことなだけにたちが悪い。本当にすべきなのは、『誰にもまね出来ない強み』を築くことである。この文言もビジネス書に良く記載されている文言であるので、お気付きのかたは多いことだろう。しかし、時間・仕事に追われるビジネスマンの多くは『手っ取り早いもの』に走る傾向がある。誰にもまね出来ない強みを築くにはかなりの努力と時間が要されるゆえ踏み込めないでいる。

さて、本書ではその『誰にもまね出来ない強み』を築く方法として、『言葉』に着目する。心の琴線に触れる『言葉』こそ、お客さんの心をつかむ最大の秘訣。それができれば、一昼夜にしてブランディングは成功を収めるだろうと著者は言う。ただし、これは「言葉を紡ぐ能力」が十分に備わっていることを前提してのことだ。それなりに積み上げたものがなければ、お客さんをぐっと惹き付ける言葉など紡げるはずもないだろう。

※芸大の学生たちを、グラフィックやイラストといった専門分野ではなく、マーケットの土俵に引っ張り出してくると、結構面白い戦略を築けるのではないかなと思います。何せ、発想力には長けた人たちばかりですから。アートとビジネスを上手く架橋するようなポジションの人財が求められるようになるのではないかと思います。その点を鑑みるに、IDEOに属する人たちは凄い集団であります・・・いろいろな意味で。

2010年6月13日日曜日

旅立ち、帰還、そして未来へ

研究者から起業家へ。いよいよ私も自身の思い描くVisionを実現するべく、企業を脱し、新たな道へと進んでまいります。いやはや、理系の道は楽しかった(勿論、いろいろな苦労がありました。だからこそ楽しかったのであります)・・・だけど、新たな道はもっと楽しいに違いありません(こちらも、たくさんの苦労があることでしょう。でも、難しいことだからこそ、やりがいがある・挑戦したくなるものです)。

さて、研究者生活に別れを告げる決意を固めたえびすが紹介するブログはこちら。


エンジニアが自分で作り上げた「works」にささげる愛情は、並々ならないものがある。作り上げるものはあくまでも「モノ」ではあるが、まるで「我が子」のように愛でるものだ。とりわけ、苦労が大きいほど、愛情は深くなる。

さて、愛情をこめて作り上げたわが子もいよいよ旅立ちのときが来た。ここでいう旅立ちは、人間で言うところの成人式(人によっては入社式だったり、卒業式だったりする)に相当するだろう。この日まで、親はわが子が社会で挫かないよう、立派にやっていけるよう愛情をこめて育ててきたに違いない。そして、期待と不安を持って我が子を送り出すのだ。傍からこそ離れてしまうが、親は子を見守り続けるものである。その命が続く限り・・・

子の成長は何も子のうちで終わるわけではなく、親の成長にも深く関わってくるものだ。親がそれを実感するのは難しいことかもしれない。しかし、子からみると、「子を通しての親の成長」は一目瞭然であったりする。自身の成長は計るのが難しいが、近しいものからみればそれは明確に現れているものである。それは何も大人に限ることではなく、子も同じように親の成長を感じ取っている。ただ口にしないだけ・・・なぜなら、照れくさいし、気取って見られるかもしれないからだ。子の成長は親の成長と密接な関係を持っている。

はやぶさもエンジニアとの間で人間で言うところの親子関係があったに違いない。宇宙へと旅立ち、遠く離れた所から見守ってくれていたエンジニア達・・・はやぶさは宇宙滞在を経てエンジニア達の成長に気付いていただろうし、そしてはやぶさ自身も宇宙の謎・開発に繋がる貴重な情報をたくさん吸収し、大きく成長したことだろう。今回の期間を経て、エンジニア達は成長したはやぶさと接することで、更に大きく成長するに違いない・・・はやぶさの役目はまだ終わっていない。エンジニアの命が続く限りは。

※うーん、なんちゅー感動的な実話なんでしょうか。長年かけて築き上げた努力の結晶が役目を終えて帰ってくる・・・そして、次の時代への架橋となる。今回のはやぶさ帰還を契機に、親子のありかたについて考えることができるとは思いもしませんでした。はやぶさ、貴重な思考のきっかけをありがとう。そしてお疲れ様。

2010年6月12日土曜日

僕といっしょにDriveしませんか?

iPhone4がもうすぐ発売されますね。機能的にはマルチタスク以外iPhone3GSとそれほど変わらないようです。スペックは若干upした模様で、500万画素のカメラがどれくらい使えるかは興味深いところ。たぶん、iPhone4で写真を撮って、ネット上にストレージして、iPadで編集して、ネットに配信♪みたいなステップで使えそう。さすがにiPhoneの小さなスクリーンでは、纏まった文章はかけないです。

これまでiPod touch(初期の一番古いやつ)で頑張ってまいりましたが、いよいよiPhoneへ乗り換えようと思います!・・・なーんてのは半分冗談なわけで。僕としては次期iPod touchの発売を待つばかりです。なぜiPod touchなのか?電池の問題、契約プランの問題を考えれば、妥当かと(笑)。パケットなんかくっついてくるから、高くなる・・・端末価格込みで2000円/月のプランを作ってもらわないと、食指が沸かないですね。複数の筐体をネットに繋げることができるmobileルーターもかなり充実してきましたし・・・ますますWiFiで十分ではないかなという状況です。まぁ写真・動画が取れないようなら、iPhoneに移行しちゃうかもしれませんけど。

さて、大学時代に謳歌していたノマドな生活に、憧れを抱くだけで満足してしまう妄想野郎えびすが紹介する本はこちら。

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われわれ人間は、なんらかのmotivationをもって日々の生活を送っている。例えば、ご飯を食べるのは生きるというmotivationがあるから、学校でいい成績をとったり、会社で過剰に働くのは、なんらかの報酬をもらうmotivationがあるからそうしている。前者のmotivationをmotivation1.0(M1)、後者をmotivation2.0(M2)と呼ぶこととする。

人類の歴史を振り返ると、その根底にはM1がある。まず生きることが最優先であり、そのために野鹿や猪を狩ったり、魚をしとめたりして日々の時が過ぎ去っていった。そして、狩りをするには集団で行うほうが成功の確率が高く、また、暮らしにおいても集団のほうが外敵から身を守りやすいことに気付き、「皆で集まる生活=村」の素地が出来上がった。

その後、村は様々な形に進化していく。国家や大企業が村にルーツを持つのは言うまでもない。そんな集団の中で人々が生活を送っていると、自然といざこざが出てくるものだ。そこで、統制者の登場である。統制者は集団をまとめるために、「権力」を行使する権利を付与された存在だ。首相や社長、いや他者を制する権利があるものはすべて統制者に当たろう。

文明の発展とともに、集団は細分かされ、様々な統制者が現れることとなった。資本主義社会の企業にあっては、統制者のポジションに着くことで、収入の上昇と部下を従えることができるようになる。一つの「資金報酬」の形がそこに見出せる。多くの人はこの報酬を渇望し、ここにM2が現れることとなった。

企業はパフォーマンスをあげるため、様々な方法でM2をあげようとしてきた。そして多くの人も、資金報酬目指してM2を高く維持してきた。とりわけ、日本経済の戦後50年ほどの期間は、M2のおかげで高度な発展を達成したとも考えられる(勿論、勤勉さもあった)。しかし、昨今は少し事情が異なるようだ。今までM2は企業のパフォーマンスをあげるのに上手く機能するものと考えられてきたが、どうもそうではないことが最近の社会調査でわかってきた。昔から上手く機能していなかったのかは定かではないが、ここ2、3年の経済社会に当てはまることは間違いない。

著者によると、単純に企業が「資金・地位本位の報酬」を設け、それに突進するよう従業員に強いることは、短期のmotivationをあげるには有効だが、長期のmotivationを維持するには有害となる。パフォーマンスもこれに準じ低下する。一見、報酬という「えさ」を見せ付けられることで、我々は積極的に・主体的に仕事に取り組むと考えられる。だが、人間のmotivationの本質をさぐると、どうやら新たな一面が見えてきた。それをmotivation3.0(M3)と呼ぶこととする

M3は成熟した社会で生活を送っている人が抱くmotivationである。その根幹にあるのは「自分の能力を高めたい、よりよい社会を作りたい」というmotivationである。M3においては、資金・地位を獲得することは目的とならず、単に付随してくるもの程度となる。また、M3は教育においても、大きなパフォーマンスを示すものだ。報酬型ではなく、自己実現型の教育を進めることで、創造性豊かな人を育てることができる。

M3は今後、加速的に広まっていくことだろう。そして、個の範囲を超えたmotivation、資本・地位本位ではないmotivationは、人が生きやすく、創造性に富む社会を築く原動力となることだろう・・・私も、今一度、自身のmotivationを再考してみたい。

※自分の天職に出逢うと、安い賃金でも寝る間を惜しんで働く、いや楽しむものです。これもmotivation3.0の一つではないでしょうか?自分の懐を肥やすことが目的ではなく、自分の能力upを目的とするのも立派なM3でありましょう・・・あ、でも能力upが懐を肥やすためにあるのであれば、それはM3ではありません。あくまでも、お金とは距離を置いたところに見出すmotivationをM3と呼びます。なお、本書は教育関係に勤める人には必読の書ではないかと思います。事例をもとにM3の有効性をわかりやすく解説してくれますので、上手く自分なりに落とし込んで実践してみるのもいいことでしょう。

2010年6月11日金曜日

無料と無償

Googleのブログを使っているのですが、最近デザインプレートが増えたみたいです。で、ちょこっと我がブログも模様替えいたしました。いやはや、黒と白のコントラスト、そして背景のpaper・・・かっこいいじゃないですか♪(自己満ですいません・・・)。無料ながら、高いクォリティーを提供してくれるGoogleには頭が下がるばかりであります。さて、どうやってお返しすればいいのやら・・・うん?する必要ない?無料だから?まぁもっともなんですが・・・

人間とは不思議な生き物で、自分にプラスとなるものを無償で与えられると、なぜか自然とそのお返しをしたくなっちゃう。そういえば、田舎で育った子供時代、母親は近所の畑で働く輝かしい「おねぇさん」達に大根やサトイモ、たまねぎをもらっていたのを記憶しています。いわゆる「おすそ分け」です。もっとも、我が家にとっては「余分なすそ」などではなく、大変ありがたい心遣いとして受け止めておりましたけど。で、母親も「もらっちゃうと何かお返ししないと!」という心をもっておりまして、しばしばパウンドケーキなどを「おすそ分け」しておりました。

現代にあっても、「おすそ分け」の文化は失われていない・・・と信じたい(笑)。というのも、あまりに無料サービスの提供になれてしまうと、それを当然のものと捉えてしまうわけでありまして・・・そして、現代は無料のサービスがあふれているわけでありまして・・・。そうなると無償のサービスに対する感謝の気持ちを忘れてしまいかねません。これがある社会の一面によろしくない影響を及ぼしているような気がいたします。例えば、お店でご飯を作ってくれた人への感謝の念を忘れる(お金を払ってるんだからつくって当たり前といった態度)心、たくさん本を買った場合に無料で届けてくれるのがあたりまえ(お金をたくさん落としたんだからそれくらいしてもらうのは普通)と思う心は「傲慢」そのものではないでしょうか?(そう思う僕のほうが傲慢なのかもしれませんけど。)

資本主義の世界では、企業は生き残るために様々な「無料のサービス」を生み出します。あくまで、何らかの見返りを期待してサービスを提供しています。そして、その無料サービスを使い続けている消費者は、時の経過とともに最初は「ありがたい」と思っていたことも、さも「当然」のように捉えてしまうようになります。うむ、人間の習慣とは恐ろしい・・・。

でも本当の恐ろしさは、「無料への慣れ」が、「無償への慣れ」に繋がることなんです。無償がカバーする範囲は、無料のそれよりも広いものです。一般的には、金銭に関わるところでも無料と同じ意味で無償が使われているようですが、人間の心・精神にまでありがたい思いが響くことにこそ、無償という言葉がしっくり当てはまるような気がします。見返りを期待せず、純粋にその人に「してあげたい」という思いと、無償という言葉は、深いつながりを持っています。そして、無償の何かを受けとった人は、同じように無償の何かを提供しようとします。しかし、昨今の無料サービスを背景として、「してもらって当たり前。お返しをする必要が何故あるの?」といった風潮が少しずつ広まっているように感じます。今後、さらなる無料サービスの拡大とともに、上述の風潮は急拡大し、人々の間で「無償」という言葉が失われてしまうのではないでしょうか。そうなると、人間とはなんとも「味気ない生命体」に成り下がってしまうような気がしてなりません。

もっとも、僕が考えるようなことは急進的な例であります。だけど、多くの人が日常の些細なことへの「感謝」の念を忘れているのは間違いないと思います。今ここに生きていること、愚痴を聞いてくれる友人、影で支えてくれている家族・恋人、おいしい牛乳を提供してくれる牛さん、僕のお腹を満たしてくれるお魚くんetc感謝の対象は尽きることがありません。 スケールが大きすぎて「きれいごとほざいてんじゃねぇ!」といわれるかもしれませんが・・・地球上のすべてに感謝の心を今一度あらわしてみませんか?気分爽快、物凄く満たされた気持ちになれます。

※他の一面から捉えると、無料がもたらす恩恵は非常に大きいものであります。例えば、誰しも無料で多くの情報にアクセスできる社会基盤は、皆に等しく情報を与えるという面においては素晴らしいと思います(全ての人をカバーしているわけではないこと、情報過多がもたらす弊害はおいといて)。そのおかげで、情報格差は著しく小さくなったものと考えられます。でも、上に挙げたようなことも起きはじめています。どうにかして、いい方向にもっていきたいものです・・・そうそう、面白法人カヤックが名の通り面白いサービスを提供しているのでご紹介。サンクスボトル

2010年6月7日月曜日

De-sign

鳩山さんの辞任のタイミング、ちょっと理解に苦しむ。なんでやねん、このタイミングでする理由は何やねん。と多くの方が突っ込みを入れたくなるものと思います。あと半年くらいは続けてほしかったなぁ・・・と。第一党として掲げた政策の多くも未だ中途半端な状態です。この状態でリーダーが失脚してしまうと、中途半端であった政策が余計に右往左往してしまったり、しいては白紙化してしまったりしかねません。社会的にいい方向性を持っている政策もその中に含まれることは多々あるのではないでしょうか。リーダーが失脚することの一番の弊害は党の統制力の低下などではなく(もはや日本に党はいらないのではないかと…いろいろ難しいところではありますが。)、国民に直結する良い政策の白紙化ではないかなと思います。うーん、ほんとうにもったいない…。
あと、鳩山さんを攻めすぎるのもいかがなものかと。四六時中メディアに粗を探され、国民から罵倒を浴びせられ続ければ、そら、いくら心の強い方だって身を隠したくなるのも無理は無いでしょう。国のリーダーも一人の人間であることをわすれちゃいけません・・・白州正子の言葉を一つ-暖めれば伸びるし、傷つければしぼむ、人間も植物のようにそれほど強いものではない-お金持ちの坊ちゃんという色眼鏡をかけ続けても、有益なものは何も生まれないことは国民の皆さんも周知のことでしょうに。

さて、理系出身の首相の自主退任に少しがっかりしているえびすが紹介する本はこちら。

商品の詳細


本書の位置づけとしては新書とあるが、著者が語る内容は新書のレベルを超えているだろう。何も内容が難しいから新書のレベルを超えているというわけではない。紹介されている事例とその解説、そして応用の幅が新書のレベルを超えていると切に感じたからである。

企業のプロダクト開発、デザイン会社に勤めている方ならば、IDEOを知らない人はいないだろう。世界最高のデザイン・ファームIDEOで働くことが夢だという人も多数いるに違いない。そんな、世界最高に魅力的で実力のある会社の中では、どのようにして『デザイン』が生み出されているのだろうか。本書はチームがあるデザインを完成させるまでに、どういったステップを踏んでいるのかを懇切丁寧に紹介してくれる。

私の場合、デザインと聞くと「革新的」「斬新」といった《なんかかっこいい》単語が頭をよぎってしまう。SONYのVAIOシリーズやポルシェといった視覚的に素晴らしいと思うプロダクトしかデザイン性に優れているとはいえないだろ・・・この本と出逢うことで、自分のデザインに対する認識の狭さ・浅はかさを痛感するとともに、デザインの本質・位置づけ・応用性を明確に把握することの大切さ・有益さに気づかされた。IDEOの考える《デザインをすること》、それは何もプロダクトの範疇に留まるものでは無い。あらゆる分野に《デザインすること》は潜んでいる。この事実として、デザイン・ファームIDEOの仕事の多くは、プロダクトのデザイン業務以外に、学校や教育施設といった《人間との関わり方が重視される業界》のコンサルタント業務であることをあげておこう。なぜ、デザイン会社が全く違う分野であるコンサルタント業務をすることができうるのか?その秘訣はIDEOのデザイナー達が持つ《デザイン思考》にある。

デザイン思考の根幹にあるものは何か?それは《対象を徹底的に観察すること》である。ステークホルダー(SH)を明確にした上で、各々のSHがどんな場面で、どのような思いを抱き、どのような行動をとるのかを演劇や実経験を通じて把握する。いきなりプロダクトの外見がどうのこうのといった細かい所からはじめるのではなく、根本的な人間の欲求まで掘り下げた位置からデザインを思考する。IDEOのデザイン思考が優れているのは、デザインすることを3次元ではなく4次元(+時間)で考えていることだ。デザインを人間の一連の生活の流れに沿って考て、分析し、新たなデザインを構築すること・・・なるほど、IDEOのデザイン思考はコンサルタント業務の進め方と遜色ないものだ。

デザイン思考はどんな分野にも活かすことができる。製造業であれ、サービス業であれ、農業であれ、忍耐強い観察、時の経過と人間のありようの変化、人間の本質を捉えることはますます重要なものとなっていくだろう。点で終わるイノベーションではなく、線で繋がるイノベーションが要される時代が、今まさに始まろうとしている。

※久しぶりにブログを書くと駄目ですね、筆が進まないこと限りなし・・・。継続してある程度の量はこなしていかないと、スキルアップはおろか現状維持すらままなくなっていまうこと痛感いたしました。はぁ文章を綴るのは難しいなぁ・・・。