Googleのブログを使っているのですが、最近デザインプレートが増えたみたいです。で、ちょこっと我がブログも模様替えいたしました。いやはや、黒と白のコントラスト、そして背景のpaper・・・かっこいいじゃないですか♪(自己満ですいません・・・)。無料ながら、高いクォリティーを提供してくれるGoogleには頭が下がるばかりであります。さて、どうやってお返しすればいいのやら・・・うん?する必要ない?無料だから?まぁもっともなんですが・・・
人間とは不思議な生き物で、自分にプラスとなるものを無償で与えられると、なぜか自然とそのお返しをしたくなっちゃう。そういえば、田舎で育った子供時代、母親は近所の畑で働く輝かしい「おねぇさん」達に大根やサトイモ、たまねぎをもらっていたのを記憶しています。いわゆる「おすそ分け」です。もっとも、我が家にとっては「余分なすそ」などではなく、大変ありがたい心遣いとして受け止めておりましたけど。で、母親も「もらっちゃうと何かお返ししないと!」という心をもっておりまして、しばしばパウンドケーキなどを「おすそ分け」しておりました。
現代にあっても、「おすそ分け」の文化は失われていない・・・と信じたい(笑)。というのも、あまりに無料サービスの提供になれてしまうと、それを当然のものと捉えてしまうわけでありまして・・・そして、現代は無料のサービスがあふれているわけでありまして・・・。そうなると無償のサービスに対する感謝の気持ちを忘れてしまいかねません。これがある社会の一面によろしくない影響を及ぼしているような気がいたします。例えば、お店でご飯を作ってくれた人への感謝の念を忘れる(お金を払ってるんだからつくって当たり前といった態度)心、たくさん本を買った場合に無料で届けてくれるのがあたりまえ(お金をたくさん落としたんだからそれくらいしてもらうのは普通)と思う心は「傲慢」そのものではないでしょうか?(そう思う僕のほうが傲慢なのかもしれませんけど。)
資本主義の世界では、企業は生き残るために様々な「無料のサービス」を生み出します。あくまで、何らかの見返りを期待してサービスを提供しています。そして、その無料サービスを使い続けている消費者は、時の経過とともに最初は「ありがたい」と思っていたことも、さも「当然」のように捉えてしまうようになります。うむ、人間の習慣とは恐ろしい・・・。
でも本当の恐ろしさは、「無料への慣れ」が、「無償への慣れ」に繋がることなんです。無償がカバーする範囲は、無料のそれよりも広いものです。一般的には、金銭に関わるところでも無料と同じ意味で無償が使われているようですが、人間の心・精神にまでありがたい思いが響くことにこそ、無償という言葉がしっくり当てはまるような気がします。見返りを期待せず、純粋にその人に「してあげたい」という思いと、無償という言葉は、深いつながりを持っています。そして、無償の何かを受けとった人は、同じように無償の何かを提供しようとします。しかし、昨今の無料サービスを背景として、「してもらって当たり前。お返しをする必要が何故あるの?」といった風潮が少しずつ広まっているように感じます。今後、さらなる無料サービスの拡大とともに、上述の風潮は急拡大し、人々の間で「無償」という言葉が失われてしまうのではないでしょうか。そうなると、人間とはなんとも「味気ない生命体」に成り下がってしまうような気がしてなりません。
もっとも、僕が考えるようなことは急進的な例であります。だけど、多くの人が日常の些細なことへの「感謝」の念を忘れているのは間違いないと思います。今ここに生きていること、愚痴を聞いてくれる友人、影で支えてくれている家族・恋人、おいしい牛乳を提供してくれる牛さん、僕のお腹を満たしてくれるお魚くんetc感謝の対象は尽きることがありません。 スケールが大きすぎて「きれいごとほざいてんじゃねぇ!」といわれるかもしれませんが・・・地球上のすべてに感謝の心を今一度あらわしてみませんか?気分爽快、物凄く満たされた気持ちになれます。
※他の一面から捉えると、無料がもたらす恩恵は非常に大きいものであります。例えば、誰しも無料で多くの情報にアクセスできる社会基盤は、皆に等しく情報を与えるという面においては素晴らしいと思います(全ての人をカバーしているわけではないこと、情報過多がもたらす弊害はおいといて)。そのおかげで、情報格差は著しく小さくなったものと考えられます。でも、上に挙げたようなことも起きはじめています。どうにかして、いい方向にもっていきたいものです・・・そうそう、面白法人カヤックが名の通り面白いサービスを提供しているのでご紹介。サンクスボトル