人間の記憶とは不思議なものであります。いや、正確には意識と呼びましょうか。みなさま、しばしば夢を見られることともいます。僕も、毎夜のように夢を見る人なんですが、その種類はさまざま。幼少期の自分がそこにいたり、中学生で部活に励んでいる自分がそこにいたり…千差万別の自分に出会うんですね、夢の中で。もちろん、現実の世界でもそういった「自分」を頭に思い浮かべることは可能です。俗に言うところの妄想に長けた人なんかは、結構なリアリティを持った自分を意識下で描くことが出来るとか。僕には全くそんな能力は無いんですけどね…なんで、妄想力に長けた人にであうと「クソッ」と思っちゃうわけでありまして。で、そこで卑しい自分が嫌になるわけでありまして。ふむ、自己嫌悪に注意注意。
さて、若き頃はある分野において妄想の鬼と呼ばれたこともあったなぁと昔の頭の柔らかさを偲ぶ、一般ピープルえびすが紹介する書籍はこちら。
私が人間の脳にしばしば神秘を感じるのは上に挙げた「夢」においてである。というのも、夢の世界で「見た記憶も無い、経験したことも無い」ようなことが、鮮明に現れることがしばしばあるためだ。そんなに高度な数式など記憶した覚えは無いぞ…なるほど、そんなものの見方があったのか…こいつは天才だ、どうしてこんな思考ができるんだ…これらは、誰かと「対面する」ことでしばしば抱く思いである。そう、重要なのは「自分」に凄いと思うところではなく、「他人」に凄いと思うところだ。自分を基準にしての知識はやはり限界があるのだが、なぜかそのハードルを越えた知を持つ存在を夢の中に持ち出してくることが出来る・・・これはいったいどういうことだろうか?本書を追ってすこし分析してみたい。
本書のタイトルにあるように、脳の中はまさに美術館である。美術館という言葉が言い得て妙だと感心するのは、美術館の様々な「作品」を脳内の「記憶」のそれと結びつけることができるからだ。例えば、モネの絵という作品が脳内にあったとして、その作品をどうみることができるだろうか?現実の世界にあっては現実に目の前にあるモノを基準として、網膜にその像(Iaとする)を映し出すわけだが、脳内の世界にあっては頭の中(脳の中)にある「仮想」のモネを基準として像(Ibとする)を紡ぎだすわけだ。仮想であるが故、そこから引き出してくる像のフレームも広がる。なぜかって?不安定な意識下にあるほど可能性の幅は大きく広がっているからだ。これは容易に理解されたい。
この仮想の像(分子のように細かい要素が集まって出来たもの)を基準に描かれるIbこそ、まさに私が夢の中に現れる「自分のハードルを飛び越えた他人」にあたると私は考える。ただし、そこには無意識下という条件を付け加えるべきであろう。意識では汲み取れない要素、いやむしろ意識が拒んだ要素を無意識下では存分に解放できる。その結果、0ベースの地点から、像を紡ぐことが出来るわけだ。そこで出来上がった像は、なるほど、意識下にある「私」が理解できないのも無理は無い。「私」は、それを意識する以前に拒絶しているのだから。
脳について新しい一面を感得できるという点で、本書はいいツールとなるだろう。ただし、本書をそのまま受け止めて留まるのではいささか勿体無い…というのが私の思いだ。写真・絵画・マンガと脳の関係性の橋を渡り歩いる内に、自分の脳内美術館を振り返るという行為にも是非挑戦していただきたい。唯一無為の思考方法を得る最初の一歩として、本書を薦めたく思う。
※脳の中とは面白いもので、小さい頃から興味津々でした。なんで夢を見るのかなぁと、なんで記憶っちゅーもんが存在するのかなぁと不思議に思ったわけであります。で、その不思議心は今も拭えないでいるわけでありますが…知れば知るほど神秘に満ちた要素が立ち現れてくる…そんな脳の中に今後も翻弄されつつも魅了される自分の姿がありありと脳内に映ります。
