~東京大学への裏口入学は認めるべきか?:教育・所得格差~
第一部最後の議題は教育格差についてだ。東京大学への入学において、それなりの学力がある+入学に際し巨額の援助を大学側になすという条件をもって、当該生徒の入学許可を与える(俗に言う裏口入学)ことについてどう考えるか。功利主義的観点(最大多数の幸福)から考えると、入学できる生徒、巨額の援助を受ける大学、生徒を東京大学へ入学させることが出来た両親、みんなが幸福になるのでこれに越したことは無い。しかし、平等という観点から考えたとき、上述の生徒と同じ学力をもっていながら東京大学へ入学できなかった生徒は、どう報いるべきか?※ここで、東京大学が国立大学であるという点は一先ず除しておく。
我われはコミュニテイという共同体の中で生活を送っている。そのコミュニティの中では様々な取り決めが存在する。憲法、民法、行政法、自治体法etc様々な法律があることはみなよく知っていることだろう。これらの法律に準拠する、それはコミュニティを存続させていくために必須のことである。しかし、法律の根源にあるのはなんだろう?それはコミュニティに住む人たちの間で取り交わされる「契約を標準化」したものであるはずだ。様々な人たちの条件・境遇・利害そういったものを全て鑑みた上で、個々人官の間で取り交わされる契約、それを万人が「受け入れやすい」カタチにして出来上がったものが法律であろう。
しかし、法律は万能ではない。それは何も過誤があるという意味ではない。法律の受け取り方は個々人の意識の持ち方・生活状況・収入の高低によって様々に変わってくるということだ。例えば、お金を持っていない人が「高所得者の税金を上げろ!」と叫んでいたとしよう。しかし、ひょんなことからビジネスが大成功して巨万の富を手に入れた。彼はいう「なぜ、こんなにも税金を払わなければいけないんだ?」法律に変化は無い、人間にも肉体的な変化は無い。変化が起きたのは人間の内に潜む「思考の道筋」だけである。このような変化は、法律の外、より哲学的な世界でも同じ様に起こりうる。たとえば、最初の議題の「命を守ること」に関しては功利主義を貫く考え方を持っていたとしても、東大入学における裏口入学(功利主義)には賛成できないといった考え方を持つ人は多数いる。
サンデル教授は言う「教育背景・文化背景によって、直面する事象に対し千差万別の考え方がある。とりわけ、国家という枠のコミュニティ間で考え方が大きく異なるのはよく御存知の通りだ。ではそういった人たちの間に共通のJusticeは生まれうるだろうか?」
第一部の終了時点で、多くの聴衆は新たな「気付き」を得ることができたはずだ。Justiceは一つに定まらないという気付きをだ。
20分の休憩を挟み、第二部が始まる。最初の議題は「他人が犯した過ちについて、我われは責任をとるべきか?」というものだ。
~道徳の根源まで降りていく:家族・国家・共同体の忠誠心~
サンデル教授はJustice教本にあるバルジャー兄弟の例を挙げて議題提起する。「教授職にあるバルジャー兄と、人殺しのギャングであるバルジャー弟。FBIはバルジャー弟を逮捕するべく、兄に捜査協力(弟の居場所について)を要請する。しかし、兄は捜査に協力しない意向を示した。かれの行動は道徳的に適切なものであるか?」
まず、なぜ兄が弟の逮捕に捜査協力しないかを考えてみよう。一つ目が、功利主義的な目線だ…「もしも捜査協力し、弟が捕まった通して、自身の身はどうなるだろうか?きっと周囲からは「殺人者の兄貴」というレッテルが貼られるだろう…教授職にも影響しがあるに違いない…ならば弟は捕まらないほうがいいではないか」。二つ目が忠誠という観点からみる例がある…「今の自分があるのは、少なからずとも弟との幼少時代の経験が活きているからだ。もしFBI当局に協力したら、それは弟への反逆にならないだろうか?」
後者の「忠誠」という心情は定義つけるのがとても難しい要素である。家族の中での忠誠、国家の内での忠誠、人類における忠誠…それぞれの忠誠は愛情・対象・状況によって様々に変化しうるものだからだ…「道徳とは人間の対象に対する忠誠心に起源があると考えることができる。しかし、ここまで議論してきたように、忠誠心は人によって様々なカタチをとる」
~過去の過ちに対する謝罪は行う必要があるのか?:コミュニティと道徳~
道徳の中心にある忠誠心、それすらも千差万別であるということを鑑みた上で、道徳についてもう一歩踏み込む議題に移る。サンデル教授から出された議題は「過去の過ちに対し、今生きている人たちはその責任を負う必要があるのか?」だ。日本、アメリカ、アジア諸国をベースに考えると理解しやすい。日本はアジア諸国に対し、二次大戦時の虐殺に対して責任を負うべきであるのか?アメリカは日本へ原子爆弾を落としたことに対してその責任を負うべきであるのか?なるほど、関係性こそ理解しやすいが、議題の内容は非常に難しいものであることが理解できよう。
あまりに難しい問題であるので、私自身の考えを意率直に示すことにしたい。
この問題の論点は二つある。一つ目が、我われ人間が生まれるにあたって「ここの国が良い、この家族が良い」と決めることができない点、二つ目が「被害者の心を収めることが出来るのは、加害者の行為だけである」という点だ。
重要な点は、当該者の道徳的な背景にのっとることで二通りの見方が出来るということだ。一つ目は「そもそも僕は望んでこの家族・国に生まれたわけではなく、偶然を持って生まれただけだからだ。そんな不確定な要素が前提としてあるのに、なぜ他人がしたことに対して責任を負う必要がある?過去の責任は過去の人がとるべきことであり、それに全く直接的な関係性を持たない僕は責任を負う必用など全く無い」といったもの。二つ目が「たとえ過去の過ちであろうと、このコミュニティに生まれたからにはそれを償うのは必然だろう。なぜなら、今僕がここで息することが出来ているのはこのコミュニティがあってこそだから。コミュニティのルーツを辿ると、そこに一人ひとりの人間がいることに気付くだろう。コミュニティは個人あって形成されているものであり、個人の人格・道徳を形成するにあたり、コミュニティがそれに及ぼす影響は大きい。そういったことを鑑みると、コミュニティ内の個人が犯した罪をコミュニティ全体(他の成員)が償うのは系譜としても自然だ。もし、償うことを拒否してしまったら被害者達はどこに怒りをぶつければいいのか?被害者が納得しない限り、加害者は過去の過ちについて謝罪を示す必要があるのは間違いない」。
この議題にも明確な解決方法など無い。しかし、議題はまさに世界が直面している問題と直結している。サンデル教授は言う「ここまで議論してきたこと、それは今、世界のトップが苦心して取組んでいる問題そのものだ。そして問題解決に至ることが出来ないでいることでもある。しかし、重要なのは問題解決にあるのだろうか?いや、そもそも問題を解決することは可能なのか?これまで挙げた議題を振り返っていただければ、世界には解決できない問題がたくさんあることに気付かれるだろう。ただ、それらの問題に対し、自分の考えだけが正しいと言い張るのではなく、異なる考え方をぶつけることで、新たな側面を垣間見ることが出来たはずだ」。
~総括:Justice differs from one people to the other peoples~
今回の講義を通じてサンデル教授が我われに伝えたかったこと、それは「難しいことに対し、答えを導けなくとも(そもそも導ける問題はほとんど残っていない)、誰かと共に対話をすることは可能なはずだ。そして、対話をすることで様々な社会背景・文化背景をもつ人たちの間で考え方が全く違うことに気付くことが出来るはずである。世界には解けない問題がたくさんある。それらについて、対話を重ねることで、互いの状況・環境・文化を理解することが出来るはずだ。対話にこそ未来の人類共存の鍵がある」ということだ。※いやはや、なんとも感銘深い講義でありました。まなこでサンデル教授の「Yes(指差し)」を体験できたのは素晴らしいことであります…。そして何よりも、サンデル教授が未来の社会のあり方について、素晴らしいお考えを持っていることを今回の講義で知ることが出来たのは、一番の宝となりました。
一般的な目線でみると、政治哲学は「小難しい」という印象をぬぐえず、またアカデミズムでも「わかる人だけが参加してこれば良い」といった態度をとる傾向にあるように思います。しかし、サンデル教授はより多くの人が政治哲学について興味を抱き、積極的に周囲の人と対話を重ねて欲しいと述べます。その背景には社会のGlobal化があります。今後、一層Global化が進むにつれ、解決できない問題は沢山でてくる…とくに道徳的な背景の違いからくる問題は五万と表れるのは間違いないでしょう。そこに至った時、はたして我われはどういった言動を取るべきなのか?相互に理解を深め、異なる意見を受け入れる、その心を築くことこそ今われわれが身につけるべきことではないだろうか?
・・・サンデル教授の考え方はまさに僕がNHKの応募に書いたことと同じであります。以下にその文面を簡潔に紹介しますね(たしかこんな感じだったはず)。
NHK送付文面・・・今後、Global化がいっそう進むにつれ、日本企業は海外に進出せざるを得ない状況に陥るのは間違いない。海外企業とのコスト勝負に勝つためには、安い労働力が得られる海外生産にシフトしなければいけないのは容易に想像がつく。しかし、現地の人と上手くコミュニケーションを築かなければ海外生産など上手くいくはずがない。そして、事実苦労しているのが現状だ。コミュニケーションをとる上で重要なことは、相手の文化・環境・教育背景にしっかりと耳を傾けることである。今後、企業の研修内容を考える上でも、他国の文化・環境を広く理解するプログラムはますます必要かつ重要となってくる。この点を鑑みると、サンデル教授のjusticeは大変参考になる点が多く、将来の研修プログラム構築に有益なものとなるに違いないと思い応募した次第である・・・
他国の人と生活・仕事を進めていく上で、彼らのもつ文化・教育・習慣にしっかりと耳を傾け、理解しようということ。その上で、サンデル教授のJusticeは大変参考にすることができるということ。今回の政治哲学ブームが一過性のものに終わらず、長く続いていって欲しいですね。そのためにも、企業の研修プログラムに組み込むのは一つの手段として面白く、実用的な試みだと思うのですが…如何せん、まわりからはあまり賛同してもらえないんですけどね。もし、企業に属する方(研修等プログラム担当)で興味ありましたら是非導入検討を!えびすがファシリテーターになります(笑)。
mail:tomohiro.ebisu@gmail.com










