2011年1月1日土曜日

重厚な空間の中の虚無感

あけましておめでとうございます。新しい年の始まりですね。皆様、抱負は決まりましたでしょうか?僕は年末より一週間ほどじっくりと考え、リストアップし、達成見込みのあるモノないモノを精査分析して、三つの抱負を創りあげました。去年達成できなかった抱負の『持ち越し』はせずに(僕にはハードルが高すぎたようです…反省。)、新たに一つ一つを『』に落とし込んだ次第であります。
一つ目はありきたりになりますが、ブログ100本更新。これは昨年末からしばしば口にしていることです。本年の仕事量を考慮すると、おそらくこの値が『達成可能ライン』の境目かな。二つ目は中国語の修得。いや、修得まではいかず習得どまりにとどめておきます。なんだかんだで仕事上、プライベート上双方の場面で修めておかなければいかんなぁとひしひし感じますね。一番良いのは現地に赴いて、必死に働くことなんでしょうけれど流石にそれは難しく…。NHKのラジオを有効活用する予定であります。三つ目はちょっと口外できない内容です。仕事関連とだけお伝えしたく思います。ただ、三つの内で一番真剣に取組まなければいけないと覚悟している内容ではあるのですけれど。さて、いくつ達成できることいや、達成しないとだめなんですけれどね。

さて、達成可能な範囲の抱負しか立てることができないことに、周囲の人から「おまえはあめぇんだよ」とちょこっとお叱りを受けつつも、自分への甘さを抜けきれず、「可能範囲」の外にはあまり積極的に足を踏み込まない内気なオトコ、えびすが紹介するのはこちらの一冊。

商品の詳細

新年一発目から重厚な論考を紹介するのは、少々気がひけるところではあるのだが。批評の世界に多少なりとも首を突っ込んだことがある人ならば、蓮實重彦の論考に出会った経験はあることであろう。フランス文学から哲学、そして日本のそれへと縦横無尽に渡り歩く姿に、ロラン・バルトの面影を見たというのは私の主観であるのだが、今生きている学者のうちでも、諸氏の『論考』としての深さは、群を抜いて高いと思われる。というのも、前提条件として、19世紀~20世紀初頭の哲学・社会学の展開を把握していることが要求されるからだ。アカデミズムの重鎮・重厚さを感得するに、諸氏の書籍ほど参考になるものはないもちろん、『参考にする』までに至るのが大変であることはいうまでもない。

ただ、本論の内で並べられている言葉を一つ一つ拾っていくと、あることに気付くのではないだろうか?それはバルトの自身の主張・思考を『完成された一のもの』に留めなかった態度に共通する。しばしば「この世とあの世」話で話題になる『言霊』と『言葉』を結びつける、そこから全てが始まっているのだろうか。Materialに固有の言葉を付すこと、その行為の内に我われは何を見出すべきであろうか?そこで語るべきは最早デカルトの延長線上にみる哲学の世界ではない。言葉を生み出すに至った起源、そこにみる意味論まで下ること考えるほどに、掘り下げるほどに、思考がぶれてイク感覚を実感する。ブレる過程で拾った思考の断片に、我われは何らかの価値をつけたがるものだ。それはちょうど、思考の中の『自己満足処理』そのものであろう。どれほど理論で武装しようとも、所詮は個々人のナルシズムを満たすものでしかない過去の哲学者の論考を俯瞰してみるとよい。彼らの論は往々にしてナルシズムの産物であることがわかろう。

一読、二読、三読と回数を重ねるごとに、蓮實の文体に幾ばくかの『孕み』を見出したものである。時間に余裕がある人は、ぜひとも重厚な書籍と真剣に向き合って欲しい。ビジネス書の類でもてはやされている『思考力』なるものを鍛える点においても、時間をかけ、一文一文を噛み砕かないと理解できない書籍は大変役立つことだろう。ただし、注意も必要だあまりに、『そっちの世界』にはまりすぎると、現実世界で言われるところの『思考力』なるものが『ひどく』陳腐に見えてきてしまうからだ。身の回りの友人が話す内容、ニュースが発する内容etc。もはや自身の思考をかき乱してくれることのない『情報』『他愛もない内容』に我慢ならなくなる私自身が出会い、語り、触れ合ってきた経験がそれを裏づけているのは間違いないようだ。『過ぎたるは及ばざるがごとし』いや、『過ぎたるは災いの元』であろうか。この世を生きていく術の一つとして、程よい『俗化』を教育課程に組み込みたいところである。

※久しぶりに読み応えある()一冊を読ませていただきました。全部で十五論が収められていますが、一つ一つの論は独立しているため、読み進めるにはさほど苦を感じないかなと思います。ただし、バルト、フーコー、ソシュール、ラカンの書籍を一冊はかじっていないと書かれている内容を楽しめないのは間違いないでしょうけれど…。この点、後世にかかれる書籍を読むにあたり、その人が取り上げる/専門とする分野についての知識が必要とされるのは良く知られたことだとは思います。この手の書籍が面白いのは『時の洗練を受けていない』ということ。後年になってこの論を軸に新しい思考の補助線がひかれたり、はたまた本論を覆す内容が出てきたりすることでしょう。いやはや、読書の楽しみはそんな『書籍の先を考えること』にあるのではないでしょうか。特に、思考をかき乱される内容の書籍にあっては是非ともこの手の楽しみを噛み締めたいところであります