今回は最近の思うことを少しつらつら書き連ねてみました。
~ Picture of my thought ~
しばしばテラス席に座って通り行く人たちを観察するのが癖になってるのですが、この観察が結構面白いんですねぇ。コンクリートの出っ張りに躓く動作、ビルの隙間から吹いてくる風に流れる髪の毛、何かをカメラに収めようと頑張っている青年etc。僕の視覚が把握しうる世界のうちですら、多様な事象が起こっている。もしも、僕の頭が視覚を超えいでて世界中の事象を把握することができるならば、頭の中にはどういった世界がたち現れるのでしょう。ちょこっと想像してみましょうか…とはいっても、僕には全く思い浮かべられないのですが。
~ The goodness and badness of five senses ~
長年生きてきた五感の経験量のおかげもあって、人間が事象を把握するにおいては必ず一つの面しか感じ取れない。他の面が現れるとしても、それは必ず先の面とは時間的な隔たりを持った状態においてであり、先の事象と全く同じであると言う保証はどこにも無い。コンマ一秒以下の世界でも、我われの身体を流れる電子は勿論のこと、事象に含まれる物・ヒト・空気の電子状態も変化しているはずです。なんで、視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚なるものはすべてとして「同じ感覚」を得るということは極めて確率的に低い…というのも、電子は電子雲の状態で存在しているわけであり(霧吹きのミストを丸いケースにおさめたのが高校で習う電子です)、確率的にその挙動・ポジションが刻々と変化するため、一に…。ちょっと小難しくなっちゃいました。前置きが長くなりましたが、今日は時間について少し考えてみたく。
~ Time could not be arrested with one face ~
さて、ある哲学者の言葉をふと思い出しました。たしかこんなくだり…「観察することからすべてが始まる。事象に対して疑問を抱くのも、解決策を閃くのも、観察をもってしてである。みよ、過去の哲学者の観察力たるや、その凄さを」…誰だったか忘れてしまいましたが、いい言葉だなぁと思ったのでしょう。僕の脳にしっかりと刻みこまれております(あくまでその考え方だけですが)。しばしば出てきた観察、これが時間と密接な関係を持っております。観察においては、我われは意識をある程度長い時間維持した状態に持っていきますね。で、あまりに集中力が凄いと時を忘れてしまうといったことがしばしば起こる…その「時の経過」は私が経験するそれとは大きく異なるものであり、なかなかに不思議なものであります。ほんの少し人間が意識の在りかたを変えるだけで、時の経過への感じ方が大きく変わる…そこはまさにパラレルワールドとも考えられる。自分の意識だけが、少し時間軸が異なるステージに移行したと。
~Are we spending the same time in one world ? ~
現実の世界では「一応」我われは同じ時間を共有していることになっております。が、それはあくまでも世界が定めた「総意」においてであり、時間の本質を捉えたものではありません。上に挙げた集中力がもの凄い状態がずーッと続いている人間がいたとして、彼の感じる時間は集中力が無い状態のそれとは全くの別物であります。さて、ここで不思議な疑問が沸いてくるのですね・・・それは、集中した時間=感覚的には短い時間ということは、その間に僕が知覚する経験量なるものは減じられているのではないか?しかし、実際にはその逆のような事態、すなわち経験量が増えているように感じると。ストックとして我われの能が貯えうる情報量はどれほどかという点も興味深いのですが、また、どの程度までを我われの能は情報として捉えるのか、そしてそれを捉えるにあたってどのような過程を踏んでいるのか…。考えるほどに思考が散らばり、散らばった思考が新しい型を形づくる…が、再びそれは散らばり、一向に形にならない…「時間」、この不思議なる魔物は僕を魅了してなりません。
※暇さ和えあれば色々と思考をめぐらせて考えているのですが…闇夜の雲の隙間に隠れる月のごとく、ちらりちらりと僕の思考は誘惑させられているようであります…。あと50年くらいかけて、自分なりの答えを「形」に残してみたいものであります。













