工芸の美とは何ぞや。日本人が持っている美意識と西洋人が持っている美意識はかなり異なると言われている。日本のそれは、「捉えがたく、一瞬のうちに消えゆく…その時間をとめたところに現れる美」であるのに対し、西洋のそれは、「普遍的で、生々しく、我をみよ!といわんばかりに強硬な美」であるように感じる。
本書の著者、柳宗悦が論としてこの世に落とした美の意識、それは日用雑器の中に見出す美である。がっちりとした美ではなく、ほのかにたち現れてくる類の美…代表的な作品として、高麗時代の青磁器、江戸時代の誰が作ったのかもしれないひび割れた茶碗などがある。我われ日本人に日用雑器(茶碗や湯のみ)のうちで、美を感じるものはどんな茶碗か?という質問を投げかけると、ここにあげたような「時間の経過を感じる・歪な中に垣間見える美がある」茶碗や湯のみを上げる人が多いことだろう。一方、西洋人に同じ様な質問をすれば、およそヒビ一つ入っていない、左右対称・均等なマイセンの食器などを上げる人が多いと考えられる。
「芸術作品」について、宗悦がどのような考え方を持っていたのかも記しておこう。彼は総じて宗教改革以降に生み出された「芸術」なる概念に否定的な態度をとる。作品の評価が、作品そのものではなく「誰が描いたものか」によって評価されることに大きな疑問と懸念を抱いていた。ただ一点のみ素晴らしい作品を生み出した作家がいたとして、どうしてその作家の「他のさほど魅力的でない」作品の価値まで上がることが起こるのか?宗悦は例え大量生産であっても、美しいものは美しくあるという考え方を持つ人だ。その美しさは古来の匠たちが長年の修行・鍛錬を経て作品に宿らせることができるようになるものだという。工房で何百という数の茶碗を作っていれば、自然と型も身につくものである。一個人で終わる技巧と比して、長き伝統に裏付けられた型がより高次の美を宿すのは自然なことだろうと宗悦は考えたのだろう。
もし宗悦が現在の世界に存在しているとして、彼はどのような作品に価値を見出すだろうか?昨今の混沌とした現代アートには見向きもしないのは間違いなさそうだ。そして少なくとも、無印良品の一部製品に心奪われるのも間違いないだろうと考えられよう…もっとも、それを作る工程が全て機械によるもので人間の手による介入が全く無いと知った時点で評価は変わりそうではあるのだが。
※宗悦の提唱する美とウィリアムモリスが考えた美は共通するところがありますね。それは生活の中に美を見出したところです。日常の中で使用される道具に宿る美、それは目的意識を備えつつも光り輝くものであり、芸術作品以上に評価されるべきものであると述べます。まぁ大量生産しないと多くの人が「美」を手にすることはできないことを考えると一理あるように思います。けれど、一人の作家さんが長い時間をかけて渾身の魂を込めて生み出した作品に美が宿ることもしばしばあります。宗悦の考える美は一つの美の形としてとどめておきたい、というのが僕の本音ですね。
本書の著者、柳宗悦が論としてこの世に落とした美の意識、それは日用雑器の中に見出す美である。がっちりとした美ではなく、ほのかにたち現れてくる類の美…代表的な作品として、高麗時代の青磁器、江戸時代の誰が作ったのかもしれないひび割れた茶碗などがある。我われ日本人に日用雑器(茶碗や湯のみ)のうちで、美を感じるものはどんな茶碗か?という質問を投げかけると、ここにあげたような「時間の経過を感じる・歪な中に垣間見える美がある」茶碗や湯のみを上げる人が多いことだろう。一方、西洋人に同じ様な質問をすれば、およそヒビ一つ入っていない、左右対称・均等なマイセンの食器などを上げる人が多いと考えられる。
「芸術作品」について、宗悦がどのような考え方を持っていたのかも記しておこう。彼は総じて宗教改革以降に生み出された「芸術」なる概念に否定的な態度をとる。作品の評価が、作品そのものではなく「誰が描いたものか」によって評価されることに大きな疑問と懸念を抱いていた。ただ一点のみ素晴らしい作品を生み出した作家がいたとして、どうしてその作家の「他のさほど魅力的でない」作品の価値まで上がることが起こるのか?宗悦は例え大量生産であっても、美しいものは美しくあるという考え方を持つ人だ。その美しさは古来の匠たちが長年の修行・鍛錬を経て作品に宿らせることができるようになるものだという。工房で何百という数の茶碗を作っていれば、自然と型も身につくものである。一個人で終わる技巧と比して、長き伝統に裏付けられた型がより高次の美を宿すのは自然なことだろうと宗悦は考えたのだろう。
もし宗悦が現在の世界に存在しているとして、彼はどのような作品に価値を見出すだろうか?昨今の混沌とした現代アートには見向きもしないのは間違いなさそうだ。そして少なくとも、無印良品の一部製品に心奪われるのも間違いないだろうと考えられよう…もっとも、それを作る工程が全て機械によるもので人間の手による介入が全く無いと知った時点で評価は変わりそうではあるのだが。
※宗悦の提唱する美とウィリアムモリスが考えた美は共通するところがありますね。それは生活の中に美を見出したところです。日常の中で使用される道具に宿る美、それは目的意識を備えつつも光り輝くものであり、芸術作品以上に評価されるべきものであると述べます。まぁ大量生産しないと多くの人が「美」を手にすることはできないことを考えると一理あるように思います。けれど、一人の作家さんが長い時間をかけて渾身の魂を込めて生み出した作品に美が宿ることもしばしばあります。宗悦の考える美は一つの美の形としてとどめておきたい、というのが僕の本音ですね。
