さて、冷房が効きすぎているカフェに入り、うたた寝している間に風をこじらせてしまい、何とも計画通りにことが進められていない自分へのやるせなさ一杯のえびすがお送りする書籍はこちら。

アダムスミス(以下スミス)は国富論で有名であるが、他にも興味深い著作がある。本書で取り上げられている「道徳感情論」がそれだ。というのも、スミスが書籍として世の中に送り出したのはこの二つしかない。本書には国富論と道徳感情論、双方の解説がなされているのだが、今回の書評では、世間的にあまりしられていないであろう「道徳感情論」について掘り下げてみたく思う。
道徳感情論。その字が示すごとく「道徳というものは人間の感情によって形成されるものである」ということを本論文は主張している。ある新しい「コミュニティ」に入ってきた人を想像してみよう。彼は最初のうちは、以前に住んでいた土地の「慣習・文化・教育背景」にしたがって、自身の考え方・意見を述べることだろう。しかし、新しい土地では彼の考え方はなかなか受け入れてくれない…。孤立化することを恐れる彼は、そのコミュニティの「道徳」に迎合するような形で、自身の「考え方・意見」を変えていかざるをえなくなる。では、新しい土地に住む人たちの道徳を支えている要素は何か?スミスは「人間の感情」がそれらを支えていると考える。政治背景・経済背景・人種背景に対する理解の多くは、当該コミュニティを形成する人間達の「総意としての感情」に支配されるものであり、それにともない彼らの道徳が形成されるというわけである。
スミスの考える「道徳」、それは時代によって様々に姿を変えるものである。これは、先のサンデル教授の考える(カントの考える)道徳とは異なる方向性を持っている。皮膚感覚で表現するならば、スミスの道徳は「より表層に近いところ=周りからの刺激によって様々な反応を示すところ」の道徳であり、サンデル教授の道徳は「より根源的な、一意できまりうるようなところ=周りからの刺激によって反応を示すことがほとんどないところ」の道徳である。サンデル教授が述べる道徳と同じ意味合い=普遍的な人間の判断基準として、スミスは「正義」を用いている。人間に備わった普遍的な「善性」をスミスは「正義」と述べる。
少し脱線してしまった。本筋に戻ろう。
道徳感情論でスミスが示唆する最も重要な点は何か?それは、社会的価値観というものは、時代と共に移り変わりやすく、謝った方向に進んだとしても、時間の経過と共に正しい方向に戻って来るはずだと考えた点である。スミスは万人に備わる「正義」により、「人間として」本質的に間違った行為は正されると述べる。コミュニティ(村・街・国)が誤った方向に進んでいるとしても、周りの圧倒的多数の「正義」をもつ者達が、彼らの方向を正すはずだという考えだ。…これを踏まえると、スミスは「社会には絶対的多数の善者がいることを前提」として、国富論を書いたものと考えられる…なるほど、彼が経済学の父と言われる意味をようやく理解できたように思う。
※本書は、これまで出会った書籍のなかでも指折りの一冊です。道徳感情論は僕も本書と出会うまではその内容を全くしりませんでしたが、本書の丁寧懇切な解説のおかげで、スミスが国富論の前提としての社会をどういったものとして捉えていたのかを学ぶことが出来ました。いやはや、国富論だけだと、どうしてもスミスを尊敬できないところがあったのですが、道徳感情論を知ったことで、「なるほど、確かに経済学の父だ」と思うようになりました…無知は恐ろしいものです。一層、読書に励まねばと思い至らされる書籍でした。新書でお求め安いので是非!特に大学生の方は一読しておくと、後学に活かせること間違いないと思います…あくまで僕の私見ですけどね。