2010年7月17日土曜日

Surrounding people...

さて、7月もはや半ば。梅雨明けの恋しさと同時に本格的な夏の到来への嫌気(拙者、夏は苦手でござるよ)とが折り重なって、なんとも言葉では表現しにくい気分に入り浸る今日この頃…ふむ、言葉とは難しいツールであります。言葉以外で思いを相手に伝えらられる(テレパシー)域に達するのは何時になるのでしょうか…確率的に変異として生まれるのか、それとも進化の一過程で身につけるのか。考古学者グールドと進化論者ドーキンスの論争を思い出しました。好敵は厄介であると同時に、自分のレベルアップに繋がりますね。勿論、逆の効果もあるのは否めませんが。

さて、たいそうなことを述べながら、好敵手が現れると一目散に退却してしまうえびすが紹介するののはこちらのコラム。


小田嶋氏は辛口コメントが過ぎると思われるかもしれない。しかし、本質を突いているからこそ辛口だと思うことができるのだ。「厳しいこというなぁ...でも正論なんだよなぁ...」彼の連載を重ね読むごとに、メディア・世間にたいする「なんだかなぁ」な思いは強くなっていく。
小田嶋氏の矛先はしばしばメディアに対して向けられている。一体昨今のお笑いの何が面白いのか。素人を侮辱するような内容、誰かを馬鹿にするような内容を聞いて、本当に面白いと感じているのか。もしも、面白さを感じるようであれば、おそらく君は人間として大切なものを失ってしまったことだろう。もし、面白さを感じないようであれば、君は世間から爪弾きされた存在であるに違いない。

「忠臣」による「権力者」のご機嫌取りとそれに追随せざるを得ない「民」。この図式が、そのままテレビ画面の中に見出すことができる。お笑い番組で例えると、忠臣が若手・中堅芸人(ジュニアや)、権力者が大物芸人(シンスケやヒトシ)、民が聴衆といった感じだろう。たとえ内容が陳腐で、誰かを傷つけるようなものであっても、権力者が笑えば民はそれに追随して笑うしかない。もし笑わなければ、その世界から下ろされてしまう。「面白くないとはわかっているが、笑わなくてはならない」…そこに見出せるのは、現代版スターリニズムである…いや、このイズムはもう少し奥が深い。いうなれば、シニシズム(駄目とわかっているけど、服従せざるを得ない)+α…そう、このαがかなり厄介なイズムなのだ。

αが意味するイズムは「無思慮な同調」である。確かに、周りの人と同調することは「ある一面」ではいいことであるのは間違いない。例えば、色々な意見が出た上で、最善の策を模索する中で、他者の意見の本質まで理解して同調するならば、それは素晴らしいことである。しかし、ただ漠然と、何の考えもなく、「無思慮に」周りの人に同調するようならば、それはとても悲しいことだ。なんせ、人間の特権である「考えること」を放棄してしまっているのだから。
一昔前だが、東京で「皆仲良し、肩を並べて歩んでいけば、きっと未来は素晴らしい世界になるよ♪」といった類の広告に眼を奪われた記憶がある。その当時は、私も読書に目覚めておらず(芸術には目覚めていたが)文章が意味すること以上に、その広告のレイアウト・素材に興味を抱いたのだけだったが…年を重ね、改めてこの言葉について考えてみると、「なるほど、これは一種の洗脳戦略だな」と思い至った。

ここでいう洗脳戦略、それは「一般大衆の考える能力をスポイルする(駄目にする)社会基盤の創生」である。その土台には、監獄とか病院とかで有名なあの「イカしたスキンヘッド」の哲学者が見出した「管理社会」の概念があるのは間違いない。強制的ではなく、半主体的にその道へと歩ませる、心理的な戦略がそこにトレースされているのは間違いない。
その土台の上に、「自分で物事を考える能力をスポイルする」効果を、様々な術を駆使して展開していく。その代表例がメディアというわけだ。およそ、表現の自由が守られている以上、倫理規範に反しない内容ならば、何を放送しても外野(国家)からは制限はかからない。つまり、視聴率を獲得するために、より「マス」が楽しめる番組しか作らないというのがメディアの大前提にある。さて、これを何十年も続けているとどうなるか?マスにあわせるほどに、メディアは視聴者の同意を「無理やり作り出す」ことに腐心していく。お笑い番組などでしばしば入る「笑い声」が典型的な例だ。そこで笑うことを暗に強制している…考える間も与えさせずに。

社会はどこへ向かうのか。楽なほう、楽なほうへ流れること…そのしっぺ返しは間違いなくやってくる。そう遠くないうちに。

※上述の流れに反する動きも少しずつおき始めています。典型的な例がTwitterや個人ブログなど、営利目的ではないSNS由来の情報源にアプローチする人が増えていることです。メディアの見せ掛けの情報・番組に嫌気が差してしまった人がこういった情報源を求めているような気がします。今後、一層多くの人たちがSNSを介しての情報アクセスに移行することでしょう。しかし、小田嶋氏が指摘するように、「特定の人の言葉は全て信じる」ような風潮があるのも否めない事実です。ふむ、結局は国民の一斉Remindしか術はないのかもしれませんね。悲観的な終わり方ですいませぬ。