サンデル熱は増すばかり?先日、恵比寿の有隣堂にいったら、哲学コーナーに「ジョン・ロールズ」のコーナーが出来ておりました。いや、びっくり。本当に。ロールズの哲学を理解するには、アリストテレス・カント・ミル・ベンサムの哲学がベースにあるので…つまりは、彼らの哲学を理解してからロールズに取り掛かるべきであり…カントの哲学を理解するのは、相当大変なことであり…うーん、哲学を専攻しているお方から叱りのお言葉があっちこっちから出てきそうであります。
さて、自身大学院時代から哲学書を愛読しているにもかかわらず、世間からは巷のサンデルブームに便乗しているように見られてしまい、ちょこっと悲しい気分になっちゃったえびすが紹介する本はこちら。
渋沢栄一といえば、日本資本主義社会の祖という像が思い浮かぶことだろう。現在の日本企業の多くは、渋沢栄一無しには存在し得なかったと言われている、たしかに、彼が創立に関わった企業のうち、現在大企業となっている企業はいくつもある。東京ガス、キリンビール、東京証券取引所etc…数え上げればきりが無い。
渋沢の資本主義に対する考え方は、今の経済社会に一般的な「資本本意」のそれと大きく異なる。彼が説いた資本主義の根幹を語るに、「人間性」は外すことのできない重要な要素である。ここでいうのは「人間性」というのは、論語で言うところの「仁・得・礼・律」にあたると思っていただければよい。資本主義に孔子様の考えを適用しようとは何事か!と叱咤を受けるかもしれないが、彼の考える資本主義は「資本」というより「成長」と言い換えたほうがしっくりくる点、論語に源泉を見るのは間違いではないだろうと私は思う。渋沢が思い馳せる「人間性」、それは「人を思い、他人を思い、彼らの幸せのためにそして、自身の幸せのために一所懸命はたらく」ということだ。
お金を稼ぐことに世の中の多くの人が否定的な意見を述べているのは昔も今も変わらない。至る所から「金持ちは税金を高くしろ!みんな平等にするべきだ!」という声も聞こえる。だが、みんなが平等な賃金しか獲得できなくなった社会はどうなるだろうか?仕事によって多少のインセンティブをつけるにせよ、「進歩すること」に対するモチベーションが低下してしまう懸念が湧く。モチベーションの低下がもたらすもの、それは「人間の進歩の停止=文明の進化の停止」である。人間を人間たらしめている要素がすっぽり抜け落ち、ただの機械に成り下がりかねないのは想像に易いことだ。
しかし、そもそも論として文明はこれ以上進歩する必要があるのだろうか?この点も考慮しておくべきだ。渋沢の時代からおよそ150年が経過した現在、技術の進歩は当時と比べ物にならないレベルにあるのはよくご存知の通りである。しかし、それと相反するように、我われの人間の進歩は止まってしまったように思われてならない。いや、退化してしまったといっても過言ではないだろう。家族を思うこと、他人を助けること、社会を育てることに対する意識が、今の人たちの間で低下しているのは間違いないように思う。これを鑑みるに、文明は進歩を止め、今一度他人を思うことを思い出さなければいけないとも考えられる。はたして、どちらのポジションをとるべきであるのだろうか?
これまでの資本主義の形は「個人の利益」に走るものであった。その結果、個人を越えた「大きな利益」に対しする意識が低下してしまった。この反動か、リーマンショックの影響か、ここ2年の間で多くの人が自己資本本位の発展に対して疑問を抱き、新しい資本主義の形を模索しているように思う。まだ、明確な形にはなっていないが、新しい資本主義の形という花を咲かせる種は、日本全国・世界各国に蒔かれつつある。数年後、この種が大きく成長し、新しい資本主義の世界(資本主義ではないかもしれないが)が花開くこと、こころから願う次第である。
※渋沢栄一の考えは、何も利益主義である株式会社だけでなく、NPO団体のリーダーの方々にも是非参考にして欲しく思います。とりわけ、利益を得てそれを社会に還元するということは、NPOの経営において非常に重要な核となると思うからであります。なぜかって?そもそも行政からの援助は国民の税金からなっているのであり、それはつまるところ一般消費者からお金を頂いていることに繋がるからです。運営資金を獲得するに当たり、全てを寄付・助成に頼っていいものでしょうか?「持続的な活動」が出来るかどうかを考えると、ビジネスモデルをそこに組み込む必要があると、僕は考えるのですが…その点、フローレンスとTable For Twoの経営方針に、未来のNPOのありかたの秘訣が隠されているように思います。
