そういえば最近洋書を読んでいないなぁと思い立ち、紀伊国屋(新宿タカシマヤ近く)へ足を運びました。いやはや、やっぱ本は手にとって読むのが良いですね。電子書籍もいいんですが、質感にどうしても惹かれてしまう。特にハードカバーの書籍は、装丁あわせてカタチあるほうが、どうしても財布の紐が緩んでしまうわけで…。ただ、かさばるのだけは避けようが無い。我が書棚もパンパンで、増設せねば・・・。
さて、40kgの書棚×3を1人で組み立てるのに苦戦し、腰を痛めた日を懐かしく思い出す、脆弱ぼでぃの持ち主、えびすが紹介する一冊はこちら。
技術の進歩は素晴らしいことだ。その道筋をたどっていくと、おそらく基礎的な数式にぶつかるはずだ。それは1+1 = 2といった今の我われから見れば容易に理解できるものだろう。そう、難解な数式の数々、公理の数々、物理式の数々、全ては非常に単純で明快な「根本にある考え方」に基づいている。数学記号で表すと、「A∊B∊C・・・」の一番左の項Aが、それに当たると考えていただければ良い。
この「根本にある考え方」に光を当て、そこに隠された「不」を表に出したのがゲーデルである。彼は「不完全性定理」を公表し、決定不可能な命題が必ず存在するゆえに、あらゆるシステムは不完全性を含むということを明らかにした。
ゲーデルの不完全性定理を「単なる思考の遊びに過ぎない」と言ってしまえばそれまでである。確かに、「神」的な存在を、確証を持って数式・公理の根底に据え付けることは不可能なことであり、そのような主張が出てくるのはもっともなことで、科学の世界においては無益有害以外の何物でもない。何せ、彼の定理は、長年苦労を重ねて築き上げてきた数式・公理の全ては「戯言」にすぎないというものである。「自分たち」の成果の全てを否定されて憤慨しないほうがおかしい。
しかし、ゲーデルの導き出した定理の素晴らしさは「科学という小さなフィールド」のみでとらえるべきではない。広く、人間性一般にまで広げてそれを考えるべきであろう。政治学、経済学、社会学、ビジネスetc。全ての学問・実学の根本にあるものは、先に示した「単純で明快な考え方」と同じ類のもので、「瑕疵=誤り」がないと確証をもって述べることはできない。すべての人が「正しい」と考え、それに沿って実行・実践していることでさえ、それが「正しい」と確証できる術はない。人間が創りあげてきた世界、それは人間にとっては「正しい」ものであるのかもしれない。が、それは地球にとっては「正しくない」ものであるかもしれないのだ。私たちが考える「正しさ」は、見方によっては「正しくない」ともなりうることを肝に銘じておきたい。
※以前取り上げた知性の限界と合わせて読まれるとより楽しめるかと。いや、本当はこちらを先に紹介すべきだったんですけど・・・。科学を根本まで掘り下げると、どうしても理解できない点が出てくるようです。で、理解できないうちに科学から哲学に興味が移っちゃう人が多いんだとか。うーん、あんまり考えすぎると頭がショートしちゃいそうなんで、これくらいでご勘弁願います。少し難しい内容ですが、ゆっくり読んでいけば「」あー、なるほどねぇ」と理解できるはず。自身をもってオススメできる一冊です。
