2010年10月4日月曜日

The People are Inclined to Dive into Implicit Knowledge.

さてさて、ここ数日ラジオ版学問のススメにかなりはまってっしまいました。いやはや、無料で1時間弱にわたる一流の方々のインタビューを聞けるのは嬉しい限りであります。お勧めは栗城史多さんの回。栗城さんの「自分で決断して、実行して、失敗してもそれを隠さず、次の目標に挑戦するその姿勢」にひどく感動しました。彼の生き方・考え方には見習うべきところはたくさんありますね、新しい何かに取組もうとしようとする人にはそれを特に感じ取るのではないでしょうか。更なる活躍・経験の積み重ねを期待するばかりです。

さて、「ロールモデルは誰ですか?」と聞かれたときに、「いません。僕自身です」と大見得きって答えてみたい誘惑に駆られる、3小(小心・小物・小動物)男、えびすが紹介する書籍はこちら。

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しばしば本ブログでも言及している無意識下の知識。今回紹介する「暗黙知」も片足を無意識の世界に踏み込んでいるといっていいだろう。夢の中に出てくる、"全く聞いたことも見たことも無いような物事に出会う"といった意識下には昇ってこない"明瞭な知"はなく、「こんな感じもあったかなぁ」といった"不確かな認識程度の知」と考えていただくといい。さて、前置きはこれくらいにして、さっそく本書の内容を評していこう。

「暗黙知は身体と事物との衝突から、その衝突が意味を包括=理解することにより、周囲の世界を解釈する」とポランニーは述べる。噛み砕くと、次のようになる。…我われ人間は物事と出会ったときに、対象を理解するに当たって「あぁ、この人・これはこういった特性があるのか」と理解する。そして、そこ出生まれた理解(例えば気持ちい・不快だという理解)を、対象を取り囲む世界にまで我われが半ば無意識に「滲み出し」てしまうということである。一人の無礼な男がいたとして、彼と接した人は彼の家族や友人までも「喋ったことも、あったこともない」にもかかわらず、勝手な「像」を脳裏に描いてしまう。この半ば無意識に造り上げられた概念・像こそ、暗黙知そのものだ。この暗黙知、何も言葉だけで形成されるものではなく、対象の表情・匂い・感触といった「五感」全てを通じて形成される点、心にとどめておくべきだろう。

しこうして、我われ人間は五感をフルに活用して暗黙知を造りあげるわけだが、この暗黙知の功罪について少し考えてみたい。まず功についてであるが、これは日本人お得意の「空気を読む」にしばしば現れる。その場の状況、相手の表情の変化、言葉の使い方を敏感に感じ取り、物事がうまく運ぶように取り計らう…こういった点において、「それが成功」した時には、暗黙知の功は多大なものであろうこと、容易に想像されよう。さて、もう一方の罪についてはどうだろうか?これもしばしば経験していることだと思う。一つの情報から類推される「こんなかんじだろう」に翻弄され、自分勝手な断定を下してしまい、「偏見」を生み出してしまう。その偏見が基となって、対象に対して物理的・精神的な攻撃が下すに至ってしまう。

ここまでは個人の中での暗黙知について論を掘り下げてきたが、これを広く社会一般にまで拡げるとどうなるだろうか?個々人の考え・思想・意思が集約した「社会」が備える暗黙知…個の内で収まっていたはずの「自分勝手な断定」が「共同体・国家レベル」で行われた時に一体何が起こるだろうか?我われが直面している社会の中に、その答えの片鱗を見出せるのはいうまでもない。

※サンデル教授の「justice」を読む前に本書を読んでおくと、内容理解が深まるのではないでしょうか?暗黙知の存在を理解すること、ただ理解することだけでも関係性の構築の仕方が大きく変わってくるものと思います。あと、そろそろ新しい形での書評を始めようかなと考えています。その形とは、一枚の「クリティカルFigure」を添えるというもの。言葉のみではなかなか理解しづらいというお声を多数頂いておりまして…近く、その形での書評を展開させていただきたく思います。しばしお待ちくだされ。