2010年8月26日木曜日

Think, Consider, Plunge...

さて、いよいよサンデル教授の講義の中身をご紹介。とはいいつつ、生講義であった参加者側からの発言内容は脇において(ちょっと議論になっていなかったり、ロジックが通っていなかったりでしたので…)、僕の自論を展開させていただきたく思います…わがままいってすいません。講義の模様は10月に放送されるとの事ですので、そちらで宜しくお願いいたします。
※もしかしたら、えびすも映っているかも!?白シャツにグレーのパンツのおっさんです※

ではでは、Justiceをちょっとわかりやすく解説していくとともに、サンデル教授から提示された各々のテーマについて理解を深めていきたいと思います。とってもながーくなってしまうので3回くらいにわけて掲載しますね。

Justice in Yasuda koudou, Tokyo University

~導入:ベンサムの功利主義、カントの道徳・尊重・義務~
まずサンデル教授が最初に持ってきたのは、現地の授業でもとりあげている有名な事件だ。
ある4人のセーラーが大西洋のど真ん中で遭難してしまった。十数日がたち、食料・飲み水も底を突いてしまい、彼らは一つの「人間の限界」に直面していた。なかでも、陸に身内がいない青年パーカーは瀕死の状態にあった。そこで、彼らの一人が「…パーカーを殺して食べよう…それしか、俺達が生き残る道はない」と提案する…3人はパーカーの同意を得ずに彼を殺し、その人肉・血を食らうことで、残りの三人は「人間の限界」を乗り切ることができた。そして4日後、無事救助船に発見された。

さて、助かった3人がパーカーを殺したことは、Justiceの観点から見たときに正当なものか?これには二つの意見が考えられよう。一つ目は、最大多数の幸福を考えると、確かにパーカーを殺して残りの3人が生き残ることを選択するのは理にかなっているという意見。もう一つは、パーカーを殺したこと、それはあくまでも「殺人」行為として取り扱われるべきであり、3人は司法に法って処罰されるべきだという意見だ。

前者の言い分は、1人の命よりも多数の人の命を救ったほうが、全体の幸福は大きくなる(1人の幸福×3人)というもの。後者の言い分は、個人の権利を尊重すると、パーカーを「同意なく(ここが重要)」殺すことは認められない。いくら彼に身内がいないからといって、彼の未来を奪うことを、他の人間が功利的に判断していいことではないというもの。

ふむ、前者のそれは理解しやすいだろう。個人の幸福の質までは考えず、あくまでも量で幸福をはかっているからだ。では後者のそれはどうか?もしそこにパーカーとの契約なるもの(俺を殺して食らえ)があったならばどうだろう?パーカーを殺すこと、その行為自体に違いはないわけだが、「本人の同意・契約」というものがそこに立ち現れてくると…ふむ、不思議とパーカーを殺すことに反対だった人の幾らかは「それならOK」という立場に変わってしまう。

サンデル教授は言う。「人は問題の背景をどのように理解するかによって、最初に下した判断が覆うるということ、これはとても興味深いことだ…」
ここで、功利主義と人権の尊重をめぐる議論を終え、「オバマとイチローの給与差」に議題は移る。

~税金による所得の還元はなすべきか?:自由主義と民主資本主義~
オバマ大統領(以下オバマ)とイチローの年収はそれぞれ4000万円と18億円程度だ。一般庶民のそれ(例えば教員だったら500万円程度だろう)からみると、彼らの年収は天にも届く位置にあるように見える…が、よく考えてみると、オバマと教員の間では年収差は8倍であるが、イチローのそれとは360倍にも達する。そう、オバマとイチローの間でも45倍の差がある。

では、イチローはそれだけ「世の中に貢献する」ことを成し遂げているのだろうか?オバマの45倍以上の仕事を成し遂げているのだろうか?ここで重要になってくるのが、市場原理だ。オバマの仕事のフィールドである行政は、あくまでも市場とは一歩距離を置いたところであるのに対し、イチローのそれは、国全体の利益に直接関係する(ここでいえば観客動員数や広告料など)ところである。

ただ、実際にはイチローには大きな税が課せられており、18億円をまるまる貰うというわけではない。半分近くは行政に徴収されてしまう。そして、徴収された税金は様々な形で「再分配」されていくわけである。そこには本人の意志は反映されることはない。強制徴収によって、イチローが貰うお金は大きく減ることとなる。

さて、上述の状況を踏まえた上で、「市場における課税」について考えていこう。
本人の意思に関係なく、強制的にお金を徴収することは、果たして正しいことなのか?という点が議題にあがる。資本主義の社会にあっては、利益を得た分は全て自分の意思に基づき、自由に使うべき制度にすべきだという考えと、人が給与を獲得できるのはあくまでも社会あってのことだから、その社会に対して何らかの還元は強制的にでもすべきであるという考えがぶつかりあう。

前者の言い分は自由主義の考えに基づくものだ。自由社会(ここでは民主資本主義ととらえてください)の元では、物事の決定権はすべて「自分」に属するものであり、そこに外部からとやかく言われる筋合いはないというもので、ミルトン・フリードマンによって提唱された。後者のそれは、広く我われが共有している考え方であり、一種のコミュニタリズム(共同体主義)に基づく考え方である。

サンデル教授があげる議題に、明確な答えというものは存在しない。「どちらがいいのか、それは断言することはできない。そして。おそらく答えを1に決めることはできないだろう」…聴衆の頭にある「当たり前だろう」という考えは議題が進むごとに揺さぶられてくる。

※長くなりましたので、ここらへんでカットします。