さて、今回のCrossover21は「映画を鑑賞」⇒「内容について議論」というプログラムでした。初めての試みであったとのことで、スタッフのかたは大変苦労されたことと思います。感謝感謝。さて、事前に、映画の内容をネットでしらべ、「まぁ、こんな感じの映画かなぁ」と思って映画を鑑賞したのですが、まぁ、「こんな感じ」でした(笑)。
ということで…後の事など考えず、一ヵ月後には居なくなる会社の名詞をバンバン配布してしまったことを少し後悔しているえびすが紹介する映画はこちら。

資本の増強、利益の追求、そのためには手段を選ばない…それが今の資本主義経済社会の主流である。誰かよりも抜きん出るためには、「何かを・誰かを犠牲」にしなければいけない・・・しばしばその対象となるのが「力のない弱者」であることは皆よく理解されていることであると思う。
本作のストーリーでも同じ様な描写がなされている・・・が、映画の紹介サイトでは意図的に詳細なストーリーをに示さないようにしているので、ここでも控えさせていただくことにする。
さて、作品を鑑賞して考えさせられたことを少々綴りたい。
まずは、タイトルの「降りてゆく」の使い方についてである。作品を鑑賞し終え、「降りてゆく」が言わんとするところは、お金へのしがらみをスパッと切り捨て、古き生活に逆戻りすることである…といったところだ。降りてゆくの対極として昇っていくという表現がある。私自身が作品を鑑賞する前に抱いていた考えを述べさせてもらうと、前者は競争社会に嫌気がさして離脱した人たち、後者は周りを差し置いても、自分を高めていく意思のある人たちという感じを抱いた。双方に共通する土台には自己実現がある…矛盾しているように聞こえるかもしれない。しかし、自分が描く「理想像」に向かっているという点を鑑みたとき、両者とも自己実現を土台においているのである。昇ることとは方向性を異にするだけだろう。
作品は「降りてゆくこと」があたかも「人間として素晴らしいこと」であるかのように描かれている。確かに「人間の生命・本質」まで思考をめぐらせると、それは素晴らしいことであるかもしれない。より多くの人にこの映画を見てもらいたいという趣旨をくみ取ると、「降りていった世界」の人口を増やしたいという思いがあるのだろう。しかし、理想と現実は異なるものだ…はたして降りていった世界で本当に現代人が満足できるのだろうか。
どがつくほどの田舎から出てきた私には到底不可能なように思えてならない。一度利便性に優れた世界にどっぷり浸ってしまうと、田舎での生活(ここでの田舎は、近郊にショッピングセンターなどがない田舎を意味する)は、経験する分には楽しめる・・・がその程度で終わる気がしてならない。もっとも、どっぷりと浮世離れした世界に浸かり、人生を楽しんでいる人がいることは事実ではあるのだが…私にとっては大変勉強させられる稀有な方々である。
作品は降りていくと昇っていくの二元論で描かれている(と私は感じた)、この点についても言及したい。幾多の人間の本質の一つでもある「創造性」、「他を思いやる心」を鑑みるに、人間のあるべき姿・進むべき道筋を二元論で片つけて良いものか?本作に描かれている「降りかた」の、急進性・択一性には甚だ疑問が残った次第である。私自身が考える理想的な「降りかた」は、両者のバランスを上手くとりつつ、文明・文化の進歩を「創造的に降りていく」ことである。もっとも、「創造的な降りかた」は本作が描く「降りかた」以上に大きな労を要するのだが。
最後に、心に残った映画の場面を一つだけ紹介しておこう。
五十六が惚れたおかみさんの言葉「もう一度挑戦してみたくなっちゃった(こんな意味合いのセリフ)」…一抹の救いをこの言葉に見出すことができたのは私だけではないだろう。
※お金第一主義の社会に限界が見えつつあるのは確かなこと。最近ご紹介した書籍(PinkのDriveやKotlerのMarketing3.0)でも、モノから心の消費へのシフトが起こり始めている点言及されております。が、皆がそっちに移行してもなんだかなぁ・・・なわけでありまして。なにごともバランスが大切ですね。