2010年12月19日日曜日

書評リスト 2010.10~2010.12

ちょっと早いですが、今年のブログは今回で仕事納めとなります。当初の予定は100本だったのですが、皆様のあたたかいご支援のおかげさまで、150本もの更新数を行うことができました。ここに感謝の心を表します。ありがとうございました。

さて、来年も100本を目標に張り切って取り組んでまいります。引き続き、皆様からの叱咤激励のほどよろしくお願いいたします。

それではよいお年を。


~起業・ビジネス~
Business Model Generation
東京計画地図
想いと頭脳で稼ぐ:「20円」で世界をつなぐ仕事
武士道
学問のすすめ
スラムダンク勝利学
●編集進化論
●Buy-in

~政治・哲学・社会~
君主論
暗黙知の次元
ジンメル・コレクション
プラトンの哲学
ポストモダンの共産主義
中国経済の正体
重力と恩寵
公案
「縮み」志向の日本人
政治の精神


~芸術・科学~
脳の中の美術館
カイチュウ博士のオトコ強化論
日本語と日本語論
シュルレアリスムとは何か
工芸文化
トポロジカル宇宙
生とデザイン
ギルガメッシュ叙事詩
宇宙は何でできているのか
●フランス絵画史
●渋滞の先頭は何をしているのか

2010年12月16日木曜日

What it's we Should Perform in Clog ?

あと二週間で今年も終わりです。みなさま、抱負はきっちり果たせましたでしょうか?とかくいう僕は、一つ果たすことが出来なかった抱負が…例のあれですね。電車の中、カフェの席でと色々頑張ってみたのですが、見事に玉砕♪この抱負は来年に持ち越しです……いや、再来年まで伸びるかもしれない、そんな気概で一杯なんですけれど。そんなこんなで、只今来年度の抱負についてうんうん唸りながら考えているところです…達成できそうで出来ない、そこを巧くついた抱負を考えることはいい勉強になります。これまでの人生が築き上げた「自分」を俯瞰しつつ、その自分に次は何を付していこうか…過去、現在、未来の自分史を頭の中に思い描くには、相当なImaginationが必要となります。しばしば頭がショートショートしちゃって、自分を見失うことも。でも、このショートがあるおかげで、新しい「何か」がほわぁんと頭の中に浮かんでくる…そのときの快はそれはそれは相当なもの。一度経験するとやめられないんじゃないでしょうか。

さて、「あぁー良い男がいない」と愚痴をこぼす友人に、「いるじゃん目のまん前に♪」といって、「勘違い甚だしいわ」という顔をされたことに傷心しちゃうオトメン心の持ち主、えびすが紹介する一冊はこちら。

商品の詳細

「渋滞学」と聞いて、思い浮かべる対象が「高速道路」程度しか思いつかない私の思考力は、相当に硬化してきているようだ。即物的に「これだ!」という対象が一つ定まったとしても、その対象にとらわれず、他の対象を類推する力は一筋縄に身につくものではなく、それゆえ実産業でも広く様々な分野で(およそ全ての分野で)欲される力であろうと思う。

さて、本書に記されている渋滞がとらえるフレームは相当に大きい。笑いや流行、噂までも渋滞を起こすと述べられている。それらが伝わる過程には、かなり面白い数式(私の想像の範囲であるが)が隠されていることだろうが、そこは新書、流石にそこまで踏み込んで紹介をするには至っていない。しかし、定性的に「こういう具合に渋滞が起こる」という論展開をなぞるだけでも、興味をそそられることだと思う。本書のうちで難しい単語・知識をひけらかすようなことは全くなく、私のような素人にも理解できるような平易かつわかりやすい文章・単語で書かれている点、感謝の気持ちと共に頭が垂れる思いで一杯になる。

ただ一点、腑に落ちない渋滞があったのでそれについて紹介したく思う。その渋滞とは「恋愛格差の渋滞」である。本書によると、異性にモテる人とモテない人の間にある格差は、なんらかの措置をとらないとどんどん広がっていき渋滞を起こすとのことだ。ここで起こる渋滞は「だんご型渋滞」と呼ばれるもので、運行時間に遅れが生じると、あるバスには大量の人が乗り込むこととなり、次に来るバスには人がほとんど乗っていないといったものだ。さて、この渋滞を恋愛に当てはめるわけであるが…どうもしっくりこない。というのも、「恋愛の格差が何によって起こるのか」については、要因を一にきめることができないからだ。顔がいいから…お金持ちだから…性格がいいから…これら要因は互いに独立しており(あくまで私の主観だが)、要因が幾つか存在していること=渋滞は起こりにくいだろうと考えられるからだ。ただ、一人の人間の恋愛が、一の要因のみによって決まる場合は本書が記すように渋滞を起こすことであろうけれど。

※大変面白く読ませていただくことが出来ました。まだ大学の学部生だった頃、渋滞を数式を基にシミュレートしたモデルを教えていただいたのが、僕の渋滞学との始めての出会いでした。教えてくださった先生によると、「最初は車の速度(一階微分)しかシミュレーションモデルに組み込んでいなかったが、車が停車しスピードを上げる過程で変化する加速度の項(二階微分)を組み込むことで、実際の渋滞の流れとシミュレーションモデルが一致した」とのことでした(あやふやなところはあります)。何も特別難しい解析・分析をしなくとも、ちょっとした因子を加えるだけで、実際の現象をうまく説明できるモデルを作れる、そのことを教えていただいたことに感動したものです。基礎学問はあなどっちゃいけませんね…今一度、自戒を込めて。

2010年12月13日月曜日

To Tell something To someone is To be up To you.

物事を取りまとめること。これ、結構大変なことですよね。身近な例で言えば「片付け」もその一つに入ります。ただ綺麗に整頓するのもいいのですが、何をどこに、どうやって配置すれば、どういったときにどんなふうになるのかまで考えて整頓すると、これまた新しい境地を開くことが出来る・・・いや、皆さん既に実行されていることかもしれませんけれど。で、取りまとめることのフレームって結構大きいんです。仕事のマネジメントでもそう、彼女との旅行でもそう、友達の合コンセッティングでもそう、すべて物事を取りまとめる能力が要求されます。

さて、取りまとめることについて、さも自身はまとめ上手のごとく語っているにもかかわらず、実状は本の山をどないしましょと頭を悩ましつつも、まぁいっかとほったらかし状態という、なんともおこちゃまなオトコエビスが紹介する一冊はこちら。

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編集と聞くと、どうしても新聞の編集者を頭に思い描いてしまうのだが、編集は様々な場面において、重要な能力となってくる。ただし、断っておきたいのは「編集の小手先テクニック」ではなく、大局的に物事・情報を把握し、それを咀嚼・加工して、第三者がわかりやすいモノを生み出す過程を編集と位置づけたく思う。

編集の仕事を分解してみると面白い面が見えてくる。あくまで私の考える「編集のカタチ」ではあるのだが、少し紹介しよう。
まず、第三者・消費者に何を提供するか・提供するモノの「大元のテーマ」を決める必要がある。企業で言うところの「企画」だ。何を誰に、どのような形で提供することで、どんなインパクト・影響を与えることができるのか。とりわけ、最後の「どのような」は非常に重要なポイントだ。ここがぐらつくようであれば、どんなに質の良い「モノ」を提供したとしても上手く作用してくれないだろう。一昔前のCMを見ると、なるほどと思われるのではないだろうか。この段階で必要とされる能力は、想像力・論理的思考力といった能力である。
テーマが決まると、その中身・コンテンツをつくっていかなければいけない。どのような内容を誰に頼めば、質の高いモノをつくってくれるか。それを把握し、その人に依頼するのも編集の仕事の一つだ。隅々まで手を伸ばせるほどの人材を確保している大企業でも、小さな町工場でも同じことである。後者であれば、人材こそ限られているが「この人にはこの仕事が最適だ」と把握しているかいないかでは、生産性が俄然変わってくるのは容易に想像できるだろう。ここで要求される能力は、交渉力・人脈力・情報収集力である。
さて、コンテンツの中身・構成が決まったら、次は依頼した人たちのマネジメントをしなければいけない。モノを表に出す日はおおよそ決まっているため、それにあわせて各工程に締め切りを掲げるわけだが、これにあわせ依頼者との間で断続的にコンタクトをとる必要が出てくる。ここで要求されるのが、マネジメント能力・人格力であろう。これら能力は人当たりのよさ・人として尊敬できるかに大きく影響される能力であり、長年の経験がないとなかなか板に付く代物ではないと考えられる。

ここにあげただけでも編集には相当な能力が要求されることがわかる。が、編集は学生の間でも身につけることが出来る能力でもある。一例をあげると、サークルであれば「新歓コンパの計画」であろうか。・・・新人をあつめる目的でどのようなコンパをしようか、インパクトはどれくらいえられるのか、サークル員にどの仕事を任せるか、当日の連携はどうすればいいか・・・一つ一つ照らし合わせていただければ随所に編集のプロセスが含まれていることに納得していただけるだろう。

編集は今後、ますます多くの分野で需要なポジションをしめることとなりそうだ。とりわけ多くの人をまとめ、動かすポジションに着く人にとっては必須能力となるのではなかろうか。ただ、この能力を身につけるのは相当に大変なことであるのも事実である…それと同時に、その能力を身につけるチャンスは至るところに転がっている…家族旅行の計画、文化祭の出し物、グループ展の開催etc…それらを活かすも殺すも、当人次第によるのは言うまでもないことだ。

※編集は大切ですね。特に身内ではなく、広く第三者に「あること」を伝えなければいけない時に、その難しさ・大変さをしばしば実感いたします。エキスパートの間の意思伝達のほうが楽なんですね。例えば高校の数学Ⅲの極限の内容を高校生に教えるとして、その内容を理解している生徒は多少こちらの不備があっても勝手に理解してくれますので楽なんです。でもわからない生徒には、その過程を詳細に説明しなければいけず、結構大変です。が、これが上記にも示したように今後、ますます必要となってくる能力になってくることでしょう…うむ、われ精進あるのみであります。

2010年12月10日金曜日

Not Negative, But Affirmative .

言葉の力。しばしば、侮っていると痛い目にあいますね。特に、恋愛においては…ひょんな一言が相手をぐさりと傷つけること、多々あります。これは男女に関係ないことでしょう…なにせ、双方とも経験している僕が言うのですから、まちがいない(笑)。そして、反対に、嬉しくさせてくれる言葉もあること、忘れてはいけません。友人・知人からかけられる言葉にどれほど心励まされたことか。彼等・彼女達の心遣いにはいつも感謝感謝しっぱなしで、頭が垂れる思いで一杯です。ありがとう。

さて、言葉の面白くも、恐いところについても一言述べておきたく。それは、言葉の意味は、言葉を発した本人の意図にかかわらず(まぁ多分に意図して発している方もいらっしゃいましょうけれど)、相手の受け止め方によって様々に解釈されうるという点です。そして、なによりも恐いのは、受け止める人のコンディションによっても受け止められ方は刻々と変化するため、いささか難しいこと限りなし。そういえば、昔、展望台でアルバイトをしていた時に、老夫婦を観察しているスタッフがおりました。何十組もの夫婦を観察した結果出した一つの論が…「仲睦ましい夫婦の究極の姿は無言にある」ということ。全てを理解していれば、とりだてて口に出すようなことはないということでしょうか。なんとも興味深い極地であります・・・と同時に、元来おしゃべりな僕には到底たどり着けない境地であるように思えてならないんですけれどね。

さて、言葉、言葉と語っているうちに、1人の女性が離れていっていることに全く気付かず、気が付いたら独り身になっていたことしばしばな独男、えびすが紹介する一冊はこちら。

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経営戦略、マーケティング戦略、論理的思考力をテーマとしたビジネス書は、本屋(ネット書店含む)にいけばごまんとみつかり、「少し出しすぎじゃないか」と疑うほど溢れている。ポーターやコトラー等、偉大な先生の書籍は勿論、一平社員の書籍まで立ち並ぶ日本の書籍市場と海外のそれとを比較すると面白い。2010年のベストセラー「もしも高校野球の~」など、およそ海外の大手出版会社は出版に二の足を踏むのではなかろうかと思う。ジャンルとしてはおそらく「ライトノベル」として出版されるのではないだろうか。

…いつものコトながら、少し脱線してしまった。しこうして、本書もビジネス書の一つとして位置づけられよう。しかし、その目線が向けられているのが「自社の上層部に対してのポジションの取り方」である点、興味深い内容となっている。本書に収められている架空のストーリー(図書館のPC環境のグレードアップ)は、実務につくビジネスマンにとって、大変参考になる点多いことだと思う。とりわけ「厳しい質問をいかにスルーするか」、「提案を通すに一番効率よい方法は何か」に関しては、なるほどと唸らされるのではなかろうか。24-attacks(上司が発する24の攻撃・発言)と名づけた質問事項に対する受け答えに、一貫して共通するのは「相手の発言を否定しない」ということだ。発言を受け止め、「いいえ」「いや」で答えるのではなく、「たしかにその通りです。しかし・・・」「仰ることは私も悩まされました。そこで・・・」といった具合に、「ポジティブワード」から入るということだ。

ただ、数字による分析が載せられていない点は少し残念なところである。定性的な内容を数値に落とし込むのは難しいことではあろうが、24の項目に対して5つの受け答えを用意し、どれが最も評を獲得したか等の調査は可能なはずだ。今後、こういった定量的な調査もあわせて載せていただけると、内容の信憑性が高まるのではないだろうかと感じると同時に、本書の中で「論理的な受け答え」は提案の採択に繋がらないと述べている点も考慮すべきではあろうが…その点鑑みると、本書は一貫性ある構成になっているとも考えられよう。

※なかなか面白く読ませていただくことができました。本書の舞台はビジネスではありますが、その核にある「相手のことを否定しない話のもっていきかた」は、およそ全ての分野に共通して必要なものでありましょう。友人、恋愛、夫婦、家族、近所付き合いetc…およそ、人とかかわるところには必ず「相手の賛同」が必用な場面に出くわします。そこで、相手を傷つける・おとしめる・恥をかかすようなことがあっては、その後の関係が上手くいかないのは目に見えて明らかでしょう。それがもとで離婚・離縁することもしばしば起こっているのでは?しばしばビジネスの世界で出される「顧客思考」はプライベートの世界でも大切な思考方法であります。
ところで、本書の内容は以前、僕が紹介したブログの内容と一部(こちらですね。「不快の根源」)被っているところもあり、「復習」させていただいた思いであります。いやはや、経験を知識で補完することができたのは幸運でした。Kotter教授、ありがとうございます。

2010年12月8日水曜日

"Long time no see" could give you a lot...remember.

反逆者という存在に出会う確立はどれほどであろうか。僕の26年の人生を振り返ってみても、「反逆者」なる人についぞであったことはない気がする。みんな良い人ばかりで、ちょこっと幸せすぎる人生を送ってきたのかもしれないです。さて、翻って過去に遡ると、「「反逆者は歴史に名を刻む」傾向にあるようです。ブルータスのカエサルに対する裏切り行為は有名ですし、日本の戦国時代・明治維新時代は数をあげればきりがないくらい反逆者で溢れ、刻まれた名をここに記すのも億劫なほどであります(代表者として維新に立ち向かった西郷隆盛をあげておきます)。反逆者に共通することは、圧倒的な力を持つものに対し、反旗を翻すことでしょうか。もっとも、その翻し方は千差万別の形をとります。大勢が集まって1人の権力者を貶める場合もあれば、一対一で決闘を申し込むような場合もあれば、策略的に近づいて毒を盛る(アサシンに近いですね)といった場合も。一番かっこいいのは一対一の闘いでしょうが、戦略的にはもっとも無謀な行為でもあります。いやはや、かっこよさとスキニーさは別物なんですねぇ…うーん。

さて、学生時代は反旗の翻しすぎで、いろいろな人に迷惑をかけていたなぁと振り返りつつも、未だに反旗を納められない自分を自覚している、迷惑オトコえびすが紹介する一冊はこちら。

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19世紀から20世紀初頭にかけてのフランスの絵画史は正に黄金期である。いや、正確には革命期だと記したほうが適切だろう。1789年にフランス市民革命が勃発してのち、フランスの政治・文化・大衆意識は大きく変革した経緯はよく知られたところであろう。貴族中心社会から大衆中心社会(ブルジョワジー)への一歩がここで始まるわけだが、その門出は何とも危なげなものであったようだ。何せそれまでは従順に上から令に従っていた民衆が、農具・工具を持ち出して革命を起こしたものだから無理もないかろう。一介の市民をなめきっていた貴族が、武器を片手に怒りたけった市民に出くわし蒼白する顔がありありと脳裏に浮かぶ。

さて、そんな激動の時代に描かれた絵画とはいったいどんなものであったのだろうか。少し、その流れを辿ってみたく思う。革命以前、画家の仕事は主として貴族社会から降ってくるのが普通であったようだ。その数は相当な数にのぼり、貴族の名は知らないが画家の名は良く知っている作品にしばしば出会うことしばしばだ。一つのステータスとして、画家に自画像を描かせたのか、もしくは若い時代の美しさを後世に見せ付けるために描かせたのか…まぁ理由はいろいろあろうが、概して画家と貴族のバイパスは相当に強かったようである。
もう一つ忘れてはならないのがアカデミーの存在だ。ルイ14世のもと(実質的には右腕のコルベールによるところが大きいといわれているが)、1648年に設立された絵画彫刻アカデミーでは、古代やルネッサンス時代の絵画の模写が日常的に行われていたようだ…アリストテレスにまで遡る美学をこの時代の学者(画家と位置づけるかは微妙なところだろう)達は追い求めていたのだろうか。なお、この時代のアカデミーの作品に肖像画が多い理由として、絵画の順位付けがなされていたためであることはご存知のことだと思う。絵画としての「出来」以前に、人物を描く肖像画、自然を描く風景画、そして無機物を描く静物画の順番でその作品の価値が決まっていた点に甚だ疑問点を抱く人が多いのではなかろうか…私だけかもしれないが。当時の画家達も同じ様な疑問を持っていたに違いなかろうが、しかし「飯を食う」ためにも、その世界に無理をしてでも馴染まなければいけなかったことは察するに容易なことだ。

市民革命後もアカデミーは存続したが、絵画の世界における権威は次第に衰えていくことになった。貴族文化の惰性で生きていこうにも、ブルジョワジーが政治経済、しいては文化の世界で幅を利かせるにあわせて、絵画の分野も大きな変化に見舞われることとなった。革命以前、アカデミーが主催する「サロン」の入選によって、画家は仕事を貰ってきたわけであるが、革命以後はその系譜から外れる流れが生まれる・・・それが有名な「サロン落選展」である。

今日の絵画の世界で高い評価を受けている作家の多くが、落選展と密接な関係を持っていることは良く知られたところだろう。日本人が大好きな「印象派」の流れが、落選展にあるのも興味深いところである。落選展に集まる作品は、アカデミーの規律に沿わない作品が多かったようだ。代表格であるマネの作品を見れば、「あぁ、なるほど。アカデミーに反旗を翻した作家の新しい活躍の場だったんだ」と納得されることだろう。ただ、マネ自身は、それを表立って言明しなかったようではあるが…ある意味、世渡りの上手いオトコだったと考えられる。

さて、マネの「アバンギャルドさ」を、一層高めた作品を送り出した作家としてクールベがいよう(私が勝手にそう位置づけているのだが)。彼がキャンパスに描いた絵は、どれも「従来の規律・規則」に対し、真っ向から立ち向かっていくものばかりである。オルセー美術館に所蔵されている大作「オルナンの埋葬」から放たれる「妖気」にも似た凄み・批判性は言葉では表しがたい。是非とも生で鑑賞し、絵画が放つ空気感をじっくりと味わっていただければと思う。

思えば、今年は結構な作家の作品が多数海を渡ってやってきたように思う。マネゴッホモネドガドーミエ…みな素晴らしい作品を残した作家の企画展が目白押しだったように思う。なんとも、贅沢な国に生まれたものだなぁと思うばかりだ。
これほど多数の大作が日本で展示することができるのも、全てオルセー美術館の改修のおかげであろう。さて、改修後はどのような姿を見せてくれるのだろう?もっとも、現代アートとの線引きは明確に出してくるとは思われるが、興味深いところである。

※絵画の歴史をたどると、また違った面で作品鑑賞をすることができます。新しい気付きを得て、同じ作品を見ると、不思議と新しいストーリーが頭の中にほわっと浮かんでくるんですね。本当に不思議。そして、なにより知識というものは時の経過と共に変化していくものであります。色んな要素が組み合わさることで、たとえ同じ主題であったとしても、以前のそれとは全く異なる「カタチ」になっているものです。なので、「また同じ作品がくるのか~」と言って、美術館に足を運ばないのは結構勿体無い。年齢を重ねてこそ見えてくるものもあります…っとひよっこの僕が言っても説得力ないですね、すいません。

2010年12月6日月曜日

Is "The World" without Material Existing just only in mind?

さて街のお店は赤と緑と白のクリスマス色でおおわれている今日この頃。一人身の寂しさはどこへやら、何かに向かって猛進している自分にちょこっと酔ってしまったり。ナルシスになっちゃ駄目と言い聞かせておりますが、如何せん自暴自棄な気持ちも入っているのでしょう、そうならざるを得ないところもいろいろとアリ・・・。ともあれ、街行くカップルも幸せ一杯な顔をしている人が多いように感じます。いやはや、それを見ているとこちらも幸せになっちゃうもんだからありがたい。12月は『幸せの伝染病』に幾多もかかることになりそうで、ちょこっと期待しちゃいますね。

さて、幸せの形とはなんぞやと友人に問い詰めて、お前はなんでも考えすぎなんだよとたしなめられつつもやっぱりあれこれ思考を巡らせてしまう、歩くロダンことえびすが紹介する一冊はこちら。

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私の宇宙物理の知識は高校生で止まっている。いや、正確には高校生で学んだ内容の多くを忘れてしまっていることを考えれば、中学校で止まっているといっても間違いではないだろう。若い頃に詰め込んだ知識というものは、しっかりと復習しないとどんどん見知らぬ世界の果てへと進んでしまう。「今、ここ」に引き止めておくためには、相当なエネルギーを費やして引き止めるための力を生み出す必要がある。エネルギーの力への変換効率は年齢と反比例の関係にあるのは良く知られるところだろう。若い頃から、エネルギーを生み出すことに億劫にならず、それを力に変換する経験をたくさん積んできた人はどうやら大成する傾向にあるようだ。少なくとも、私知る限りではその法則が当てはまること、しばしばである。

エネルギーは力に変換される…この法則は物理の世界でしばしばお目にかかるところである。高いところからある物体を落とすと、その物体は位置エネルギーを失い、速度エネルギーを持つこととなる。ニュートンの万有引力によって地球の中心に吸い寄せられる力が働いているから起こることである…みなご存知のエネルギー保存則である。さて、このエネルギー保存の考え方こそ、本書の核として理解しておきたい事項であること、念を押して述べておきたい。ニュートンの古典物理を基とする特殊相対性理論の公式『エネルギ=質量×光速×光速』と『エネルギー保存則』をしっかりと頭に入れて置かないと、路頭に迷うこと請け合いである。

さて、本書の内容を少し紹介していこう。私が最も興味を抱かされたのは、素粒子の種類とその重さについてである。素粒子は粒子の基、つまりは原子の基であるわけだが、どうやらそれにも様々な種類があるらしい。本書では12種類の素粒子について、それぞれの特徴をわかりやすく説明してくれている。ど素人の私が説明するのもなんではあるが、次のようにイメージしていただければよいのではなかろうか。・・・宇宙殿が歳を重ねるつれ素粒子君も歳を重ね、若かりし頃の素粒子君の体重は相当に重かったのだが、歳を重ねるにつれ次第に軽くなっていった・・・という感じであろう。
これ以上小さくすることが出来ないといわれる素粒子、その質量に違いがあるということは理解に苦しむところだが、これは実験を経て確認されてた事実だとのこと。そして、実験と理論の誤差がまたもの凄く小さい…しばしば想うのだが、幾多の分野にわたる『理論式』を最初に考えた学者は真の天才であろう。

しばしば素粒子の世界を取り上げた書籍と出会うと、私のような凡人の頭には理解できない点が多々出てくるのだが、本書では著者の筆力に助けられ、何とか路頭に迷うことなく(とは言っても疑問点がいたるところで噴出したのも事実であるが)読み終えることができたように思う。興味をそそりつつ、上手く素粒子の世界に誘う筆者の心遣いには、感謝感謝の思いで一杯だ。宇宙について、一歩深い理解を得たい人にはもってこいの一冊であること、自信を持って断言する。

※いやはや、久しぶりに読み応えのある書籍に出会いました。素粒子の世界から、暗黒物質、宇宙の始まりにまで話は展開していくため、この世界のど素人である僕は、何度も何度も前のページを振り返らざるをえませんでした。が、めんどくさがらずに何度も振り返れば、壮大な宇宙観を学ばせていただくことができます。いや、本当に宇宙は深いです・・・。本書を読み終える頃に、物質では測定できない世界の存在を頭に思い描く人も多々いらっしゃるのではと思った次第です。パラレルワールドではなく、全くの異世界・・・物質の概念では捉えきれない世界がある・・・と考えてみたり。素粒子の理解以上のものを本書からいただくことができたのは本当に幸運でした。心より感謝いたします。

2010年12月4日土曜日

To Build a Team, Tilt a Head.

不思議なことは日常の至る所に転がっているものでありまして…それに気付き、「楽しいなぁ」と感じれるのか、それに気付かず、「変化が無くてつまんないなぁ」と日々を過ごすのでは勿体ない。少し目をきょろきょろさせてみると、街の意外な側面が見えてきたりするものです。え?例えば?そうですねぇ、某線の車両が『大きくなっていたこと』に気付くとか。で、その理由を色々考えるわけでありまして…何%容積量が増えたのか、それに伴いどれほどの経済効果が見込めるのか(この場合だと、朝の通勤ラッシュの居心地のよさでありましょうが)?開発体力がある=企業のキャッシュには余裕があるのか?…そういったことに思いを馳せているだけで、『あらもう2時間もたっちゃった』なんてことはざらでありまして。時間の有効活用ができていないといわれればそれまでなんですけれどね。

さて、ぼやぼやと思考をめぐらす癖が抜けず、傍目にはぼけーッとしている変わった人と思われているに違いないと自覚しつつも改善しようという意思がなかなか湧いてこない自称思想家えびすが紹介する一冊はこちら。

商品の詳細

巷には自己啓発書がたくさんある。気分が落ち込んだとき、もやもやした時、叱咤激励してもらい時にしばしば手にすることだと思う。書籍の中に散りばめ羅列されている言葉の数々は、琴線にふれる純真さと、スパッと言い切る素直さを思い出させてくれるものだ。

ただ、注意すべき点もある。あまりに書籍に感化されすぎて、自分を過信し、無闇・無謀に物事に突進してしまうことだ。「この人はこんな苦労をしたのか!それに比べれば僕の人生なんかたいした物ではないなぁ…」「学なんか無くてもでっかいことはできる!」「気力とヴィジョンさえ失わなければ、未来は明るい!」etc。外から聞く分にはどれも「カッコイイ言葉」であろう。しかし、ちょっと待って欲しい。その言葉はかっこいいかもしれないが、実際に何かを成し遂げるのはとても難しいことだ。言うは易し、するは難しとはよく言ったもので、コトを成すことの苦労については相当な覚悟を持つべきであろう…若造の私が言うのもなんではあるのだが。

さて、そんな辛口の自論をひっさげた上で本書の内容を紐解いていきたいと思う。
本書は全部で26章からなっており、その内容は「チームの中にあって自分はどう動くべきか」を細分化して紹介・解説してくれている。率先してするべきこと、チームにあってはすべきでないこと、何を目標とすべきであるのか、意志の統一をはかるにはどうすべきかetc。個人のモチベーションをあげるだけではなく、周りの人を上手く巻き込みつつ、良い流れ(モチベーション)を自分のチームに生み出すにはどうすればいいのかを学ぶことができるだろう。「スラムダンク」という日本が誇る巨作の一場面、一場面を題材にしていることもあり、26章全て異なる「あるべき姿」について腑に落ちてくるのを感じ取れることだろうと思う。

もしもこの書籍にある内容を、全ての企業のマネジメント層が実行していれば、日本社会は今以上に発展を極めていたかもしれないし、若手が働きやすい環境構築にも今以上に関心を抱いていたかもしれない。…まぁ、書籍の内容をそっくりそのまま受け取って、ひょんなことで化けの皮が剥がれた上司を見るのもなんだかなぁという思いを抱かざるをえないわけであるが。

※さて、本書は結構な版数が出ている書籍であります。10年以上の書籍なんですが、書いてあることは今の時代にも十分通用するものでありましょう。とりわけ、チームを考えたときに、自身がどういったポジションで動くべきなのかについて、「相手が嬉しい・楽になる」ことを第一に考えて述べられている点は見逃してはならず、これは昨今のマネジメントにも当てはまることで、どのマネジメント層も手をこまねいていることなのではないでしょうか。人間の進歩に合わせ、人材は過去にも増して多様化しており、上手く纏め上げるには相当な「チカラ」が要求されます。多様化の功罪については少し掘り下げても面白いかもしれません。

2010年12月1日水曜日

有限な空間と展示と。

「考えても考えても答えが出ない。そんな時は一晩寝かせるといいよ~」と巷で耳にします。これ、的を得ているなぁと実感することしばしば。僕はどちらかというと、考えに考えてそれでも考えるという人間でしたから、答えを出すに当たって「思考をストップさせる」コトとは真逆の方法論を歩んできました。しかし、最近は先人・偉人の言葉を信じ、2、3時間考えても答えが出てこな~い、なんて時は一先ず寝かせることにしています。すると不思議なもので、夢の中に答えのヒントが現れたり、何気なくのほほんとしている時に答えが頭に浮かんだりするんですねぇ…本当に不思議なんですけれど。ただ、一点注意しておかなければいけないのは、浮かんできたことを「メモに落とす」ことを怠ると、折角浮かんだ答えがいつの間にか頭の中から消えうせてしまっていることがよくあります。この時の悔しさといったらそれはそれは…。その悔しさを幾度か経験・反省しまして、ようやっと最近になって小さなメモ帳や携帯電話に頭に浮かび上がってきた答えを書き落とす癖をつけるようになりました…あ、これも先人・偉人がおっしゃっていたお言葉ですね。ははぁー。

さて、メモを取るもその字の汚さのゆえ、誰かに見られようとも判読不能だろうと軽い優越感に浸りつつも、実社会では綺麗な字を書くことの大切さを痛感させられる場面に出会うたびに、どうすればいいのかと頭を悩ます不器用なオトコえびすが紹介する一本はこちら。


『カンディンスキーと青騎士』。果たしてどれほどの人が画家『カンディンスキー』と芸術誌『青騎士』を知っているだろうか?私が最初にカンディンスキーの作品と出会ったのは、今から7年前の森美術館『HAPPINESS』展と記憶している。『馬上の二人』という作品だったかと思うが、作品から醸しだされる雰囲気は他の作品とはかなり異をことにしていたこと記憶している。モネ(モンティーブ岬)やマネ(草上の食卓…の習作)の作品もあったが、『馬上の二人』ほどには良さを感じ取ることができなかった…。一体何に惹かれていたのか?今回の展示を訪れた理由の一つに、私が「カンディンスキー」に興味を抱くに至ったルーツ(私の場合は抽象画ではなく、具象画から興味を抱くようになった)を探る目的もあった。

今回の展示はカンディンスキーが画家を志した後、一つの抽象画の世界を築きあげるに至る過程で生みだされた作品を中心に構成されている。有名な抽象画シリーズ(?)「コンポジション」の作品は一点のみであり、これを目当てに来館すると痛い目にあうのでご注意。ただ、彼が初期に残した作品の中には「コンポジション」に勝るとも劣らない作品もあること、述べておきたい。上で紹介した『馬上の二人』は展示されていなかったが、これに肩を並べる(私の主観だが)魅力を作品『花嫁』に感じた。二つの作品に共通する魅力は、その技法であろうか。

『花嫁』

ステンドグラスを通して対象を捉えたかのように、多数の『黒い輪郭』で仕切られた作品には、独特の世界観が築かれている。一つ一つの輪郭の内で生まれる物語とでも言うべきだろうか…隣り合うストーリーは一見異なる世界を築いている、いや築いているのは間違いないんだろうが、遠めにみると不思議と異なる世界が「一つの世界」を創りあげている。なんとも幻想的で奥ゆかしささえ感じうるこの作風の背景には何が隠されているのか?一つの要素として考えられるのが、カンディンスキーとともに旅(不倫旅行?)をした愛人ミュンターの影響であろう(当のカンディンスキーは否定しているようだが)。彼女もまた画家であり、透明な物質性を持つ「ガラス」に強く魅了されたと紹介されている。彼女はカンディンスキーと旅をする過程で、様々なガラス作品と触れ合ったに違いない。その中には勿論、異なる色味を帯びた多数のガラスを、黒い境界線で区分けした「ステンドグラス」の作品もあったことだろうと思う。彼女の傍にいたカンディンスキーが、ステンドグラスに興味を抱いたのかは定かではないが、少なくとも無意識下においてなんらかの影響を受けたことだろう。『馬上の二人』『花嫁』を見る限り、その印象はぬぐえない。

私がカンディンスキーに惹かれるに至ったルーツについても触れておこう。今回の展示を経て、初期の作品で感銘を受けた作品に共通するのは、どうやら『輪郭線』にあることがわかった。黒い枠のうちに描く世界、その閉じた世界に何を描くのか。閉じられた世界だからこそ、自分を思いっきり出し切ることができる。しかし、それはあくまで一つの枠の内の事でしかなく、他からの干渉・惹起は期待できない。もちろん、量子の世界まで降りていけば、話は違ってくるのだが、そこまでフレームを広げると収拾がつかなくなってしまうのは火を見るより明らかなことだ。…さて、この輪郭線について思うことを少々綴り筆をおかせて頂こう。纏まらない思考を載せるのも恐縮ではあるが、しばしお付き合い願いたい。
…哲学・社会学の世界にあしを踏み込んだことのある人は、しばしばTheme:「芸術は現実を模すのか、それとも現実が芸術を模すのか」について思考をめぐらせたことがあるのではなかろうか。私も素人見ながら双方の立場から各論を構築した記憶がある…どちらの論ももう一方の論をもって論破できる類の「論」しかたてられなかったのが苦い思い出だ。ただ、双方に共通する確かな要素があることは否定しえないだろう。それは、どちらの過程を経たとしても、その「模し方」は一様な相貌をもちえないということである。言うなれば、模した対象を見る人、その人の解釈は多様なfaceを帯びるがために対象を一意として囲うことはできえないということだ。しこうして、この多様な解釈のうちに見出す「囲い」、これこそまさにカンディンスキーの作品にみる『輪郭線』に共通するモノではなかろうか。一つの世界を区切る、その世界は自身の思考のうちにある限り、外からの干渉を受けることはない…ここで、キャンパスのセカイを離れ、実世界の輪郭線をなぞると何が見えてくるだろう?戦争・ジェンダー・貧困etc…どうやら実セカイの個と総の境界線は「離れた場所」からしか見出せないらしい…芸術のそれが示すところと同じように。

※久しぶりの三菱一号館でした。数回の来館を経て感じたのが、「内装が固定されていること」と企画展の選択の難しさであります。森美術館や西洋美術館のような「白い壁」と「広い空間」を確保できるようであれば、企画展のジャンルも様々に選択できますが、三菱一号館は「古い内装を活かした空間」の内で何を展示するのかを決めなければいけません。「制限付き」の中で何を展示するのか、その展示の魅力を社会一般の人にどうリーチさせるのか…広告は勿論のこと、展示内容がどれほどいいかが成功の鍵を握るのは言うまでもありません。何せ、芸術系の口コミのはやさと強さは相当なものでありますから。今後どういった方向性で美術館を運営していくのか、『三菱』の手腕の見せ所に期待するばかりです。