2010年11月13日土曜日

New face and inspiration at the same time !

身辺が忙しくなると、日常生活のバランスが崩れることありますよね?最近はこなさなければいけないタスクが増えてきており、あな辛しなスケジュールになっちゃっています。うむ、自己責任。突如として幸運が舞い込んできたとして(例えば恋人が見つかるとか♪)、この状態だとそれはそれはもう、残念な結果になるのが目に見えてしまいます…はぁ。デキル男ならば、ホイホイとこなすことができるのでしょうけれど、デキナイ男の代表格である僕には、そのような余裕など全く無いわけでありまして…。成長を臨むだけで行動を起こさないようではだめだ!と自分に活を入れる毎日を送っております。

さて、行動が大切だ!といいつつ、びびって自ら行動をとることに躊躇してばかりの小心者えびすが紹介する一冊はこちら。

商品の詳細

日本人による日本論、欧米人による日本論はしばしばよく目にするところだ。前者であれば、古くは新渡戸稲造の『武士道』、近年であれば内田樹の『日本辺境論』あたりが参考になる。後者であれば、ルース・ベネディクトの『菊と刀』、ロラン・バルトの『表徴の帝国』(本人は日本論ではないと述べているが)が有名であろう。私自身、これら著作については「なるほど」と思わされるところが多々あった。とりわけ、『表徴の帝国』には舌を唸らされたものだ。

さて、アジア人による日本論にはお目にかかったことがある人は何人ぐらいいるだろうか?私自身について述べれば、客観的な視点から、その生活スタイル、観念・思想、歴史・文化背景について分析した書籍に出会った記憶は皆無だ。であるので、今回本書と出会えた(韓国と日本の比較)のは非常に素晴らしい糧となった。読了後、「自身、よくもまぁ隣国の声を聞かずしてどうして『日本論』を語ってきたものだな」と自戒の念にかられた次第である。また、この世に行き渡る『知の海の広大さ』を改めて感じ取ることができた点においても、本書には感謝しきれない。

本書の素晴らしい点、それは今まで「日本独自のもの」と考えられてきたことの多くが、実は層ではなかったということを教えてくれる。また、日本人の自然観についても、それが「本来の自然」そのものを取り入れる類のものではなく、なかば「力ずく」で取り入れてきたという解釈は私の目に新しく映ったものだ。著者がとりあげている日本の石庭について当てはめると、石庭にみられる世界、それは宇宙・自然界を「手ごろな場所」と「手ごろな大きさ」に圧縮したものであり、そのためにもの凄い労力が費やされているとのことだ。なるほど、日本人は西洋人のように「自然を支配しよう」という意気込みはなかったが、「自然を手元に置いて楽しもう」とした点で、西洋人と同じく「力ずく」で自然に手を加えてきたのは間違いなさそうである。

また、扇子の解釈についても面白い論を展開している。扇子は外部に漂う様々な事象に触れ合い、扇ぐ行為を通して、外部の事象を要約することができる道具であると述べる。また、小さく「縮める」ことができるので、どこへでも持ち運べることができ、かつ、不意をついて取り出すことができる道具でもある。「要約性」・「携帯性」・「隠遁性」…日本人が得意とする能力の多くが扇子という一つの道具に集約されていること、理解できよう。

その他、茶・文楽・家紋・食べ物に関しても、鋭い切れ味ある論を展開している。日本について多角的な視点を学びたいという人は是非とも本書を取っていただきたい。欧米人の考える『ニホン』とは、一味も二味も異なる『日本像』を垣間見ることができるに違いない。

※改めて多角的な視点を取り入れることの大切さを思い知らされました。同時に、自分の中で、割れた茶碗に対し「割れた茶碗を繋ぎ合わせる金・漆に、モノに宿る魂」なるものを見出すことができました。見出した内容を記すと、次のようになります…【茶碗の修復が目指すのは、「割れた瞬間の形態」…割れた瞬間にモノから「魂」が抜け出すと考えると、修復の際に用いる金・漆は魂そのものを表現しているものではないか】…うーん、もう少し詰めて論に仕上げたいところですね。