さて、新しいことに挑戦するのはいいことなんですが、如何せん、そのピッチをどれくらいで刻むかはに頭を悩まされる毎日を過ごしております。タスクをこなすとはいいますが、そのタスクをどれくらいのスケジュールでこなすのか?どれくらいの「余裕」を持たせてこなしていくのか?を自身の力量を考えつつ設定する…大きすぎてもいけないし、小さすぎてもいけない。少し「背伸び」をするくらいが一番良いと聞きますが、この背伸びがどの程度であるのかは、自身ではなかなか把握できないものです。その指標をつくる手っ取り早い方法かつ、一番効果があるのは「経験量を積む」ことでしょう。自分の限界を知る…本気でぶっ倒れるまで何かに取組んだ経験を色んな分野で積んでいくと、「あぁ、これ以上やると俺、まじでダメ」だという境界が見えてくる・・・ような気がするんですけどね。あんまり同意してもらえないんですが(笑)。
さて、ぶっ倒れることの有意義さを、自身高校生時代の「吐血」経験をもとに語ると、「やっぱりお前は人間じゃないね」と、人格ならず人間性までも否定されてしまった非-人類、えびすが紹介する一冊はこちら。
演奏中、一切の音を出さない作曲家である指揮者の仕事は、自分以外のすべてのメンバーの出す音を正確に聞き取り、一人一人に必要な修正を施していくことだと筆者は言う。指揮者のオーケストラにおけるポジションは、野球で言うならば監督、会社で言うならば部長といったところだろう。それぞれに共通する要素は、「チームを上手く機動させるポジション」であることだ。彼らを称してオーガナイザー」と呼びたい。
自分ひとりで「何か」を達成すること、そこにはどうしても限界がある。とりわけ、大きな何かを成し遂げることを目的とするときには、どうしても「幾人」かの力に頼る必要がある。一人がどれだけ頑張って仕事に励んだとしても、費やせる時間は二十四時間しかない。もしも、そこに五人が集まることができるならば、トータルで確保できる時間は百二十時間。スピードは勿論、クオリティの向上も相当に見込めるはずだ。
また、同時に「何か」をするにしても、それに関わる人数が多いほど大きな効果がえられることもある。オーケストラはその代表であり、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、クラリネットetcが奏でる多重奏は、単奏のそれでは得られない「奥行き」を我われに提供してくれる。また、「表現の幅」を広げる意においても、数人が集まることの意義は大きい。独奏による演奏と多重奏による演奏との優劣は別にして、表現の幅・奥行きという点に関すると、一人でコトをなすよりも、数人が集って「一つのカタチ」を作り上げるほうが、そこに生まれる「可能性の枠」は広大なはずだ。そして、この「可能性の枠」を上手く操り、深く掘り下げられるかは、オーガナイザーの手腕に大きく依存する。
ずば抜けて能力の高い人を集めること。それは思っている以上に簡単なことかもしれない。巨額の資本さえあれば、それなりのレベルの人たちを集めることはできよう。が、問題はその先にある。優秀な人を集めても、あまりに個性が強すぎて互いに排斥しあったり、上手くかみ合わなかったり同調できなかったりすることが多々あるからだ。そこで、各人の能力を上手く「統合」し、足し算(場合によっては引き算にもなろう)を掛け算に変えることができる人が必要となる。この役目を担うのもオーガナイザーである。
「個のパーツを集めてしかなしえないことをなす」+「個を集め、それらのパーツを倍数式に統合する」、オーガナイザーに望まれる能力は、相当にレベルが高い。だからこそ、人材としても非常に価値がある。同時に、今のビジネス・公共・プライベート全ての社会が、この能力を持つ人を欲している。今後、世界の舞台でオーガナイザーのポジションで突出したパフォーマンスを残す日本人はどれだけ現れるだろうか?幸いにも日本には世界に通用する力をもつ企業がたくさんある。また、日本はオーガナイザーのポジションに付くに適した文化背景も持ち合わせている。機は熟した――。国内で蓄えてきた力をソトに発揮するステージへ進む時は、今まさにこのときではなかろうか。
※この本を読んでいて思い出したのが、小学生時代の「ガキ大将」。子分を従えて、色々と「面白いこと」をやるんですが、これ、今のマネジメント能力にも通じるところがたくさんあります。「体が大きく、活発な子分は敵陣調査(縄張りですね)や肉体労働(基地作りとかで大活躍)」 「体が小さく、力が弱い子分は頭を使わせるタスク(攻め込む戦略構築、基地作りの設計)をまかせる」といったことを理解していたようにおもいます。ちなみに、僕自身は、まっとう・忠実な子分だったのは言うまでもありません。
