野郎と二人で、洒落たお店で『百年梅酒』の味に感嘆している僕に、ワインがさまになる友人が「男の生きる道とはどんなもんや?」と友人が唐突に問い、「信念を持ってまっすぐ生きることじゃないですかねぇ」と適当にあしらうと、「信念すらも時流と共に変わるもんやろ。それでええんか?」と返され、うむむ・・・と30分ほど考え込んでしまいました。確かに、どのような強い人でも信念は『時流とともに』変化してきたはずです。過去の偉人を鑑みてもそう。ただし、「根幹」は変わっていません。変化してきたのは、幹の先の枝葉たちです。これを木にたとえるならば、春に青々と茂った葉が、秋を迎えると赤く染まり、冬になって枯れ落ちる。青年時代の信念なるもの、とくにより現実世界に近いところのものは短い期間で塗り替えられていくものです。幹ではなく、葉がぐるぐると消滅・再生を繰り返す…信念も葉と同じ様に、消滅・再生を繰り返すものではないかと。思想というものの可変係数は往々にして大きいものであります。
さて、こまごまとしたことばかり口にしていると、変人あつかいされちゃいますよ。と学生に窘められ、既に多くの人から変人扱いされている身としては、なんとも返し方に困りつつもacknowledgeを返した心優しい男えびすが紹介する一冊はこちら。
新渡戸稲造の「武士道」を知らないという人はいないだろう。が、その原著が英語であるということを知る人は少ない。今回紹介する武士道は初版の出版が2005年と新しく、岩波のそれ(旧言葉使いが随所に見られる)に比べてかなり読みやすい内容となっている。ただ、若干の省略が加えられている点は否めないため、「武士道」をしっかりと読み込みたいのであれば、原著に当たるのがよさそうだ。
さて、武士道とはなんぞや?言葉ではそれを知っているが、その中身を知らないということは多々ある。表面的ない理解で満足しうるならば、国語辞典でも引けばよい(なお、私は2009年以降のウィキペディアは侮れないと感じている)。いつ生まれて、このような思いを抱いて、本書を上梓したと。ただ、もう少し深いところの理解を手に入れたいという思いを持つ人もいよう(私はその1人だ)。本書は現代に生きる人からみて、『武士道』とはどういったもののであるかを簡潔かつ明瞭な説明で持って紹介している。私のような初学者にはもってこいの一冊といって過言ではないだろう。
さて、武士道の中身であるが、そこには「かつての『日本人』はこうあった」という第二次世界大戦前の文化背景を垣間見ることができる点、気付かれたい。弱気を助け、強気を挫く精神、失敗に対しては死をも問わない覚悟、ぶれない正義の心。並べてみると、今の日本人にかけている要素ばかりが目立つことに気がつく…いや、反対の行動をとっていると言っても過言ではない。弱い者いじめ、挑戦からの逃避、芯のない揺れ動く心…誹謗中傷を並べる気は毛頭ないのだが、今の日本社会を鑑みると、武士道が書かれた時代の人々の心情・行動とは『真逆の方向』に向かっていると言わざるを得ない。
しかし、上記に述べた内容について早急な断定を下すのは危険だ。私自身の実体験に照らし合わせ、武士道に通ずる心を持っている人々に多々出会うのも事実であるからだ。もちろん、昔の武士道をそのままの形で実践している人は現代社会にいないだろう(いたら即逮捕されるに違いない)。しかし、武士道に書かれている「人間として生きていく姿勢」に多くを学び、間接的・自己流に取り入れている人はたくさんいるように思う。小さな思いやり、間違ったことに対する疑問、弱い人を恥ずかしながら助ける心…。こういった『小さいけれど、誰かのためを思って』行動に移す人に出くわすと、心がほっこりするものだ。100の奇麗事を口で並べるよりも、1の小さな行動で誰かのためになる…そんな心を持つことができる日本人、まだまだ捨てたものではない。
※本書によると、日露戦争で日本が勝利を収めた陰に、『武士道』が当時のアメリカ大統領ルーズベルトの琴線に触れ、日本人に対し好印象を抱き、調停役を快く引き受けてくれた事実があるそうです。一冊の書が一国の将来を左右す…なんとも、スケールが大きい話ですが、過去を遡ると素晴らしい業績を残した偉人、歴史的な変革を左右した事件の裏には、いつも『書物』の陰を感じざるを得ません。これらの書物が共通にもつ特徴、それは『誰かの琴線に触れる言葉』がそこに書かれているということです。言葉の力…今一度、その力を見直す必要があるのかも知れません。こと、技巧的な遊びではなく、魂を揺す振る言葉の見直しについてであります。もちろん、言葉の先にある、行動こそ最も見習わなければいけないんですがね。
