2010年8月27日金曜日

It impossible to make one choice...

まだまだ続きますよ~サンデル教授の講義。ではではどうぞ。

~東京大学への裏口入学は認めるべきか?:教育・所得格差~
第一部最後の議題は教育格差についてだ。

東京大学への入学において、それなりの学力がある+入学に際し巨額の援助を大学側になすという条件をもって、当該生徒の入学許可を与える(俗に言う裏口入学)ことについてどう考えるか。功利主義的観点(最大多数の幸福)から考えると、入学できる生徒、巨額の援助を受ける大学、生徒を東京大学へ入学させることが出来た両親、みんなが幸福になるのでこれに越したことは無い。しかし、平等という観点から考えたとき、上述の生徒と同じ学力をもっていながら東京大学へ入学できなかった生徒は、どう報いるべきか?※ここで、東京大学が国立大学であるという点は一先ず除しておく。

我われはコミュニテイという共同体の中で生活を送っている。そのコミュニティの中では様々な取り決めが存在する。憲法、民法、行政法、自治体法etc様々な法律があることはみなよく知っていることだろう。これらの法律に準拠する、それはコミュニティを存続させていくために必須のことである。しかし、法律の根源にあるのはなんだろう?それはコミュニティに住む人たちの間で取り交わされる「契約を標準化」したものであるはずだ。様々な人たちの条件・境遇・利害そういったものを全て鑑みた上で、個々人官の間で取り交わされる契約、それを万人が「受け入れやすい」カタチにして出来上がったものが法律であろう。

しかし、法律は万能ではない。それは何も過誤があるという意味ではない。法律の受け取り方は個々人の意識の持ち方・生活状況・収入の高低によって様々に変わってくるということだ。例えば、お金を持っていない人が「高所得者の税金を上げろ!」と叫んでいたとしよう。しかし、ひょんなことからビジネスが大成功して巨万の富を手に入れた。彼はいう「なぜ、こんなにも税金を払わなければいけないんだ?」法律に変化は無い、人間にも肉体的な変化は無い。変化が起きたのは人間の内に潜む「思考の道筋」だけである。このような変化は、法律の外、より哲学的な世界でも同じ様に起こりうる。たとえば、最初の議題の「命を守ること」に関しては功利主義を貫く考え方を持っていたとしても、東大入学における裏口入学(功利主義)には賛成できないといった考え方を持つ人は多数いる。

サンデル教授は言う「教育背景・文化背景によって、直面する事象に対し千差万別の考え方がある。とりわけ、国家という枠のコミュニティ間で考え方が大きく異なるのはよく御存知の通りだ。ではそういった人たちの間に共通のJusticeは生まれうるだろうか?」
第一部の終了時点で、多くの聴衆は新たな「気付き」を得ることができたはずだ。Justiceは一つに定まらないという気付きをだ。


20分の休憩を挟み、第二部が始まる。最初の議題は「他人が犯した過ちについて、我われは責任をとるべきか?」というものだ。


~道徳の根源まで降りていく:家族・国家・共同体の忠誠心~
サンデル教授はJustice教本にあるバルジャー兄弟の例を挙げて議題提起する。「教授職にあるバルジャー兄と、人殺しのギャングであるバルジャー弟。FBIはバルジャー弟を逮捕するべく、兄に捜査協力(弟の居場所について)を要請する。しかし、兄は捜査に協力しない意向を示した。かれの行動は道徳的に適切なものであるか?」

まず、なぜ兄が弟の逮捕に捜査協力しないかを考えてみよう。一つ目が、功利主義的な目線だ…「もしも捜査協力し、弟が捕まった通して、自身の身はどうなるだろうか?きっと周囲からは「殺人者の兄貴」というレッテルが貼られるだろう…教授職にも影響しがあるに違いない…ならば弟は捕まらないほうがいいではないか」。二つ目が忠誠という観点からみる例がある…「今の自分があるのは、少なからずとも弟との幼少時代の経験が活きているからだ。もしFBI当局に協力したら、それは弟への反逆にならないだろうか?」

後者の「忠誠」という心情は定義つけるのがとても難しい要素である。家族の中での忠誠、国家の内での忠誠、人類における忠誠…それぞれの忠誠は愛情・対象・状況によって様々に変化しうるものだからだ…「道徳とは人間の対象に対する忠誠心に起源があると考えることができる。しかし、ここまで議論してきたように、忠誠心は人によって様々なカタチをとる」

~過去の過ちに対する謝罪は行う必要があるのか?:コミュニティと道徳
道徳の中心にある忠誠心、それすらも千差万別であるということを鑑みた上で、道徳についてもう一歩踏み込む議題に移る。サンデル教授から出された議題は「過去の過ちに対し、今生きている人たちはその責任を負う必要があるのか?」だ。

日本、アメリカ、アジア諸国をベースに考えると理解しやすい。日本はアジア諸国に対し、二次大戦時の虐殺に対して責任を負うべきであるのか?アメリカは日本へ原子爆弾を落としたことに対してその責任を負うべきであるのか?なるほど、関係性こそ理解しやすいが、議題の内容は非常に難しいものであることが理解できよう。

あまりに難しい問題であるので、私自身の考えを意率直に示すことにしたい。
この問題の論点は二つある。一つ目が、我われ人間が生まれるにあたって「ここの国が良い、この家族が良い」と決めることができない点、二つ目が「被害者の心を収めることが出来るのは、加害者の行為だけである」という点だ。

重要な点は、当該者の道徳的な背景にのっとることで二通りの見方が出来るということだ。一つ目は「そもそも僕は望んでこの家族・国に生まれたわけではなく、偶然を持って生まれただけだからだ。そんな不確定な要素が前提としてあるのに、なぜ他人がしたことに対して責任を負う必要がある?過去の責任は過去の人がとるべきことであり、それに全く直接的な関係性を持たない僕は責任を負う必用など全く無い」といったもの。二つ目が「たとえ過去の過ちであろうと、このコミュニティに生まれたからにはそれを償うのは必然だろう。なぜなら、今僕がここで息することが出来ているのはこのコミュニティがあってこそだから。コミュニティのルーツを辿ると、そこに一人ひとりの人間がいることに気付くだろう。コミュニティは個人あって形成されているものであり、個人の人格・道徳を形成するにあたり、コミュニティがそれに及ぼす影響は大きい。そういったことを鑑みると、コミュニティ内の個人が犯した罪をコミュニティ全体(他の成員)が償うのは系譜としても自然だ。もし、償うことを拒否してしまったら被害者達はどこに怒りをぶつければいいのか?被害者が納得しない限り、加害者は過去の過ちについて謝罪を示す必要があるのは間違いない」。

この議題にも明確な解決方法など無い。しかし、議題はまさに世界が直面している問題と直結している。サンデル教授は言う「ここまで議論してきたこと、それは今、世界のトップが苦心して取組んでいる問題そのものだ。そして問題解決に至ることが出来ないでいることでもある。しかし、重要なのは問題解決にあるのだろうか?いや、そもそも問題を解決することは可能なのか?これまで挙げた議題を振り返っていただければ、世界には解決できない問題がたくさんあることに気付かれるだろう。ただ、それらの問題に対し、自分の考えだけが正しいと言い張るのではなく、異なる考え方をぶつけることで、新たな側面を垣間見ることが出来たはずだ」。

~総括:Justice differs from one people to the other peoples~
今回の講義を通じてサンデル教授が我われに伝えたかったこと、それは「難しいことに対し、答えを導けなくとも(そもそも導ける問題はほとんど残っていない)、誰かと共に対話をすることは可能なはずだ。そして、対話をすることで様々な社会背景・文化背景をもつ人たちの間で考え方が全く違うことに気付くことが出来るはずである。世界には解けない問題がたくさんある。それらについて、対話を重ねることで、互いの状況・環境・文化を理解することが出来るはずだ。対話にこそ未来の人類共存の鍵がある」ということだ。

※いやはや、なんとも感銘深い講義でありました。まなこでサンデル教授の「Yes(指差し)」を体験できたのは素晴らしいことであります…。そして何よりも、サンデル教授が未来の社会のあり方について、素晴らしいお考えを持っていることを今回の講義で知ることが出来たのは、一番の宝となりました。
一般的な目線でみると、政治哲学は「小難しい」という印象をぬぐえず、またアカデミズムでも「わかる人だけが参加してこれば良い」といった態度をとる傾向にあるように思います。しかし、サンデル教授はより多くの人が政治哲学について興味を抱き、積極的に周囲の人と対話を重ねて欲しいと述べます。その背景には社会のGlobal化があります。今後、一層Global化が進むにつれ、解決できない問題は沢山でてくる…とくに道徳的な背景の違いからくる問題は五万と表れるのは間違いないでしょう。そこに至った時、はたして我われはどういった言動を取るべきなのか?相互に理解を深め、異なる意見を受け入れる、その心を築くことこそ今われわれが身につけるべきことではないだろうか?
・・・サンデル教授の考え方はまさに僕がNHKの応募に書いたことと同じであります。以下にその文面を簡潔に紹介しますね(たしかこんな感じだったはず)。

NHK送付文面・・・今後、Global化がいっそう進むにつれ、日本企業は海外に進出せざるを得ない状況に陥るのは間違いない。海外企業とのコスト勝負に勝つためには、安い労働力が得られる海外生産にシフトしなければいけないのは容易に想像がつく。しかし、現地の人と上手くコミュニケーションを築かなければ海外生産など上手くいくはずがない。そして、事実苦労しているのが現状だ。コミュニケーションをとる上で重要なことは、相手の文化・環境・教育背景にしっかりと耳を傾けることである。今後、企業の研修内容を考える上でも、他国の文化・環境を広く理解するプログラムはますます必要かつ重要となってくる。この点を鑑みると、サンデル教授のjusticeは大変参考になる点が多く、将来の研修プログラム構築に有益なものとなるに違いないと思い応募した次第である・・・

他国の人と生活・仕事を進めていく上で、彼らのもつ文化・教育・習慣にしっかりと耳を傾け、理解しようということ。その上で、サンデル教授のJusticeは大変参考にすることができるということ。今回の政治哲学ブームが一過性のものに終わらず、長く続いていって欲しいですね。そのためにも、企業の研修プログラムに組み込むのは一つの手段として面白く、実用的な試みだと思うのですが…如何せん、まわりからはあまり賛同してもらえないんですけどね。もし、企業に属する方(研修等プログラム担当)で興味ありましたら是非導入検討を!えびすがファシリテーターになります(笑)。
mail:tomohiro.ebisu@gmail.com

2010年8月26日木曜日

Think, Consider, Plunge...

さて、いよいよサンデル教授の講義の中身をご紹介。とはいいつつ、生講義であった参加者側からの発言内容は脇において(ちょっと議論になっていなかったり、ロジックが通っていなかったりでしたので…)、僕の自論を展開させていただきたく思います…わがままいってすいません。講義の模様は10月に放送されるとの事ですので、そちらで宜しくお願いいたします。
※もしかしたら、えびすも映っているかも!?白シャツにグレーのパンツのおっさんです※

ではでは、Justiceをちょっとわかりやすく解説していくとともに、サンデル教授から提示された各々のテーマについて理解を深めていきたいと思います。とってもながーくなってしまうので3回くらいにわけて掲載しますね。

Justice in Yasuda koudou, Tokyo University

~導入:ベンサムの功利主義、カントの道徳・尊重・義務~
まずサンデル教授が最初に持ってきたのは、現地の授業でもとりあげている有名な事件だ。
ある4人のセーラーが大西洋のど真ん中で遭難してしまった。十数日がたち、食料・飲み水も底を突いてしまい、彼らは一つの「人間の限界」に直面していた。なかでも、陸に身内がいない青年パーカーは瀕死の状態にあった。そこで、彼らの一人が「…パーカーを殺して食べよう…それしか、俺達が生き残る道はない」と提案する…3人はパーカーの同意を得ずに彼を殺し、その人肉・血を食らうことで、残りの三人は「人間の限界」を乗り切ることができた。そして4日後、無事救助船に発見された。

さて、助かった3人がパーカーを殺したことは、Justiceの観点から見たときに正当なものか?これには二つの意見が考えられよう。一つ目は、最大多数の幸福を考えると、確かにパーカーを殺して残りの3人が生き残ることを選択するのは理にかなっているという意見。もう一つは、パーカーを殺したこと、それはあくまでも「殺人」行為として取り扱われるべきであり、3人は司法に法って処罰されるべきだという意見だ。

前者の言い分は、1人の命よりも多数の人の命を救ったほうが、全体の幸福は大きくなる(1人の幸福×3人)というもの。後者の言い分は、個人の権利を尊重すると、パーカーを「同意なく(ここが重要)」殺すことは認められない。いくら彼に身内がいないからといって、彼の未来を奪うことを、他の人間が功利的に判断していいことではないというもの。

ふむ、前者のそれは理解しやすいだろう。個人の幸福の質までは考えず、あくまでも量で幸福をはかっているからだ。では後者のそれはどうか?もしそこにパーカーとの契約なるもの(俺を殺して食らえ)があったならばどうだろう?パーカーを殺すこと、その行為自体に違いはないわけだが、「本人の同意・契約」というものがそこに立ち現れてくると…ふむ、不思議とパーカーを殺すことに反対だった人の幾らかは「それならOK」という立場に変わってしまう。

サンデル教授は言う。「人は問題の背景をどのように理解するかによって、最初に下した判断が覆うるということ、これはとても興味深いことだ…」
ここで、功利主義と人権の尊重をめぐる議論を終え、「オバマとイチローの給与差」に議題は移る。

~税金による所得の還元はなすべきか?:自由主義と民主資本主義~
オバマ大統領(以下オバマ)とイチローの年収はそれぞれ4000万円と18億円程度だ。一般庶民のそれ(例えば教員だったら500万円程度だろう)からみると、彼らの年収は天にも届く位置にあるように見える…が、よく考えてみると、オバマと教員の間では年収差は8倍であるが、イチローのそれとは360倍にも達する。そう、オバマとイチローの間でも45倍の差がある。

では、イチローはそれだけ「世の中に貢献する」ことを成し遂げているのだろうか?オバマの45倍以上の仕事を成し遂げているのだろうか?ここで重要になってくるのが、市場原理だ。オバマの仕事のフィールドである行政は、あくまでも市場とは一歩距離を置いたところであるのに対し、イチローのそれは、国全体の利益に直接関係する(ここでいえば観客動員数や広告料など)ところである。

ただ、実際にはイチローには大きな税が課せられており、18億円をまるまる貰うというわけではない。半分近くは行政に徴収されてしまう。そして、徴収された税金は様々な形で「再分配」されていくわけである。そこには本人の意志は反映されることはない。強制徴収によって、イチローが貰うお金は大きく減ることとなる。

さて、上述の状況を踏まえた上で、「市場における課税」について考えていこう。
本人の意思に関係なく、強制的にお金を徴収することは、果たして正しいことなのか?という点が議題にあがる。資本主義の社会にあっては、利益を得た分は全て自分の意思に基づき、自由に使うべき制度にすべきだという考えと、人が給与を獲得できるのはあくまでも社会あってのことだから、その社会に対して何らかの還元は強制的にでもすべきであるという考えがぶつかりあう。

前者の言い分は自由主義の考えに基づくものだ。自由社会(ここでは民主資本主義ととらえてください)の元では、物事の決定権はすべて「自分」に属するものであり、そこに外部からとやかく言われる筋合いはないというもので、ミルトン・フリードマンによって提唱された。後者のそれは、広く我われが共有している考え方であり、一種のコミュニタリズム(共同体主義)に基づく考え方である。

サンデル教授があげる議題に、明確な答えというものは存在しない。「どちらがいいのか、それは断言することはできない。そして。おそらく答えを1に決めることはできないだろう」…聴衆の頭にある「当たり前だろう」という考えは議題が進むごとに揺さぶられてくる。

※長くなりましたので、ここらへんでカットします。

2010年8月25日水曜日

I'm glad to meet you !

さて、今日は待ちに待ったサンデル教授のJustice生講義に参加するべく、東京大学の安田講堂まで足を運んでまいりました。いやはや、楽しみすぎて前日はなかなか寝付けなかったこと、告白いたします。子どもの好奇心が、ふと心の内でぽわぽわ浮かび上がってきちゃいましたね。

さて、簡単に当日のえびすスケジュールをご紹介しましょう。
9:30 自宅を出発。・・・するも当選用紙を忘れて急いで帰宅。しっかり鞄の中に投げ込んで、いざ東大へ。
10:00 東京大学到着。久しぶりに三四郎池で思想にふける・・・おぉ、Good ideaが舞い降りてきた!流石は東大、侮れない。
10:30 あまりにも暑かったのでドトールにて時間を潰すことに。慈善で進めているプロジェクト資料を少し作って、「一億総ガキ社会」を読み始める。おや、これはまさにサンデル教授が出してきた宿題(共同体主義と個人主義)が当てはまるケースではないか!
12:30 気付けば早12:30。総ガキ社会読了。折込が激しい…こりゃおさらいが大変だなぁと思いつつも、読後の満足感に浸る。
12:45 サンデルのJusticeを復習。ベンサムの功利主義、カントの理性・尊厳・義務、アリストテレスの美徳、ミルの自由主義を中心に振り返る。それにしても、カントの理性はイマイチ腑に落ちない。僕としては理性すらも育った環境・教育・文化に影響されると考えるのだけれど…
13:55 14:00入場開始であるので、そろそろ安田講堂へ移動。おぉ、すでに100人くらい並んでいるではないか!
14:05 最後尾に並び、会場入りを待っているとサンデル教授が登場。思ったよりも小さい(笑)。…でもカッコいいんですねぇ。うっとり。
14:10 サンデル教授とともに安田講堂入り。おぉ凄いタイミング。さて、Cブロックはどこかなっと…お、結構ベストポジションではないですか。
14:15 収録が始まる15:00まで時間が余ったので、隣の人としばしご歓談。女性の方でしたが、阪大の院生で政治哲学(19世紀のフランス)を専攻しているとのこと。現在のフランスの陥る社会的苦悩について、フランス革命・移民・経済成長・出生率・国策をからめて、えびすが切り込む切り込む(笑)。いやはや、楽しいひと時をすごさせていただきました。

15:00 ようやっと収録が始まる。最初に簡単なご挨拶。まぁここはどうでもいいので割愛。
15:20 サンデル教授、教壇に立つ。いよいよ講義の始まり。
15:25 入り口はJustice教本にもある4人の遭難者のお話から。功利主義と自由主義を立てて議論を進めていく。
15:50 話は次のテーマ、イチローとオバマの年収に移る。イチローの年収は18億円程度であるのに対し、オバマの年収は4000万円程度。オバマの仕事の影響量・重圧・仕事量を考えたときに、この差は果たしてJustice的にどうなのか?
16:25 更に深いテーマに話は進む。議題は教育格差。東大の入学について、そこそこの学力がある学生ならば大学への援助をもって入学許可としていいのではないか?という議題に始まり、そもそも生まれた家庭によって、東大入学の可能性が大きく変わることに対してJusticeをどう制定するか?

17:00 ここで前半終了。20分の休憩。おや、はやくも予定を30分おしてるよ!

17:20 第二部スタート。簡単に前半のおさらい。ベンサム・カント・アリストテレスあたりですな。
17:25 議題は「道徳と忠誠心と前世代の犯した罪への責任」について。
17:40 バルジャー兄弟の例を元に、家族・社会への忠誠とは何かについて議論展開。忠誠心は難しい…昔の侍を意識すれば理解しやすいのだろうけど、現代日本社会では忠誠心にあたる場面は…多分皆無に近いねぇ。
18:00 最後の議論「前世代の犯した罪は取る必要があるのか」についての議論がスタート。いや、これ、本当に、答え、なんて、ないものですよ。非常に論展開が難しい内容。甲を立てれば乙の反撃にあう。しかも、そのロジックはしっかりしている。一方、乙を立てても、甲によって簡単に反論される。勿論、ロジックは通っている。ふむ、これこそ、まさにサンデル教授が我われに議論させたかったことですな。
19:00 盛大な拍手とともにJustice講義終了。退場時に、サンデル教授と握手♪しっかり握ってくれました♪ 

19:20 予定時間を一時間おして、東大の江川教授、筑波大の小林教授、サンデル教授で、今日の講義と今後のJusticeのありかたについて対談スタート。
19:45 対談終了。サンデル教授の最後の言葉「もっと広く一般市民の間でも、今日取り上げたような解決が難しい内容についても議論はできるはず。相手を思いやりつつ、どういった方向性があるのかを当事者同士の共通認識をもつことが、今後Global化が進む世界ではますます重要となってくるだろう」

ちょっと長くなりましたので、講義内容については別枠でご紹介いたします。


2010年8月24日火曜日

己を鍛えよ、未来のために。

明後日に迫ったサンデル教授の生講義に向けて、Justice a Readerを読み込んでいるのですが…これは難しい。一般的に、講義内容は教本を噛み砕いたものだと言われてますが、このギャップは結構なものです。ただ、この本一冊を読み込めば、政治哲学に関する相当な知識は吸収できるかと思います・・・読み込むのに最低でも一週間はかかりそうですけど。各章で反証事項・内容分析等、かなり詳しく記載されているのは、流石はハーバードの教授だなぁと感じました。日本の大学からも、このレベルの教本がバンバン出てくると教育界も大きく変わるんじゃないかな。ふむ、どこかの偉大な海外教授の思想・考えをそのまま「借りてくる」のではなく、日本の文化背景に合わせつつ「独自に組み立てていく」先生がたくさん現れるといいですねぇ。

さて、言うは安し、するは難しをよく実感知っているにもかかわらず、小生意気な考えばかり表に出してみんなから顰蹙ばかりかっているえびすが紹介するのはこちらの書籍。

商品の詳細

一流と聞くと、その道の大御所を想像してしまうものだ。建築界といえば安藤忠雄、服飾界ならガリアーノ、芸術家ときたらクロード・モネといった感じだろう。みな、輝かしい何かを残した人たちばかりである。しかし、本書が取り上げる一流たちには、それほど輝かしいものを残している人がいないのも事実だ。愚直に、自分の道を信じて進み、「今現在も修行中」という人が多い。

新しい一歩を踏み出す時に、一流の人たちはどういった心境を持ち合わせていたのだろうか?本書を読み終えて感じえたことは、どの人も「自分を信じる」ことを放棄していないということだ。20代が修行時代と考える人もいれば30代も修行時代だと考える人もいるだろう。基準線は人により様々であるのは人間の摂理だ。ただ、明確に年単位の基準線を引いてしまうことには私は反対である。よく、「10年は会社にいないと色々見えてこない」と巷では耳にするが、その基準は一体どこからきているのか疑問でならない。この人に言わせれば「ビジネスを進めて行く上でのスキルを身につけるのに10年要する」「お客さんとの関係つくり、経営能力、社会的信用をつくるのに10年は必用だ」といったところだろうか。しかし、こういった「ビジネススキル」に関することは、ビジネスを起こして進めていく上でもつけることは出来るはずだ。事実、そうしてきた人たちは沢山いる。10年という言葉は一種の逃げ道ではないか?自身の歩む道を決めるにおいて最も大切なことは「自分の中でのけじめ」をつけることだと私は考える。そして、最も躊躇してしまうことでもある。

なぜ躊躇してしまうのか?アメリカならば結構な確立でベンチャーの道に進む人が多い。それは、社会構造が大きく異なることが影響している。アメリカでは、なぜベンチャーを志す人が多いのか?それは、「失敗が普通のこと」として受け入れる風土があるからだ。日本では一度社会で失敗すると、失敗者のレッテルを貼る風土がある。「あいつ、失敗したみたいだよ」「やばくね、あんなんに俺はなりたくない」失敗に対し否定的な意見ばかりが目立つ。一方、アメリカでは失敗が普通だから、みんな恐れることなく新しいことに挑戦する。「あいつすごいことをやろうとしたみたいだぞ。今度はもっとでっかいことに挑戦するんじゃないか」「やべぇな、起業かっこよすぎる。上手くいかないのが普通だし、ちょっとアメリカンドリームに挑戦してみるか」・・・アメリカではベンチャーの失敗に対し、寛容かつ称賛の意見が多い。だからこそ、ベンチャーに失敗しても堂々と前を向き、次の一歩を踏み出すことが出来るのだろう。また、ベンチャー精神旺盛な背景にはエンジェル投資家の存在があることも忘れてはいけない。古い産業の長が、下から這い上がってくる若い企業の成長を楽しもうという懐の深さが、アメリカのベンチャー精神を支えているのは間違いない。

少し、アメリカと日本のベンチャーに対する意識の違いに話題が飛んでしまった。さて、本書を読み、彼らの若かりし頃の生活と今の自分の生活と対比して(対比による優位差判断はあまりしたくないのだが)、いかに自分の生活している環境が恵まれているのかを痛感することだろう。もんもんとしている人にとっては、新たな道に踏み込む勇気が湧いてくるのではないだろうか。しかし、あまりに誘発作用に影響されすぎるのも危険なことだ。勇気をもって、未知のフィールドに踏み出すことは確かに大切なことだが、それは何も企業の外へ飛び出すことだけを意味するのではない。企業内にあっても大きな一歩は踏み出せる。そして、日本では、新しいことを表に出すにあたって、今所属している企業から出したほうが、成功の可能性も高くリスクも小さい。企業の外でないと出来ないことかつ今までに無い斬新な起業案であるならば、会社の外に出なければいけないと思うが、そうでないなら無闇にリスクを取る必要もなかろう。企業内から(勿論企業外にもではあるが)しっかりと目標とプランを持った上で「新しい道」に踏み込んでくる若手が増えることを期待してやまない。

※ただ、最近は少しずつ流れが変わってきているように感じます。ベンチャーを志す若手も結構多いと聞きますね…けど、その多くが「社会貢献起業」に走っているのも事実。社会に良いことをしよう!という志は素晴らしいことです。ただし、しっかりとしたビジネスプラン無しで、ただ「大きくかっこいい理念」だけを立てて突き進む方針に対し、僕は反対の立場をとります。なぜならば、持続的に事業を続けるという点を鑑みた時、寄付と支援だけではなんとも心細く、頓挫してしまう可能性が高く、支援に頼ったとしても、それは国民の税金から出ているわけでありまして、結局広く消費者からお金を貰っていることと変わりないわけであります。ならば、巧みな戦略を立て、最低限の収入が獲得できるビジネスモデルでもって社会貢献をしていくほうが「かっこいい」じゃないですか(笑)。その点、フローレンスとtable for twoの経営方針は大好きなんですよね。彼らに習い、巧みなビジネスモデルをもって自分の事業を進めていきたいと思う今日この頃であります。

2010年8月23日月曜日

From mass to niche transition.

久しく更新が滞っており大変恐縮であります。ここ2週間ほどは、土日の境もないほどに忙しない毎日を送っております。まったく・・・楽しくて仕方ないですね。人間打ちこむ何かがあると、生き生きとしてくるものであります。端から見ると、えびすはかなり輝いているとか。もちろん、キラキラ輝くのではなく、ギラギラ輝いているようです・・・本人には全く自覚がないんですけど。

さて、忙しさにかまかけて、読書スペースが落ち気味な日々に少し葛藤するえびすがお送りする書籍はこちら。

商品の詳細

広告大手電通や博報堂などからは、本当に様々な書籍が出ているのだが、今回は広告大手のうちではちょっと珍しいADKから発売されている書籍を紹介したい。

トリプルメディア、あまり聞きなれない言葉だが、この3つのメディアは次のように表現されている…買うメディア(Paid Media:PM)と所有するメディア(Owned Media:OM)と評判を得るメディア(Earned Media:EM)。PMの媒体として、新聞の広告やテレビのCMがある。ここを起点としてお客さんが生まれると考えるのが本書だ。そして、PMで興味を持った人たちが次に手を伸ばすのがOMとEMである。OMの代表例は自社サイトであり、広告を流す・情報を流すにあたりお金をそれほど必要としないのが特徴的だ。ここで大きな興味を持ってもらうと、お客さんは顧客へと階段を一歩上る。EMの代表例は ブログやSNS、新聞記事である。こちらもお金を使わずに情報を流しているという点ではOMと同じであるが、ただ、第三者目線からの判断という点からの評価が加わるため、このメディアを通じてお客さんになる人は、ファンにまで昇華する人が多い。

ただ、最近はいきなりEMからお客さんになるというケースも増えている。この根底にあるのがバズマーケット(口コミ)だ。友人・知人・同僚を介して、最初に「どこどこのお店・商品がいい」という情報を仕入れる。興味を持った人がインターネットのブログや楽天の評価などを参考に、そのお店・商品の評判を検索し、評判が高いようなら足を運んでみよう・買ってみようと思うに至る。本書ではこの点をそれほど重要視していないように見えたが、このマーケットはかなり大きい。先のウーマンエコノミーの書評でも紹介したように、女性はマーケットの6割を占め、かつ口コミによる評判を信じやすいたちにあることからも推測できよう。私としては、PMと並列して生の口コミメディア(Buzz Media)をPMと並列して置くと、よりマーケットの流れが読みやすいように思える。

書籍の後半には、「社会事・仲間事・自分事」に重きをおいて、マーケットの変遷を時代を追って分析している。一昔前は「社会事・仲間事」までしか考慮に入れなくても、商品は売れたのだが、近年はこれらに加えて「自分事」まで織り込んだ商品を売り出さないと、消費者は手を伸ばしてくれない。この分析結果は博報堂の「自分ごとだと人は動く」の分析と同じ方向性をもっている。個々人の趣味・嗜好をいかに汲み取るかが、マーケットシェアを獲得するためのkey pointとなる。ただし、個々特徴ある商品の展開は、資金面でかなりの負担を要するため、大企業以外は手をつけられないのが現状だろう…察するに、比較的規模の小さな企業の未来は暗く映ってしまう。

しかし、小さな企業には小さな企業にしかできない商品展開があるのも事実だ。自分・自社が得意とする小さなマーケット=ニッチマーケットに集中的に商品・人材を投下すれば、資本が少なくても一段と成長することができる企業も出てくるはずだ。とりわけ、今後のグローバル化を視野に入れた販売戦略をしっかりとたてれば、一層の利益を創出することができるだろう。グローバルなニッチ市場を前提に考えると、今の日本マーケットにおける「自分事」のニーズは、いいたたき台になっているのではないだろうか。日本人の先見の明はあなどれない。

※電通・博報堂やそこに所属している人の出す書籍に比べると、若干インパクトに欠けますが、現状のマーケット構造を俯瞰するという観点から本書を評価すると、十分に納得・満足のできるレベルの内容でしょう。マーケティングに興味のある方はどうぞご覧になってくださいませ。
あ、あと、本書の最後のほうに面白い商品があったので紹介しておきます。いずみ産業の「美墓」です。いやはや、死後の世界にまでマーケットのフレームが広がっているとは思いもよりませんでした。いろんな意味で勉強になりますね。

2010年8月17日火曜日

To be or not to be...in poverty.

暑い暑い。まだまだ夏の暑さは勢いが衰える気配はみえません。暦の上では立秋を過ぎているんですが…昔の人達は、何を基準に秋を定義していたのでしょうか?ネットで検索してみると、何やら雲に秘密があるみたいです。夏の雲は積乱雲のように、垂直に伸び、局所的な雷雨を発生させるのに対し、秋の雲はウロコ雲のように、水平方向に伸びると記載されています。そういえば、確かに、ここ数日は雷雨にあっていないような気もします。ふむ、先人の観察力には感嘆するばかりであります。

さて、暑い暑いといいつつ、電気代節約のために極力自宅に帰る時間を遅くし、帰宅してからは扇風機しか使わないように心がけている、エセエコ男えびすが紹介する本はこちら。

商品の詳細

世界には様々な貧困が存在する。大きくは絶対的貧困と相対的貧困の二つのカテゴリーに分けられ、それぞれのカテゴリー内でさらにいくつもに分類される。本書の題名にある「子どもの貧困」についても、絶対的貧困の立場と相対的貧困の立場とで、その内容は大きく異なるものであろう。教育の世界にカテゴリーを絞ると、前者は「教育を受けることができるか否か」というレベル、後者は「高いレベルの教育を受けられるか否か」という具合だ。

本書は、日本における子どもの相対的貧困について、多数のデータを元に多角的な分析・解析を行っている。社会的な背景、とりわけ家族構成と行政の取り組みに焦点をあて、子どもの貧困に関連性が高い要素を明らかにしていく。

とくに、子どもの教育格差に関する分析はかなりの量にのぼる。統計的アプローチを通じて、母子家庭で育った子どもたちの学力が、一般的な父母子家庭で育った子どもたちよりも、かなり低いという事実が明らかとなる。この結果が示すことは、母子家庭における教育のレベルが低いということではない。逆に、父母子家庭の子どもが、より質の高い教育を受けているということだ。つまり、お金に余裕のある父母子家庭は、我が子を塾に通わせたり、家庭教師を雇ったりして、周りの子どもたちよりも「頭のいい子」にしようと奮起する。一方、お金に余裕が全くない母子家庭では、塾に通わせることなどできるはずもない…子どもの未来を思い、日夜仕事に励む母の言葉が心を打つ。そのうちの一つを紹介しよう。
「将来働けなくなったら、すぐ死んだほうがこどもに迷惑をかけないですむのではないかと考える」

上述にあげた相対的貧困層における教育格差の問題解決は非常に難しい。絶対的貧困ならば「みんなに平等に教育の機会を分け与える」という方向性で、おおよその問題は片つくだろう。しかし、相対的貧困層にあってはこれが通じない。政府サイドとしては「最低限の教育は受けているんだから、後は本人の努力次第でなんとかしなさい」という意向だろうか。しかし、相対的貧困層と一般層では、書籍の購入や質の高い教育を受けるチャンスなど最低限の教育+αのところで大きな差が出てくる。遺伝的な要素も影響してくるといわれているが、育った環境が子どもの学力に大きく影響を与えることは間違いない。

では、実際に日本政府は母子家庭に対してどのような対策をとっているのだろうか?生活保護政策による現金支給一番効果的な対策である。しかし、その支給額では、子どもに+αを与えてあげるには少なすぎる。日々の生活に全額あてがってもまだ足りないというのが現状であり、子どもの将来のために費やすお金など残るはずがない。
所得の再分配についても言及しておく。本来、所得を分配することにより高所得者と低所得者の差は縮まるはずであるが、日本では再分配により低所得者がの負担が増える政策を講じている。民主主義はどこへやら…これは格差問題の原因の一つ、とくにあってはならない原因の一つである。

こどもの貧困を解消するためにはどこから変えていけばいいのか?税額空除の改定、児童手当金の増加、正規雇用枠の増加等政府が取り組むべきことはたくさんある。今後、こどもの未来と関連する政策の多くが、子ども間の格差が解消される方向性を取ることを期待してやまない。

最後に…世の中には、格差を解消すると経済の成長が止まるという論客もいる。確かに正しいことだろう。しかし、子どもの格差は自分の能力でどうのこうのできる問題ではなく、その原因は社会環境に大きく依存せざるをえないものとなっていることを鑑みると、彼らに格差はあってはならないものだと理解できよう。

※生活保護や児童給付については結構グレーゾーンなところもあります。例えば、結婚して子どもが生まれて、資金繰りをよくするために、書面離婚をして、父母子三人で暮らしつつ生活保護の支給を受けるといったことも、法としては可能なわけでありまして…。うーん、善良な市民を期待するしかないのでしょうかねぇ…本当に難しい問題です。

2010年8月14日土曜日

No input, No hypothesis...

しばしば、いや、ほとんどの書籍はAmazonで購入しているのですが、ここのブックレビューは面白い内容がごろごろしていますね。かなり詳細に評している人、感情ぶちまけてるだけの人、簡単に覆せるよな批判をしている人etc。世間では結構参考指標としての地位を確立しているとか小耳に挟みます。けど、正直なところどうなんでしょうかね?上に挙げたかなり詳細に評している人が多数いるようであれば、触手も湧くと思うのですが…僕は「1000文字程度の評でないと、その評は参考にしない」というルールを自身に課しております。一冊の本を評するに、たったの300文字程度ではどうなの?と思っちゃうわけです。エッセンスを込めるにしても…300文字じゃぁ…なんも伝えられないよ…。まぁ、長けりゃいいってモンじゃないんですけどね。

さて、いろいろと説教くさいことを言っておきながら、自身のこれまでのブログを評すると、ものの見事に「参考するに値しない」ことが判明し、自己嫌悪に陥ってしまったえびすが紹介する本はこちら。

商品の詳細

ビジネスにおける仮説思考とは何か?一文で表現すると『仮説をたてて、実験を行い、データを分析・検証して、次のステップに移る、その一連の思考法』である。耳で聞くと「なんだ、簡単なことじゃないか」と多くの方は思うことだろうが、実際にこれを実行するのは結構難しく、実行すると途中で投げ出したくなる、いや投げ出す人が多数いることだろう。仮説思考の具体例として、私の大学院での研究スタイルがちょうどいい参考になると思うので紹介する。

私の指導教授は、「理論に裏付けされた実験結果の予測」を最初に要求する方であった。教授が突っ込む内容に対し、しっかりとした理論に基づいて受け答えが出来ない段階で試験に取組むことはなかった。しかも、4年生で配属になったあとに、知識の蓄積もままならない状態でこのような要求を突きつけられるものだから、こちらとしてはどうしようもない。ただ、教授も鬼ではないので、助言はしてくれる。こんな感じだ…「これに関連する分野の英語論文が100本くらいあるだろうから、そのうち40本読み込めば大体の全体像は掴めるようになる。日本語?参考にしちゃ駄目だよ。世界一流の研究結果は英語で発表されているのが常だ…そうだね、一ヶ月もあれば大丈夫だよね?」
これはかなり堪えた…何せ、一ヶ月で40本も英語の論文を読まなければいけないからだ。しかも、そこに書いてある数式は意味不明なものばかり。統計調査のような論文なら容易く読めることかもしれないが、実験、しかも数式の理解から入っていかなければいけない論文に取り掛かるには、結構な時間を要する。幸い、時間だけはたっぷりあったので、一本一本読み込んでいった。勿論、数式を追うだけで、内容をすべて理解できる論文などほとんどない。それを続けること20本くらい読み込んだ辺りから、ふと論文の内容がすーっと理解できるようになってくる。「これまでに読んできた論文のあの考察とこの論文の考察結果は似ているな」「この数式はこんな理論があって成り立っているのか」
この段階までくると、論文を読むことが苦でなく楽しみに変わっていった。以後大学院における私の趣味は「論文を読むこと」になってしまったほどである。
読み込んだ論文を糧に自身の考える実験結果の予測を立て、実際に実験しデータの分析・検証を進めていく。勿論、予測通りの結果になることは少ない。そのときは、もう一度理論に立ち返ってデータを検証し、仮説に修正を加えて実験を行う。このサイクルの繰り返しの毎日だったように思う。

さて、あまりに長々と私の研究生活時代を振り帰って紹介しても仕方ないので、書評に戻ろう。おそらく皆様もお気付きのことおだと思うが、上に挙げた私の研究スタイルと、本書に記載されている仮説思考とは通じ合うところが多々ある。仮説を立てて、それを検証し、検証結果をもとに仮説を修正し、もう一度検証する・・・一方は研究というフィールド、他方はビジネスというフィールドではあるが、双方とも基軸とする時間の流れはほとんど同じであるに違いない。

ただ、研究とビジネスで大きく異なる点もある。それは、仮説をたてるまでのスピードの速さだ。トライ&エラーで実験を進めて行かざるを得ない研究は別にして、大学で行う基礎研究は、仮説を立てるまでに結構な時間を要する。とりわけ、数式を緻密に扱う研究にあっては、実験結果をモデル化(仮説の中身が細かい)するまでに、相当な労力を要するのは間違いない。一方、ビジネスにおいては、そこまで緻密に数式を用いるわけでなく、大局観さえ掴めていれば、それに基づいて仮説を立てる(仮説の中身がおおまか)ことができる。ある程度仮説が整えば、すぐに検証にもって行く場合が多いだろう。

しばしば、世間では「じっくり考えることが大切だ」「すぐに答えを出すことこそ、真に能力が高い証拠だ」といった議論を耳にする。私はどちらにも与する者ではない。欲張ではあるが、双方の能力が必要であると考えている。…もちろん、自身、考えているだけで身についていないのは身にしみて感じているわけではあるが…。

本書は上述した「仮説思考の流れ」だけでなく、有効な仮説の立て方、仮説の構造の作り方、仮説思考力の鍛え方等についても、著者の経験に基づいて詳細に述べられており、参考になる・できる点が多々ある。ビジネスマンだけでなく、研究者にも是非読んでいただきたい書籍だ。

※さて、久しぶりに自身の大学院の研究生活を振り返ってみると、いい環境で研究させてもらったなぁとしみじみ思います。特に、基礎体力として大量の文献を読み込み、その分野に精通することの大切さと応用の利かせ方は、終了後の今でも様々な場面で活かすことができています。いや、むしろ、進化しているといったほうがいいくらい。このブログでも何度も言っていますが、自身の経験に照らし合わせても、詰め込み(インプット)はもの凄く大切なことです。インプットが無い状態で、新しいことを始めようとしても、9割以上は上手くいかないでしょう。仮に成功したとして、その成功の恩恵が時間とともに薄れてきても、依然としてその成功にしがみつき、いつの間にか孤立・凋落していることがしばしばあるのではないでしょうか。初心者の心意気を忘れずに、着実とインプットを増やし、新しい(とはいっても、インプットの賭け合わせだったありするのですが)何かを生み出していく、そんな人生を送りたいものです。


2010年8月12日木曜日

カタチあるものイズレ滅びむ

さて、しばしば街を自分の足で闊歩していると、色々な変化に気がつきます。ビルが一棟なくなって駐車場になっていたり、歩道が綺麗に整備されていたり、新しいお店に変わっていたり…これだけめまぐるしく変化するのは東京だからこそ。生きているうちに、様々な形の栄枯盛衰を感じ取ることができるのもこの街の魅力だと思います。

さて、街の栄枯盛衰を自身の栄枯盛衰に重ね合わせ、寂しさと焦燥感を覚える日々を過ごしているえびすが紹介する本はこちら。

商品の詳細

おそらくビジネスマンならばこの書籍のタイトルを一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。ビジョナリーカンパニー(以下VC)-時代を超える生存の法則-では、時代を超えて際立った存在であり続ける企業にスポットライトをあて、経営・歴史・社内統制について徹底的に分析・解析したものであった。VC2-飛躍の法則-では、ごく一般的な会社が、超一流企業へと躍することができた要因について、分析・解析したものであった。そして、今回のVC3-衰退の5段階では、輝かしい業績をあげていた企業が、一転急転直下の経営不振に陥る要因について分析・解析している。

衰退の五段階とはいったいどういうものか以下に順を追って説明しよう。
第1段階では、自分たちの成功を運によるものなのか、それとも確固とした技術・経営力によるものかを分析せず、傲慢な状態で利益追求を繰り返す。そして、とくにこれといった戦略もなく、ただ商品の拡販による利益の上乗せを図り始めるのが第2段階だ。第1段階を経てこのビッグウェーブに乗った企業は、有頂天極まりない経営状態にあるに違いない。
その後も拡販による利益の上乗せを追及ぐる企業は、利益の伸び率が鈍ってきていることに気付こうとしない。市場飽和によるものなのか、それともライバル企業の躍進によるものなのかを詳細に分析することなく、依然として拡販路線を貫く。これが第3段階である。企業のりえきがいよいよ落ち始め、次の戦略をとるに際して当初の偉大さに戻る道を選ぶのか、それとも一発逆転の道を選ぶのかを、経営者が判断しなければいけないのが第4段階だ。およそ、一発逆転を狙った企業で長期にわたって利益が安定・上向きに振れる結果をだした大企業はいない。
第4段階で業績を安定・上向きにさせることができなかった企業は消滅への道しか残っていない。第5段階は、第4段階でとった戦略が結果として現れるにすぎない段階であり、ここでどうあがこうとも、もはや手遅れというわけだ。

本書を一読した人は、当たり前のことしか書いていないじゃないかと思う人もいるかもしれない。確かにその通りだと私も思う。しかし、本書が価値ある一冊である点は他にある。それは、しっかりとした基準のもと、データ分析を行っている点だ。むやみに色々なデータを持ってきて、適当な傾向を見出し、さもありなんといった分析とは一線を引いてしかるべきである。

※書店では平積み状態で大々的な宣伝がされている本書。しかし、先の二作品と比較すると、ちょこっと物足りないのは事実です。でも、世の中には珍しく「失敗する道筋」を詳細なデータとともに示してくれたという点では非常に有益な本でありました。世の中に「失敗学」に位置する学問があってもいいようなものですけどね。失敗ほど参考になる例はありません。そして、その数が膨大に昇るものもありません。ふむ、ちょっと誰か立ち上げてくださ~い…他力本願ですいません。

2010年8月11日水曜日

マーケットの可能性

さて、八月も中旬に入っていく今日この頃、ぎらぎら太陽はまだまだ元気一杯で困ったものです。ほんの10分歩くだけで、汗腺から水分がでるわでるわ…この状態で電車に乗るものだから汗が冷え、寒いわ寒いわ…この繰り返しを経て、体調を壊すのでしょう。快適な環境を求めすぎた結果、かえって身体を壊しやすくなってしまっては本末転倒ですね。自然治癒力を高める生活にシフトせねば。まずは、手短に扇風機をつけて寝る癖をやめてみます…もっとも、寝付けなくて睡眠不足になり、体調を壊す可能性大なわけでありますが。

さて、おいらの身体は丈夫だい!と自惚れ、おなか丸出しで扇風機をつけたまま昼寝し、体調を崩し気味なアホ男子えびすが紹介する本はこちら。
商品の詳細

「GDP伸び率1%、日本経済の危機」「市場は中国へ移行…日本企業ますます厳しい局面へ」メディアが流す情報をそのまま受け流し、日本経済が危機にあると口にする人は多数いる。しばしばコメンテーターが、誤った経済政策をさもありなんといった感じで声高にスクリーンの中で語り、我われ一般人は成る程と納得してしまう。指数がどのように抽出され、どういった意味合いを持つのかしっかりと把握していないにも関わらず、「偉い方がおっしゃっていることだから間違いない」と勝手に決め付けてしまう、そんなやっかいな癖を持っている人がなんと多いことか。

本書はそんな経済指標の示す意味、実体経済ではどのような変化が起こっているのかを詳細なデータとともに紹介している。いかに我われが誤った認識をもっていたのか、どうすれば日本経済の未来は明るくなるかについて、こ難しい経済用語を使わず、懇切丁寧にわかりやすく説明してくれる。なお、デフレについてはそれほど述べられていない点付記しておく。

日本経済の停滞の原因、それはずばり人口構成にある。生産年齢人口の減少と高齢者の増加こそが、日本経済を駄目にした主要因であると本書は論じる。簡単に言うと、若かりしころは消費欲に溢れていた世代が歳をとり、消費欲が減退したおじいちゃん・おばあちゃんの増加に伴い、行き場をなくしたお金が金融商品などに回って需給サイクルが崩れたことに大きな原因がある。生産年齢人口の減少が引き起こす慢性的な需要過多こそ、日本経済の停滞を招いている「諸悪の根源」というわけである。

今後の日本経済を鑑みるに、上述の生産年齢人口を増加に転じさせるのは半世紀は無理であるのはわかっている(過去30年の出世者数は2を割っている)。では、どうすればよいのか?簡単なことだ、老人の消費欲をそそる商品で世の中を溢れさせればいい。もっとも、このままいっても福祉・健康サービス分野は順調に成長していくだろう。ただ、上手い戦略をとれば、一層の成長が見込める。民と官が連携し、一つの巨大産業に育て上げれば、海外への展開もみえてこよう。そうなると、更なる利益を見込むことが出来よう。

しかし、高齢者の市場ばかりを育ててもだめである。如何せんバランスが悪すぎる。ではどの市場を伸ばせばいいのだろうか?「モノつくり大国日本」の名が示すように、モノを売って利益を稼ぐ市場を伸ばせばいい…が、そのときに注意すべきは、大量生産品ではなく、高級嗜好品市場を伸ばすということだ。狭い領土と高い人件費を抱える日本国が見習うべきは、アメリカ型の生産スタイルではなく、スイスに見られるような「付加価値の高い製品」を生み出していくスタイルだ。戦後は戦争の特需とアメリカという大きな市場に助けられ、高度経済成長を達成することが出来たが、それも高止まりになってしまった。そして、中国とインドという超巨大国家がもの凄いスピードでアメリカ型の大量生産スタイルに移行している事実を鑑みると、日本産業が今後とるべき戦略は大量生産型ではなく、高付加価値型のモノつくりスタイルに移行することであるのは一目瞭然だろう。

もう一つ日本が利益を伸ばせる市場がある。それは観光市場だ。世界各国の国際観光収入と比較しても日本は28位(1兆円程度)と経済大国としては下位に位置している。人口一人当たりで換算すればそれはそれは残念な数字になってしまう。しかし、日本のもつ、観光市場のポテンシャルは非常に大きい。国土こそ狭いが、多様な伝統文化とおもてなしの精神、世界最大都市東京を有することを鑑みれば、日本の観光市場が世界トップクラスの魅力を放つ素地は十分にある。必要なのは、国と民が一丸となってこの市場を伸ばそう・成長させようという「強い意志」。これさえ芽生えれば、日本の観光収入は2、3段伸びるに違いない…と私は個人的に思うのだが。

※読後感想ですが、タイトルのデフレ云々は影を潜め、日本の成長戦略にスポットライトを当てて書かれていたように感じました。「一昔前の「モノつくり大国」に固執することになれば、今後一層厳しい局面を迎えるだろう」という点、「日本の産業はスイスやイタリアのようなブランド力の強い企業を育てていく戦略をとるべきだ」という点、大変共感致しました。マーケットの成長の鍵を握るのは、過去の栄光にしがみつくのではなく新たな道を切り開くこと…本書は起業を考えている人に大変参考になる書籍だと思います。是非購読あれ。

2010年8月9日月曜日

What makes innovative company?

溜まりにたまった本をどうするか。今までは読み終わると、パソコンに気になった所を落として、邪魔だ邪魔だといわんばかりにAmazonの談ボール箱に押し込めておりました。しかし、流石にそろそろラックに納めないと収集がつかないレベルに達して参りました...ちゅーわけで、シェルフを買いにIKEAに行って参りました。田園調布からシャトルバスが無料でており、これを使わん手はないというわけでそそくさと乗車。三十分ほど座席でスヤスヤ...だいたい30min.程で到着。
降車してのち、IKEA入場。いやはや、広ーいこと限りなしです。トコトコ歩みを進めてリビング収納コーナーへ。あるわあるわ、目移りしちゃうコギレイナシェルフが。一番気になったのはウォールシェルフ。あれは本をうまく見せるに最高のシェルフであります。が、壁に穴を開けないと行けないのが難点...と言うわけで、今回はボックスシェルフにしました。200h×160wでなんとか凌ぎ切れるだろうと安易な気持ちでいるのですが…はいりきらなかったらどないしましょですね。まぁそん時はそん時で増棚すればいいわけで…とは言うもののスペースがないわけで…電子書籍にするにはちょいともったいないと躊躇しちゃうとどんどん溜まるわけで。ジレンマの日々ですね。

さて、財布がどんどん寂しくなっていく今日この頃、そろそろ本格的な節約生活に入らねばと心しているえびすが紹介する本はこちら。
商品の詳細

ピクサーといえば、トイストーリーやファインディング・ニモを思い浮かべる人が多いだろうか。いや、ピクサーといえばジョブスだろうという意見も聞こえてきそうだ。私としては、作品そのものよりも、トイストーリなどの素晴らしい作品を常に配給し続ける、ピクサーの会社組織に興味がある。芸術とコンピューター技術を駆使し、ピクサーが生み出す作品は、実写映画にしばしばありがちな妥協点が感じられない。一つ一つの動作に「味」があるとでも言うか…繊細なモーションにいつも目を奪われるばかりである。そして、何より一年に一本というハイペースで作品を作り上げている点、驚きの念を隠せない。ピクサーは世界一の映像クリエーター集団であると断言しても異論ないだろう。

さて、本書は、そんな世界最高峰のアニメ映画制作会社ピクサーが会社経営を進める上で、どのような点を重視して仕事環境を整え、従業員の教育を行っていくかについて平易な言葉で綴られている。全体を通した基軸は「創造性」であり、如何にして創造性が喚起されるのか、豊かな創造性を持つにはどうすべきかについて示唆に富む例証を示している。

昨今の経済を鑑みると、仕事効率化をフラッグに短期的な展望に基づいて世の中は、より短期的な展望に基づいて結果を出すほうへ向かっているのは間違いない。企業としては、少しでも目先の利益を確保しておきたいという念に駆られるのは仕方のないことだろう。世界を見渡してもほとんどの企業は、短期的な展望に基づき「速く安く」をモットーとした戦略を組み立て利益を獲得できる戦略をとっている。しかし、ピクサーはこれと全く逆の戦略をとる。長期的な展望を持ち、社員一人ひとりが高い志を持って一つ一つのタスクに精魂をこめる。

ピクサーは創造性が喚起される環境つくりにも徹底てきにこだわる。普通の企業では無駄だと考えられるような無意味に広いアトリウムを設けたり、会計の仕事に携わる社員にデッサンの講座を受けるよう促すという経費の無駄使いに当たるようなことに積極的に取り組んでいる。しかし、ピクサーのトップはこれらは作品を作る上で非常に役に立っていると述べる。彼に言わせると、「広いスペースを設けることで、異なる部門の人たちが集いやすくなり、対話を重ねるうちに新しい発想が思い浮かんでくる」のだとか。また、自分の仕事とは全く異なる分野の経験を積むことで、斜めの視点から作品に対してアドバイスを加えたり、会社の方向性を包括的に理解することができるとのことだ。

効率化を謡い無駄だと短絡的に考えて排除してしまった空間・企業文化などが実は全く無駄ではなかったということもしばしば起こっているのではないだろうか。世間一般には無駄だというレッテルを貼られたものごとに対し、自身の判断だけをもって価値を見出すのは難しいことであるのは間違いない。しかし、そこにお宝が眠っているのも間違いないことであろう。周りとは違う行動をとること、そして、大きな長期的Visionを持つことこそ今の日本企業に必要なことなのかもしれない。

※最近、日本の企業でも広いアトリウムを設けるといった例をしばしば耳にします。素晴らしいモノを生み出すにはそれなりの環境を整える必要があります。わけ隔てなく、誰とでも気軽に対話・談笑ができるスペース、未知の分野に足を踏み込むチャンスを与える制度、数え上げればまだまだ出てきそうです。資源に乏しく、外需頼りな日本産業の今後の方向性を考える上でも、創造性は非常に重要な要素です。高度経済成長期は労働力と勤勉力をもって、世界第二位の経済大国にまでのし上がりました。しかし、この二つの力は中国とインドに持っていかれがちです、いや、今後一層加速度的にシフトしていくことでしょう。そうなると、日本経済は結構厳しい局面にはいってまいります。そうすると、何を持って飯をたべていくのか?一つの方向性として、労働力に変わる創造力が、日本経済の未来の鍵を握るものと僕は考えています(ラスキンじゃないですけど)。なぜかって?他国の歴史がそれを物語っていますから。

2010年8月4日水曜日

AHO as a human being!

気付けば我がブログも80回を越えることが出来ました。これもすべて皆様の暖かいご声援と厳しいご指摘のおかげであります。心より感謝の意を表します…いや、表するだけでは足りませんね。無理やり届けさせていただきますので、気が向いたら受け取ってあげてくださいませ。―ARIGATOUー
Without your support, I must not be able to continue this blog so a long... I would like to show my appreciation for you with the word "ARIGATOU".

さて、世界中にARIGATOUをばら撒きすぎて、精根尽き果てつつあるえびすが紹介する一冊はこちら。
商品の詳細

「アホ」。不思議なもので、知人にアホといわれる場合と馬鹿と言われる場合で、私の心証は大きく異なる。前者にはどこか愛嬌染みたものを感じ取れるが、後者には断固とした否定の念を感じざるを得ない。自身、生まれも育ちも三重県ということもあり、日常の様々な場面でアホを使っていた経験がバイアスをかけているのかもしれないが、アホはTPOにより、プラスにもマイナスにも評価の軸が変わるものである。プラスの場面の代表例は、大阪のおばちゃんが自分のことを褒められたときに使う「アホやから」、マイナスの場面のそれは、ここで紹介するまでもないだろう。

本書は「アホ」のマイナス面を徹底的に洗い出している。大切な取引の場所で、禁句を発してしまうアホ、場の空気がしらけるとわかっていても自分のネタを披露しようとするアホ、わがまま=小悪魔的にかわいいと勘違いしているアホetc 数え上げるときりがないのでこの程度にとどめておく。

アホが生まれる背景として、筆者は強迫神経症を誘発する社会背景、メディアの程度の低さ、間違った愛情教育等があるという。一朝一夕にアホは造られるのではなく、それなりの社会環境・家庭環境の変遷とともに造られてきたと考えるべきであろう。若手のアホを量産したのは、今の大人達が築き上げてきた社会・家庭である点は、留意されたい。

社会的にあまり好ましくない言動をとるアホは、社会から排除すべきであるのか?アホを排すれば、理想の社会が築けるというのだろうか。いや、そうではない。アホがいるからこそ、我々は心を許せる一時を共有することができるのだ。何事も綺麗に、機械的に進む世の中を創造してみて欲しい。どこか息苦しく、味気ない感じがしないだろうか?また、「アホ」がいて始めて普通のヒトが重宝される。そして、時に自らが「アホ」になることで、心を解放することができる。安易に「理想の社会」を掲げてアホを排するのは止した方が良いのは間違いないだろうと私は思う。

※僕自身は「アホ」って言われるとなんか嬉しい…というのも、「アホ」であることは他の人と違う何かを持っていることを意味するのですから。お酒の席なんかで、笑いながら「えびちゃんってやっぱ、アホだよね~」とか言われると、もうその席はおごりたくなっちゃうくらい。TPOを理解した上で「アホ」の面をかぶる能力をもつこと…人生の目標の一つである「底辺の美学」に通じます。

2010年8月2日月曜日

Dream in the Dream...

さて、8月が始まりました。ここ数日は終電で帰宅することが多く、充実した日々を送っています…とはいっても、仕事ではないんですけどね。宮崎あおいちゃんに惚れて始めた写真撮影が、結構な趣味として育ち、グループで展示を開催することができるまでになりました。作品を展示することで、自分の視点ではなく、鑑賞者の視点を聞くことの楽しさと大切さを身にひしひしと感じる今日この頃であります。

さて、次はポートレートの作品を造ろうと意気込んでいるけど、なかなかモデルになってくださいとお願いする勇気がもてず、もどかしい気持ち一杯のえびすが紹介する映画はこちら。


「インセプション」とは日本語で「発端=起源」を意味する。私が「インセプション」という単語から頭に思い描くイメージは、新しいビジネスモデルや芸術作品といったものであり、比較的、明確な形ある像をインセプションととらえている節がある。しかし、本作で定義されるインセプションのフレームは非常に広範だ。心の変化を引き起こす些細な一言や言動までもインセプションとして考える。
インセプションはどうやってうまれるのか?それは自身が経験し、考え、蓄積してきた知識及び智恵によってうまれるものと考えられよう。そしてもう一つ忘れてはならないインセプションがある。それは、「洗脳」によるインセプションだ。洗脳と聞くと、どこか宗教くささを感じざるをえないが、本作の洗脳は企業テロとも言わんばかりの戦略をもって実行されるものである。

本作で印象に残っているのは、夢を多層に構築している点である。夢の中の夢、さらにその夢の中…あまりに深く夢の世界に入り込むと、現実の世界に戻ってこれなくなってしまう。例えば3層の構造を持つ夢を考えよう。一番深い層の夢から目覚めた世界は、まだ真ん中の夢の世界。そして真ん中の夢の世界から目覚めても、まだ浅い層の夢の世界…各々の夢の世界から目覚めるには、各層で「死」を体験する必要がある。そう、死を持ってしか現実を確かめられないため、仮に現実を夢と間違えてしまったときは、取り返しがつかない結果を招く。

また、階層に分かれる夢同士の世界は互いにリンクしている。上述と同じように3層の構造で例えると次のような感じだ。
・現実世界で地震が発生⇒3つの夢の世界でも地震が発生。
・一番浅い夢の世界で足を骨折をする⇒真ん中の世界では足を打ち身する、一番深い夢の世界であしをぶつける
・一番深い夢の世界で怪我をする⇒一番浅い層、真ん中の層には影響なし
・深い夢の世界になるほど時間の経過は遅くなる。
ここで重要なのは、リンクの方向性は一方向、すなわち深い層へ向かう方にしか働かず、その程度は層が深くなるほどに軽くなっていくということである。しかし、全てが一方向であるとは言い切れないだろう。例えば、夢精などは夢の世界の体験が現実の世界に影響を及ぼしているのは間違いないと考えられるからだ。時間の経過については、ベッドから落ちる時を想像すると理解しやすい。現実世界ではベッドから地面に落ちるまでにかかった時間が0.5秒だったとする。現実世界の1秒は夢の世界の12秒に相当すると考えられているので、ベッドから地面に落ちるまで6秒かかるわけである。つまり、夢の世界で無重力状態が6秒続く。6秒のうち、最初の2秒ぐらいでおよそ現実界でどんなことが起こっているかを把握する、すなわち警戒態勢に入る。よって、現実世界では夢を見ながらも0.17秒で警戒態勢に入ることができるため、受身を取ることができるというわけだ。

夢の世界の多層性の概念、夢の世界での天地創造、夢の世界の同時共有、夢の世界の時間概念さえ把握できればそれほど難解な映画ではないと思う。おそらく、難しいと感じている人の多くは、メディアにこの映画は難しいという概念をインセプションされたのではないだろうか

※少し構えて鑑賞に入ったのですが、何のことはない東浩紀の「クォンタムファミリーズ」を読んでいたおかげで、夢の多層構造についてはすんなりと理解ができました。まぁ、夢を題材にすると話はどこまでも広がります。眠っているときの夢だけでなく、やりたいことを実現するという夢にもであります。

2010年8月1日日曜日

女性を制するものは世界を制す。

先日、電車の中から興味深い光景を目の当たりにしました。それは「水の柱」、俗に言うゲリラ豪雨のことであります。半径500mほどの水の柱の内では、1時間に50mmを超える雨量を記録するとか。年間雨量が2000mm弱の東京にあっては、ほんの1時間で年間雨量の1/40に達してしまうのですから…東京のようにアスファルトが多い地域ではプチ洪水状態がいたる所で発生し、交通機関の麻痺を引き起こすことか。でも、経済的損失以上に、河川の増水による死亡事故等の発生こそ憂慮すべきでありましょう。それほど時化ていないことに安心し、もたついている間にも水は物凄い速さで増水、ついには逃げ遅れてしまうという悲惨な事故であります。東京の河川は上流が西に位置するため、上流でゲリラ豪雨が発生していても、下流では肌にわずかに感じ取れるくらいの小雨程度といった状況がままあるとか。「まだ大丈夫」が命取り、本能的に何かを感じ取ったときは、早めの決断・行動が吉であります。

さて、本能的な嗅覚を養うために、山篭りでもしようかと真剣に悩んでいるえびすが紹介する本はこちら。
商品の詳細

世界の消費の64%は女性が支配している…確かに、モノを購入する意思決定に至るまでの過程を振り返ってみると、妻や恋人の意見が強く反映されている場合が多い。特に、子供を持った家庭まらば、妻の意見は絶対意見に格上げされることしばしばである。

マーケットの拡大はどこにある?この質問に対し多くの人が返す答えは次のようなものだ。…「中国やインド、ブラジルの勢いが凄い。彼らの成長が我々の市場拡大に直結する。今後の先進国での売り上げはよくて横ばい程度に留まると考えている。企業の成長を考えると、先にあげたような新興国のマーケットに、頼るしかないだろう」…
このように、世間一般では新興国やBRICsといったカテゴリーでマーケットの拡大をとらえている傾向にある。たしかに、その著しい経済成長率を目の当たりにするとそうなってしまうのも無理はない。また、人口の数が多い分、それだけマーケットが急拡大する期待も抱きやすい。
しかし、この分析はあくまでも「国の成長」に沿った軸でしかとらえていない。雇用の創出により、多くの人が資金的に豊かな経済状況を手にする。お金の余裕が出てくると、これまでは眺めていただけの製品を、我が手中に収めることができるようになってくる。かくして、マーケットが拡大していくといった「大きな枠組み」でしかマーケットをとらえていない。そして、先進国のマーケット変化・拡大については、目をむけていないのが現状である。

上述の前置きを踏まえて、本書がターゲットとする「ウーマン・エコノミー=女性がつくる市場」を読むと面白さは倍増するはずだ。内容としては、新興国のマーケットの拡大に加え、先進国のマーケットがどのように推移するのかをとらえつつ、「女性のニーズ」はまだまだ汲み取れきれていない点に注目し、「女性マーケットの拡大」について、統計結果といくつかのグローバル企業の成功例を引き合いにだし、その可能性を分析していくものだ。具体的には、まずはじめに「女性の社会進出・重要なポジション獲得の増加」+「家庭収入を増やすこと」に着眼点を置き、どういったタイプの女性消費家がいるのか(6タイプ)を分析する。そして、各々の消費家のニーズは何であるかを洗い出し、彼女たちが求める商品・サービスの具体的な像を作り上げていく。

様々なデータを元に分析し浮かび上がってきた像、そのいくつかを紹介する。
まず【悩み】について。どのタイプの女性消費家も直面している悩み、それは「仕事と家庭の両立」「優先順位をつける難しさ」「自分の時間がない」である。悩み=ニーズであり、裏を返せばまだまだ汲み取りきれていないニーズがたくさんあるということだ。それは、新興国だけでなく先進国にも当てはまることで、マーケットの創出=利益の創出につなげることができる。
次に【性質】について。女性は総じて「他の人の利益」「人とのつながり」「社会貢献」につながる商品・サービスに対し、好感度を抱く傾向がある。母性本能から来るものかはわからないが、よりよいコミュニティを築くことが、人生の優先順位のうちでも高位に位置しているものと考えられる。

本書は、ターゲットを女性に限定していることが功を奏し、企業がとるべき戦略の方向性・女性マーケットの今後の展望について非常にわかりやすくかかれている。また、随所に成功事例を紹介してくれていることもあり、自分で新しいマーケット戦略を立てる際にも参考にできる点がたくさんあるのは間違いない。また、今後の日本が歩むべき道・戦略の一つとして女性マーケットを鑑みると、まだまだ日本独自(文化や人柄)のポテンシャルを活かすことができる場はたくさんあることに気がつくことであろう。

※今後、女性をターゲットとした商品・サービスは一層増えてくるのは間違いないでしょう。そこで、いかに差別化できる強みを商品・サービスに埋め込むことができるか。面白い趣味や経歴、長年続けていることなんかは、結構大きな強みになったりします。まだ、女性にターゲットを絞った商品を創っていない企業こそ、一層の発展の可能性を秘めております。ふむ、国を挙げて女性にターゲットを絞った産業を築ければ、あたらしいかたちの「ものつくり」大国をきずくことができるのではないかな?と思う今日この頃であります。